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文献名1神霊界
文献名2大正8年2月15日号(第80号)よみ(新仮名遣い)
文献名3神諭よみ(新仮名遣い)
著者
概要大正8年1月21日
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-04-08 18:57:23
掲載号1919/02/15号 ページ0 目次メモ
OBC M192919190215c01
本文の文字数7077
本文のヒット件数全 1 件/瑞の身魂=1
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本文 大正8年2月6日
大正八年二月六日
 松の世の神の経綸も近付きて、来るか来るかと沓島潟、波打際に待ち兼し浦の松風音清く目無堅間の神船は竜宮館を漕出でて綾の高天原へ迎へ遷りし艮の皇大神の神力を、雲井の空に輝かす、常磐堅磐の神国は、大く正しき神人の真正の姿も巳の年に………艮坤の山田の土と播磨潟、磯吹く風に消ゆる火煙り、瑞の身魂の晴れ戦さ。天の八重雲吹払ひ地の妖霧をも掃き清め、上と下とが睦び合ふ実に面白の神の世の来る時まで国民は一つ心に霊主体従の神に習ひて能く忍べ、御空は震ひ地は揺り、黒雲四方に立篭めて、神の光も日月も暫時の間は丹波の天の岩戸に隠れます、山川動み草木枯れ、海河悉々泣干して、黒白も分かぬ暗の世を照し返して艮の神の稜威は四方の国、百八十国の果までも届かぬ隈もあら尊と名も高砂の浦の松風吹き上げて、千歳の鶴も万代の亀も勇みて舞下だる竜宮館の神国の湯津桂の神木こそは、枝葉も繁り根も太り、天津日影も月影も、弥常永の安息所ぞと玉の一声鳴り渡るスの言霊や畏こけれ。
大正8年1月21日
 大正八年一月廿一日 旧同七年十二月廿二日
 艮の金神国常立尊変性男子の身魂が、地の高天原竜宮館に大出口国直日主命と現はれて、変性女子の手を借りて世界の事を知らすぞよ。丹波の国は斑鳩の、一イ二ウ三ツ四ツ、四尾の山の尾上に鰭振りて、二度目の神政を世継王山、東表ての一つ峰、世界の神々集りて、猫も杓子も言問ひなす、不祥の現代を清めの為の神集ひ、草の片葉も言止めて、天の岩坐押開き、稜威も高き天王台、神庭会議も近よりて、世界の国の国魂も、丸く治まる常立の、動かぬ御代に駿河不二、一度に開く兄の花の、三国一の四方面、四方の国々安国と、定め奉りて万国の、悪神ばらを神息総艮の、畏こき神世と心から、仰がせ救ふ、経綸の幕の明烏、日の出の守護の大本に、八桑枝繁り山青く、水さへ清き由良川の、流となりて世を洗ふ、瑞の御魂の御苦労は、茲に千坐の置戸負い、百千万の人民の、罪を助けて水晶の、松の神代の礎を、築き上げたる杵の宮、祭るときはの姫松を、重ねの橋や那智の滝、旭日に向ひ照妙の、綾部に架る黄金橋、二人の○○に手を曳れ、天津御空の大橋を、勇み渡会神の宮、天津神籬搗き固め、万世変らぬ磐境の、神の経綸を三十年の、契も永く今十年、延び行く糸の最清く、錦織なす山屏風引き廻らして天神、地祇の大本と致す経綸ぞ楽もしき。神聖五年五月五日、何が出来いたすやら天上の事柄であるから、教主も守護神も今の今まで解らぬ如うに致して在るぞよ。此の一輪の経綸を知りたものは、天地の元の誠の祖神より外には無いから人民は、取越苦労を致さずに、先の栄えて広き世を松の心で待が可ぞよ。
   ◎
 惟神真道弥広大出口国直日主の神言は、時節参りて地の高天原を立ち出でて、天の八重雲押披き、天上天下四方の国々隈も落ちず審査済ませ、世継王の山の尾上に、金竜の池を済ませて、常永に神国を開き守るぞよ。神威も高き天王台、心を爰におくつきの、深き経綸の鍵を納めて、日本の一の瀬や、二の瀬三の世水清く、直霊に見直し聞直し、詔り直したる三ツ瀬川、五十鈴川は涸るる共、流れ尽せぬ玉川の、水音のみは千代八千代、齢も長き鶴亀の、腹より出でし礎は、御代を歎きて人民思ふ、心は胸に三千年の、世をうしとらに築艮め、天地の神々守護神、諸の身魂を神国に、救ひ助くる大神業に使ふ御魂を引寄する竜宮館の火水の経綸、神の心を推量して、身魂を早く研き上げ、昔の神代の初めから、架け渡したる謎の橋、早く渡りて下されよ。
大正8年1月25日
 大正八年一月二十五日
 今の人民は我身の神聖なる天職を忘れて、薩張り四ツ足の容器に化り切りて了ふて居るから、猛獣の餌にするやうな汚ない腐肉を食ふて美味美食と驕り、鳥獣の毛や皮を身に纏ふては美衣とか礼服とか申して歓こび、罪悪の凝結た金銀で立派な形斗りの住家を造りて、美家とか玉堂とか名を付け、体欲に耽つて己の寿命を削りながら、千年も万年も生きる心算で、何時も月夜と春斗り在るやうに思ふて、一寸先きは真の暗み、是が人間の中の結構な紳士と申すもの。紳士か獅子か猛虎か名の付けやうも無い人三化七、盲目千人目開き一人の譬の世の中、訳の分らぬ人民斗りが、折角無垢な人間に生れながら、紳士とか虎とかの行り方を羨んで、金銀さへ蓄へたら斯世が自由に成るやうに思い違いを致して、又も四ツ足の中間入りを致さうとするから、世は段々と体主霊従が盛へる斗りであるぞよ。何程神が可愛想なと思ふて、言ふて聞かして与りても、腹の底に誠が無いから、折角方丈まで成上りて居りた髪長が、傘一本で寺を飛び出し、俗人となりて商業家に逆戻りした大徳寺の門弟さえ出来るやうな時節であるが、一旦神界から神の綱を掛けられた人民は、一時は思はくは立てさして与るが、又た後で縋りて来ねば成らぬ事が見え透いて居るから、明治二十五年から出口直の手と口とで、大本の大橋越へて未だ先へ、行方分らず後戻り、慢神すると其の通りと申して気が付けて在りたが、今までに斯大本には沢山に鏡が出してあるぞよ。親の精神が違ふて来ると子の心が変りて来るぞよ。神の試験に逢ふて直ぐに取違い致すやうな浅い信心はマサカの時の役に立たんから、是から神は素直な人民を使はな成らんから、未だ未だ神は気を曳くぞよ。其人の心相応の事を致して、誠の御用に使ふものと使はれんものとを選り立るぞよ。大正忠臣蔵の御用に立つのは我が妻や子に気を曳れて信仰を落すやうな人民は、肝心の正念場の舞台は踏さんぞよ。誰に由らずこの大本の信心は外の宗教のやうに思ふて居ると大間違いが出来て来て、中途に迯げ出すぞよと申して在りたが、コンナ大気違いやら大化物の致す神界の御用は、三年や五年の信仰では、何程智者でも学者でも判りは致さぬぞよ。利己主義の人民は少し金でも儲けると、もう是で沢山と申して後へ退くが、此の大本はソンナ小さい経綸でないぞよ。この大本の経綸は稲荷山の白狐や古寺の古狸や、蛇の身魂の守護が除かぬと、少とも見当が判らんぞよ。鼻高では又判らず、少し神徳を貰ふて布教でもする様になると、直ぐに鼻を隆くいたすなり、○○には鞍馬山が在るから、鼻高が多いのは無理はないぞよ。守護神が鼻高であると、肉体が知らぬ間に鼻高に成りて居るから、其高い鼻が両眼の邪魔をいたして、向ふも見へず、上は猶更見えず、足元は天で分らぬから、歩行くのも全然暗雲で、危ふて見て居れんから、因縁のある身魂は夫れでも使ふて与らねば成らぬから、神が鼻をへシ折つて了ふぞよ。神から折られん先に鼻を低ふいたして、真心になる人民を待兼て居るぞよ。是から神界は正念場と成るから、段々と通常の人民には判らんやうに一旦は致さすから、誠無き欲信心いたして居る人民は、御蔭を落して立寄れんやうに成るから心得て居りて下され。引掛戻しの仕組、月の象の御簾の中、日に日に変る大本の中の様子、付け留て置いて下されよと申して在ろうがな。みす商売は夏の最中、背中を割つて出る瀬虫の、後の脱殻ト子川の、和知の流れに身を落したことが在ろうがな。善と悪との鏡の出る世界の大本ぞよ。
大正8年1月25日
 大正八年一月二十五日
 三千世界一度に開く梅の花、開いて散りて実を結び、スの種までも蒔配りて、三千世界を一つに丸めて、至仁至愛の神政に立直す経綸であるから、此の大本へ立寄る役員は、皆昔の神代の太初から、身魂に深い因縁が在りて、切つても断れぬ親子兄弟で在れども、現界が余り体主霊従の行方の世に成りて居るから、御魂も共にくもりて了ふて、親兄弟も顔を合して居ながら、薩張判らんやうに成りて、知らず知らずに神の綱で引寄せられ、久し振の親子兄弟の対面で在るから、互に仲良く致して、神界の御用を致して、天地の先祖の御用を勤めて、今度の二度目の岩戸を開いて下されよ。神は人民を道具に使ふて致さねば、神の姿のままでは現界の立直しは出来んから、神が懸りて致すから、此の大本へ引寄せられた人民は素直に致して、神の申付ける事チツト無理じやと思ふても人民では分らぬ経綸で在るから、神は親であるから、無理いふ親に仕へると思ふて辛抱して御用を聞いて下されたら、跡でコンナ結構な事であつたかと申して雀躍りを致さして、夫れ夫れに手柄をさして、御魂は世界の守護神と祭りて与るなり、肉体は亦た斯世に無い結構な事に致して、万劫末代名を残さして御礼を申すぞよ。
 燈火の消ゆる世の中今なるぞ、差漆致す種ぞ恋しきと申して、明治三十三年に筆先に出して待ち兼て居りたが、変性女子が明治四十二年になりて、大本の神の経綸が判りかけて来たから、時節に応じて差漆の種を引寄したが、皆一心に御用いたして下さりて、追々と大本の経綸が、人民にもチツトは見当が取れるやうに成りて来たから、モウ大分揃ふたから、是から研ひて誠の御用にかかりて下され。古から未だ斯世には有りた事も聞いた事もない大神業であるぞよ。神が余り喧ましく改心して下されと何時までも申すから、今の役員の中には、此うして各自が今までの結構な地位や職掌を止めて、家も身も宝も捨た同様に御用を聞き、我の物を衣食して、月給一銭も戴くで無し、力一杯金銀まで神様へ献上して、一心に尽くして居るこの真心をまだ知つて呉れぬ、六ケ敷処判らぬ神じやと思ふ御方も在ろうも知れんなれど、何をいふても変性女子は大化者なり、三代は若い女の事なり、善の鏡を出して大本の神の名を出して下さるのは役員であるから、神は皆の役員の真心は百も承知千も合点であれど、万一の遠慮いたして執念深う腹が立つほど、不調法と取違いの無いやうに気を注けるので在るぞよ。この大本へ立よる身魂は皆昔から親子兄弟の因縁が深いのであるから、毫末とも扣えずに、身内であるから厭な事も申すので在るから、神が何を申しても気にかけぬ如うに致して、我一と神界の御用をいたして下されよ。今年の旧の七月十二日までに、大略の因縁の身魂を大本へ引寄せるから、大本の役員は充分に気を注けて下されよ。夫れまでに肝心の御魂を引寄せるぞよ。毎時出口直の筆先で、跡な烏が羽翼が強いから、後れん如うに身魂を研いて下されと申して在ろうがな。皆その通りになるから、ドウゾ後れんやうに致して下されよ。手長彦手長姫に心を配りて下され、斯んな酷しき大本の中へでも這入り込で来るぞよ。油断いたすと終には神の名を汚す事に成るぞよ。
   ◎
 人民と申すものは気の短いもので在るから、神の申した事実が一年後れても六ケ敷顔を致すなり、何を申しても昔から未だ無い大神業であるから、物事に依りてはチツト位は延びる事が有るなり、人民を神は一人でも余計に改心さして助けてやりたいから、延ばせる丈けは延ばしたいなり、人民は良き事斗り来る様に思ふて、浅い考へを致して首を伸して待つやうな心で居るなり、薩張り神と人民とは思ひが反対であるから、神も中々骨が折れるぞよ。誰も彼も綾部綾部と申して出て参りても、身魂の因縁だけの事よりは出来んのであるから、神の道の判りた人民なら何処に居りても、神徳は渡して手柄を致さすから、余りあはてて下さると却て神が迷惑を致すぞよ。大本の中の役員に誠の事が六七分まで解りて来て、充分に身魂が研ける迄は、世の立替が初まると、却つて神も役員も困るから、三千年の仕組を水の泡には出来んから、地固めには充分の骨が折れるから、チツト位後れたと申して心の変るやうな事では、斯んな大望は到底勤まらんぞよ。一人でも因縁の身魂を余計に改心さしたいのは神の至仁至愛の精神であるぞよ。夫れで大本の中から神と同じ心に成りて呉れよと、クドウ申すのであるぞよ。神界の経綸が一二年も延びたとすれば、今の人民は悪が未だ消えて居らぬから、又た神に不足を申すなり、子を戻して呉れ娘を返せと申すものも出来るかも知れぬが、其所を惟神に任して、ヂツト堪えて待つだけの度胸がないと、肝腎の御蔭に外づれて了ふぞよ。後の悔悟は間に合はぬから、充分腹帯を締て居らんと、百日の説法が屁一つにも成らん事に成りて、世界から笑はれて、地団太踏んでも追付かぬ様になるぞよ。三千年の苦労いたした経綸の花が咲くので在るから、人民の思ふて居る様な容易仕組でないから、思ひ違いの無きやうに致して下されよ。筆先の裏まで眼を徹うす様でないと中々解りは致さんぞよ。世界の大峠が来る迄にこの大本の中に大峠があるぞよ。大本の事は神界の仕組であるから世界中へ写るぞよ。世界の事は又大本へ写るから、斯大本の内部の行り方を見てさえ居りたら、誠のものには何も彼も判る仕組であると、明治三十二年から出口直の手で先に何遍も知らして在るぞよ。
   ◎
 三千世界が一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。神も仏事も人民も勇んで暮す世になるぞよと明治二十五年から知らして在るぞよ。それで斯の大本は、外国のヤソの神の教や、仏の教を悪く申されんぞよ。ヤソも仏も儒も其国々の国魂相応の教がさして在るので在るから、此の大本は大本の教さえ致して居りたら外の宗教を毀つと云ふ事は致されんぞよ。斯う申すと又た鼻高が、艮の金神でさえも外国の教や、仏を悪るく申すで無いかと、理窟を申すで在ろうが、外国の教と神が申すのは、宗教やヤソ教の神の事では無い、物質主義金銀為本の政治の事を申すので在るぞよ。誠の純粋の日本魂の人民には、外国の宗教は要らぬなれど、未だ其処まで身魂の研けて居らぬ、中と下との身魂の済度には、無けねば成らぬ道具であるぞよ。外国の宗教と申しても元は天地の先祖の教であるから、日本の教の枝葉であるから、余り悪く申して枝葉を断ると、幹が却つて発育ぬから、神は元は一株であるから、それで是までの筆先に、谷々の小川の水も大河へ、末で一つの海に入る経綸であると申してあろうがな。神が一度申した事は、何時になりても毛筋も間違いは無いから、爰の処を十分に気を付けて、大本の御話を致さぬと、反対に揚げ足を取られて、愧かしき事が出来いたすから、心得た上にも心得て居りてくだされよ。
大正8年1月27日
 大正八年一月二十七日旧十二月二十六日
 艮の金神変性男子の御魂が、地の高天原の竜宮館に現はれて、世界の事を誌しおくぞよ。五六七の神が御出ましに成りたから、世が押釣りて天の鳥船や鳥の磐樟船の神が、空中を自由自在に荒れ廻はし、世界中に火の雨を降らして地の世界を苦しめ、神国を外国に致す悪神の企みが、九分九厘に成りて来たなれど、日本の国は神国であるから、四ツ足が何程上空へ昇りて、悪を働かうと致しても、四ツ足身魂の眼に付かぬ金神の鳥船が、中界を守護いたして居るから大丈夫であるぞよ。火の神も羽張り出すぞよ。火の輝日子や迦倶槌や、火の焼速男の神はエライ勢いで、明治三十年代から荒れ廻りて来たが、今度はモ一とつ烈しき活動をいたすから、人民も油断はいたされんぞよ。青山は枯山となり、海川は残らず泣き干す時節が近よりたぞよ。金山彦や金山姫を多具理上げる時節が参りて、今の成金の体主霊従の身魂が、頭を土に着けて苦しむ時節が今に来るぞよ。クハラの跡は草原となり、ススキの跡は薄原、イハサキの跡は茨咲き、フジタの末は不事多となるぞよ。三ツの泉の水も涸れ、ツルの池水は濁りに濁りて、鮒や鯰が泥に困しみ悶える時節が来るぞよ。鶴の宝は雀が拾ひ、亀の宝は小魚が喰ふ。山は変りて淵と成り、海の中にも山が湧く、是が体主霊従の身魂の年の空であるぞよ。秋風待てど罪悪の、日に夜にフユの霜先に葉も実も散りて丸裸、夜寒の凌ぎも何んと詮方なつ虫の、飛んで火に入る憐れさを、見せまいものと朝夕に、神の出口の手を借りて、助け与らんと艮の、神の心は五月暗み、泣く郭公血も涸れて、救ひの術も泣く斗り、神の心配酌み取りて、早く改心頼むぞよ。
 艮の金神変性男子の身魂が、天地の間を守護致して、三千世界の大掃除を致すに付ては、ミロクの大神様は金竜に跨がり、大直日主命は銀竜に、若日女君の命は金剛に打乗り、天と中界と地の上を守護致して居るから、是からは経綸が一日増に良く解りて来るから、大本の内と外との誠の役員信者は、確りと胴を据へて下さらぬと今迄のやうな気楽な事では、肝心の御用が後れて了ふぞよ。宇宙の塵埃曇り汚れを掃き祓ふ、神の経綸の箒星、不意に出現する時は、天津大空澄み渡り、神の威勢の強くして、空に懸れる群星は、天の河原に集りて、言問ひ議り議り問ひ、終には思案も手術も泣き暗し、地上一つの神光を、尋ねて各自に降り来る、大木の蔭や神館、綾に畏き地上の高天原、神の助けを請ひ奉り、身魂清めて苅こもの、乱れ果てたる世の中を、元の神代に立直す善と悪との戦いに、大本直日大神を、総大将と戴きて、曲つ軍を打罰ため、言向和はす空前絶後の大神業は、いろはの産の神御魂、誉れを千代に遺す経綸の、奥の手の只一輪の白梅の、花咲き実のる常磐木の、松の神代こそ尊とけれ。金竜銀竜金剛剱破四ツの神馬のいななきは、天地に響く言霊の、神の力と神人の日本魂の活動に四方の国々依り来り、天津日嗣も永遠に、治まる神代の瑞相は、七堂伽ランの神界の、世界鎮めの基礎と成り渡るぞよ。
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【霊界物語誕生百周年】
大正10年(1921年)10月18日に王仁三郎が霊界物語の著述を開始してから
令和3年(2021年)10月18日で百年目を迎えます。
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