文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第7編 >第4章 >4 人類愛善会の再出発よみ(新仮名遣い)
文献名34 人類愛善会の再出発よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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人類愛善会が再出発した一九四九(昭和二四)年には、内にあっては、平事件・下山事件・三鷹事件・松川事件などがあいついでおこり、一方では団体等規正令・人事院規則(公務員の政治活動を制限)・公安条例(集団・結社の集団行動を制限)がつぎつぎと制定され、大衆運動への抑圧がつよめられていた。また、二月には米国のロイヤル陸軍長官が来日して日本の警察隊の武装を示唆し、九月にはソ連の原爆所有が公表された。翌年一月には、マッカーサーが年頭挨拶で日本の自衛権を強調し、来日したブラッドレー米統合参謀本部議長ら三軍首脳は、沖縄と日本における軍事基地の強化を声明し、日本の再軍備・軍事基地化は既定の事実として進行しつつあった。そして東西の対立状態は加速度的に深刻の度をくわえつつあった。このような緊張した国内外の情勢のもとに、確固たる世界恒久平和の道をもとめるねがいが、民衆のあいだに日一日とたかまってきた。
教団内部においても、大本愛善苑のはたすべき役割について、いっそうの検討がすすめられていた。そのなかに登場するのが「世界連邦運動」である(三章)。世界憲法・世界議会・世界政府・世界裁判所・世界警察など、かなり具体的な構想を有する世界連邦運動の理論は、大本愛善苑の指導層に共感をあたえた。昭和二四年七月一一日、世界連邦建設同盟理事小塩完次・同大橋松太郎が綾部および亀岡に来訪したとき、二代苑主自身がまずこの運動につよく賛意を表し、この運動は神の経綸によるものとして、愛善苑の幹部に積極的にこれを研究して協力すべきことが指示された。そこで、同年八月四日の審議会に「世界連邦運動に関する件」を上程し、審議の結果、愛善平和運動として啓蒙に重点をおき、この運動を展開することとし、すみやかに具体案を作成して実行にうつすことを決定した。
その後、二代苑主は「世界連邦運動」をはやくとりあげるようにとつよく要望されたので、本部ではこの問題を中心に協議した結果、宗教法人たる愛善苑自体がこの運動に全面的に参加することは不適当であるから、むしろ愛善苑とは別個に、平和運動の団体として人類愛善会を再発会せしめ、人類愛善会の名によって世界連邦運動にあたるのが最善の道であるとの結論にたっした。そして一〇月二八・二九日の両日にわたり、第一一回臨時審議会が開催され、「人類愛善会再出発に関する件」を審議の結果、原案どおり可決された。さっそく全審議員をふくめて四八人の人類愛善会再発会準備委員が任命され、二九日第一回の準備委員会を開催して、人類愛善会の主なる会則・運動方針・再出発に関する声明書などを決定した。
一九四九(昭和二四)年一二月八日、亀岡天恩郷の大道場において、人類愛善会の再発会式がおこなわれた。まず奉告祭にはじまり、人類愛善会再出発についての奉告祝詞についで、二代苑主、準備委員代表嵯峨保二・桜井重雄、来賓代表、一般代表らの玉串奉奠があり、一同天津祝詞を奏上して祭典を終了した。
つづいて準備委員長出口伊佐男の揆拶ならびに経過報告があり、主意書・再出発に関する声明書・運動方針・会則を発表して、総裁に二代苑主を推戴した。そして会長以下つぎのとおりの人事発表があった。
会長出口伊佐男、副会長嵯峨保二、事務局長大国以都雄・同次長桜井重雄、庶務部長大国以都雄(兼任)、宣伝部長三村光郎、調査部長泉田武、国際部長西村光月。このほか全国各地から、一〇二人の委員が選出されている。
二代総裁出口すみ子からは、つぎのようなあいさつがあった。
人類愛善会がふたたび出発することになったことをおよろこび申上げます。わたしの念願は国だの宗教だのという垣根をとって、世界中がみんな親子兄弟になって仲良く暮す世の中をつくることだと思います。このあいだも軍司令部のほうに関係のある宗教調査課長とかいう人がきた時に申し上げたのでありますが、神様からごらんになればみんな親子兄弟でありますから、いまこそアメリカとロシアの人たちが、手と手をにぎり合ってケンカしないことになれば、すぐにも世界が平和になるのであります。あなた帰ったらすぐ軍司令部の人たちにこのことをいって下さい。ロシアの役人にもこのことを伝えて下さい。いつまでもこんなことをしていたら世界がつぶれてしまうと申上げたのであります。六十年前に開祖さまがいわれた通りに、今日は九分九厘まで世の中がゆきづまってしまったのであります。あと一厘のところで世界が手のひらかえしたように天国のようなよい世の中になるか、それとも世界がつぶれてしまって人類が滅亡するか、いまは残り一厘の世界の大峠にみんなが立っているのであります。みなさん人類愛善会員はこの平和運動でがんばってもらいたい。
なお主意書については一九二五(大正一四)年六月九日、人類愛善会の創立当初において発表されたものをそのまま採用して発表された(上巻七七二頁)。人類愛善会再出発に関する声明書はつぎのとおりである。
人類愛善会は故出口王仁三郎聖師の提唱により、大正十四(一九二五)年に創立されたものであります。その目的とするところは、創立主旨に明かなる如く、人類は兄弟同胞にして本来一心同体なりとの信念に基づき、闘争なき地上永遠の光明世界を実現することであります。かかる根本信念により、人種、宗教等の障壁を超越して、広く内外各地の同志団体と提携協力し、世界平和実現のために活動努力を続けてきたのであります。かくて本会の主旨は世界各方面の共鳴を得、創立以来十ヵ年にして国内支部千余箇所、海外支部百箇所に及ぶほどの躍進をなしつつあったのであります。然るに昭和十(一九三五)年十二月八日、日本官憲は突如武装警官数百名を動員して、総本部を初め全国各地の支部等を襲い、総裁出口玉仁三郎聖師、同夫人以下全幹部を強制収監し、建築物一切を破壊し、本会諸文献を焼却するに至ったのであります。爾来日本は軍閥、官僚政府の意のままに日華事変、太平洋戦争へと突入して行ったのであります。その間出口総裁、同夫人以下五十余名の幹部は三年乃至七年に及ぶ牢獄生活を強制され、会員は発言と活動の自由を奪われたのでありました。かくして前後十ヵ年に及ぶ惨憺たる本会の受難史が終り、われわれに活動の自由が再び与えられた時には、すでに広島と長崎とに原子爆弾が落下し、第二次世界大戦終幕の後だったのであります。われわれの杞憂は不幸にして凄惨な現実となって現われ、現代戦における科学兵器の使用が如何に悲惨であり残虐なものであるかを、全人類、殊に日本人は身をもって体験したのであります。今こそわれわれは一切の偏見と行きがかりとを捨てて世界一家の大局に立ち、真剣に考えなければなりません。人類は等しく神の子であり兄弟同胞ではないかということを。何故にわれわれはかかる惨憺たる闘争を永遠に繰り返さなければならぬかということを。勝った国も敗れた国も、総じて人類は戦争によって果して何物をかち得たでありましょうか。然り、戦争は人類最大の悲惨事であり、世界文化の破壊であり、畢竟人類の自殺行為であります。しかし世界の紛乱は原因なくしては絶対に起るものではありません。戦争の原因が一体何であるかをわれわれは卒直に闡明すべきであります。戦争の起る原因を究明せず、その原因を除去する努力をなさずして、ただ観念的に世界平和を云々することは一片の戯画に過ぎないでありましょう。われわれは叡智をもって紛乱の原因を探究し、全人類の理性に訴えて問題を根本的に解決する平和的方法を発見すべきであります。およそ人間社会に於ける紛争の解決方法が暴力手段以外にないと考えることは、人間が人間自らを侮辱することであると思います。人類の歴史は一面闘争の歴史でありました。われわれはこれを率直に認めなければなりません。しかし過去において然るが故に、今日及び明日における歴史の諸問題もまた闘争以外に解決の方法がないと考えることは、人類の文化的進歩発展を無視する野蛮思想ではないでしょうか。人類は等しく神の子であり、兄弟同胞であります。われわれはかかる根本的自覚に立って、全世界のあらゆる問題を平和手段によって解決すべく、ここに強力な平和運動を展開しなければなりません。世界の現状は平和か滅亡か、真に人類史始まって以来の大危局に直面しているのであります。ここにおいて故総裁出口王仁三郎聖師終生の大悲願たる世界平和、人類救済の道統を継げる出口すみ子夫人の発意提唱により、久しく禁止されていた人類愛善会の活動を再開することを決意した次第であります。
全世界の志を同じうする人士の広く相結び協力されんことを切望いたします。
〔写真〕
○国際的緊張がまし国内でも怪奇な事件かあいついだ 松川事件現場 p879
○警察予備隊から保安隊へ そして自衛隊へとしだいに既成事実がつくられてゆく 警察予備隊の軍事訓練 p881