文献名1大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動
文献名2第2章 昭和神聖運動 >第2節 昭和青年誌(抄)よみ(新仮名遣い)
文献名3農村の皇道化を計るには 如何にすれば実際的なるかよみ(新仮名遣い)
著者松阪勝郎
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農村の皇道化を計るには如何にすれば実際的なるか
松阪勝郎
ある青年はある会合の席上、農家にゴム靴と借金のない家庭は一軒もないといつて農村の現状を風刺し、真実な窮迫振りを告白した。
農村は今、進むことのみをそれ全体とする近代文化に追はれて、ゴム靴は革靴に、質実そのものの股引はラッパズボンに、しかも腕時計を持たぬものは一人もなくなつた。農村に、ゴム靴の普及するのは、一層堅実ならしむべき農村をして皮相的に近代化せしむるものであり、農村貧窮化の実証と思ふ。今や農村は没落しつつあり、何故なれば、農村人は農村人としての天職を忘却してまでも、近代社会に追随せんとし、自ら卑下しつつ質実そのものの農村としてでなく農奴としての生活を持続しつつあるかの様に思はれる。政党は国民の前にその無能を示し、その堕落を暴露し、学者輩は実に空虚なる理論を叫びつつある。しかも一世を指導すべき彼等が如何に無能であり空論を弄するとも、又如何に思想問題が喧しくとも、唯農村丈けでもその天職に忠実なるものであつたなら、非常時といへども又何をか恐るべき、然るに現時の農村は所謂識者の見解と同様吾々農民も如何にして農村を救済するかに腐心しつつある。世の指導者としての為政者は果して万全の対策をなしつつありや。土木救済事業は貧窮せる農民に精神的に何を教へつつある。信頼すべき絶対性のなき官吏に憐憫を乞ふ浮薄輩の他力本願の卑屈なる態度の助長のみではあるまいか。為政者よ醒めよ!! 農民は真箇に何を欲してゐるかを今こそ自覚すべきである。
あるものは組合組織のもとに経済的不況打解を企図しつつあり、然し吾々は直訳的組合の統制の下に真に農村は救済されるものとも考へない。外国流の直訳的一切のものは捨てられ、真の日本の指導精神を把握して、有識者は従来の研究せし一切の主義主張を整理し、農民は農民としての天職を各自の上に実現し行かねば進むべき道は絶無となつたのである。
斯様な農村に住する青年諸君は今何をなし将来何事を企画してゐるか。読書熱は益々向上し無差別無批判的に購読され、雑駁なる智識を吸収した。今後も如斯傾向はこの儘に放置し、何等の対策を講ぜずば、青年の思想に悪影響を及ぼすこと判然たるものである。我々はかくの如き傾向を悲しむと同時に真実に農村青年の前途を考察する時、青年の一身上の栄達とか、節制な、き乱読の傾向を是非矯正しなければならぬと思ふ。ある篤農家の一老人はいつた。
『青年の読書は可としても、読書する青年は真面目に仕事しない』
と。勿論近代化された農村の青年は労働の程度に於て昔の如き、働き具合でないことは肯定し得ると思ふ。読書と労働とは実に密接の関係にある。近接都市と農村との関係、営利的思想の向上、経済上の矛盾より来る自乗的悪楽天的傾向等より当然の事にして且つ又農村の青年と雖も、社会の進運に随従しなければならぬ関係上、必要上の読書と勉学はしな
ければならぬ……。この相反したる情勢の下にある農村青年を如何にして、青年本来の面白を保持し、確固不動の精神に立脚して進ましむるか。農村に住み切実に農村の苦悶を体験しつつ我々はこの容易ならざる問題を考へこれが対策を最も合理的にせんと計画するものである。
先づわれわれは現今の農村に於ける官制の青年団を叙し青年団は如何なる更生をなすべきであらうかを述べようと思ふ。
現今の官制の青年団は中央、地方を通じてその活動は従前の如くでないのは事実である。率直にいふならば、青年団といふ団体に農村青年は加入しても、到底その組織下に青年諸君は満足し得ないまでに知識は向上し、それに伴ふべき団としての組織の改善、指導精神の向上等の対策は少しもなく、その存在価値すらあやぶまれるに至る傾向は多分にあり、且つ、修養団体である青年団は唯単に道学的修養にのみ主点を置き、しかもこれが形式に流れ年に一回か二回の修養講演会を開催する現状にあり、こに於て、現代青年の知識の程度により、全く満足せしめ得ない様になつた。従つて有名無実の存在たらざるを得ないのである。今その原因を列記すれば、
A、一貫したる指導精神の欠如。
B、現代化されたる多数青年を団員として擁する故に、従来の小学校長等の青年団長を、『凡てを青年の手に』のモットーの下に青年自身の手に戻したこと。
C、中央地方を通じての機関雑誌のなきこと。
D、スポーツの農村侵入による青年団の事業として唯年一回乃至二回の運動会を主眼として何等精神的方面を顧慮し得ぬこと。殊に一郡下毎に連合青年団ありて一年に一回の運動会にて連合会費はこのために消費されてしまふこと。
以上の如き理由により、当然強力なる団体にまで育成せられ得ベき幾多の要素を有するにも拘らず、中心人物なきと指導精神の欠如のため何等の進展を見ず。旧態依然とした有様である。殊に青年団は青年の手にとのデモクラシー的思想の余弊として。新に青年団を若き者同志のグループにしてしまつたため、そこに中心点を失ひ無統制、無規律、無能力な団体となつたのである。
右青年団の更生策としては、先づ、
皇道(神、君、臣、三位一体)を指導精神とし、皇道に徹したる人物を団長とすること。
総ての事業は皇道を大眼目に置きて画策され、日本精神の鼓吹に努力し、中外に施して惇らざる教育勅語の斯の道を以て敬神忠君愛国の至誠団とすることは、農村を皇道化する順序として看過出来ない問題である。
一律的に皇道といふも、皇道の活生命的理論たる大家族精神主義を先づ普及することは、農村皇道化上最も効果的にして、且つ農村は今前述せる如く、財政不況打開策として、組合組織の統制下にでせんとする傾向濃厚なれども、真の組合精神の実質化は大家族精神の本質的指導原理にて完成するものと思ふ。また一時的流行語又非常時代相の表現の如く各人は皇道なる語を取扱ひ易い。この時皇道そのもの体現に外ならない犬家族精神主義なるものを鼓吹し宣揚する時は、一層効果的に皇道精神の徹底を期し得るものと信じる。かくすれば区々たる論争はその影を没し、農村は村政に農事に、教育に総ての分野にわたつて一大融和を達成し、善美なる農村風景を見出し得るに至るであらう。且つ農村人は真の農民としての天職も自覚し、質実剛健なる本然の農村に更生するであらう。
然らば如何にして農村を大家族精神主義化せんとするか。それには、
A、先づ村社中心主義の下に大家族精神に立脚し一家(一村)としての村の全容を精神的に更生せしむること。
B、村長以下村内有志をして大家族精神の真の精神に帰正せしめ、思想的向上を計ること。
Bを実行せんとするには、Aの村社中心主義の下に自覚せる青年の斡旋的行動にて、公休日を利用して皇道講座を開催し、より充実を計ることが肝要である。
C、其他右に関する経費小額なる展覧会を開催し娯楽的に右犬家族精神の原理を徹底せしむること。(パンフレットに依る宣伝よりは効果的と思ふ。)
右農村皇道化に関する私見を述べ、幾分にでも参考となればと愚案を提出いたしました。