文献名1神霊界
文献名2大正8年4月15日号(第84号)よみ(新仮名遣い)
文献名3皇道我観(二)よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要皇道の本義 神道の本義
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データ最終更新日2017-11-24 23:04:24
掲載号
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本文
皇道の本義
世俗往々にして、我々の宣伝する皇道を目して、現代の所謂十三派の神道宗教と同一視し、以て神聖なる皇祖皇宗の御遺訓を奉釈する皇道大本と、宗教との根本的解釈に迷へる者多きは、実に斯道の為に慨嘆禁ずる能はざる所なり。吾人は茲に、皇道と神道との区別を略述し、世の誤解を解き、我国体の精華を根元的に明瞭ならしむるの、最大急要事たるを自覚する者なり。
皇道の本義は、畏くも万世一系の皇統を継承し給ひて、日本神国に君臨し、地球上に於ける、主、師、親の三徳を具備し給ふ、天津日継天皇が天下を安国と平けく知食し給ふ、乾霊授国の御本旨を達し給ふ。御経綸の神法神則を、皇道と称ヘ奉るなり。然り而して、綾部の皇道大本は、皇祖皇宗の御遺訓を、皇国固有の言霊学の上より、将又大本開祖二十七年間の、神諭の御精神より真解を施し、我国民をして、皇道の大本を知悉せしめむとする、惟神の霊府にして、直ちに皇道実現実行の、首府と謂はむは非なり。如何んとならば、皇道の御実現御実行なる神業は、畏くも一天万乗の至尊の御天職に在し坐すが故なり。我臣民たるものは、只々皇道の大精神、大本元を会得し、以て上御一人の御天職を忝なみ、神国臣民たるの本分を尽し、神と皇上との洪恩に報い、天津誠の神教を遵奉し、麻柱の大道を守り、忠良の臣民と成るの心掛けを、片時も忘却すべからざるなり。要するに皇道とは、畏くも天津日継天皇が天下を治め給ふ、御政道の意義にして、皇道大本は其意義の大本を根本的に奉釈し、天下万民をして、皇国々体の尊厳無比なる真理を了得せしめ、忠孝両全の日本魂を涵養し、練磨せしめむとする教庭なり。
謹んで皇道の根本、皇祖の御遺訓、皇典古事記の内容を按ずるに、古事記上巻、
『是を以て白したまふ随に、日子番能邇々芸命に詔科せて、此の豊葦原水穂国(全地球の総称)は、汝知さむ国なりと言依し賜ふ。故命の随に天降りますべしと詔たまひき。
爾に日子番能邇々芸命、天降りまさむとする時に、天の八衢に居て、上は高天原を光し、下は葦原の中津国を光す神是に有り。故爾に天照大御神、高木の神の命以ちて、天之宇受売神に詔りたまはく、汝は手弱女なれども伊向ふ神と面勝神なり。故専ら汝往きて問はむは、吾が御子の天降りまさむとする道を、誰ぞ如此て居ると問へと詔りたまひき。故問はせ賜ふ時に答へ白さく。僕は国つ神、名は猿田毘古神なり。出で居る所以は天津神の御子天降りますと聞きつる故に、御前に仕へ奉らむとして参向へ侍るぞと白したまひき。爾に天の児屋命、布刀玉命、天の宇受売命、伊斯許理度売命、玉の祖命、併せて五伴緒を支り加へて天降りまさしめたまひき』
以上古事記の御遺訓は、万世一系の天津日継天皇が、世界万国を平けく安らけく知召させ給ふ、天理(教育)人道(政治)の要義、即ち皇道の大本源を示し給へる神勅にして、幽遠微妙の神理あり。普通文章的の解釈にては、容易に其の内容の本義を窺知する事難く、偏に我皇国に幸ひ助け、天照り生ける、言霊の真解に依らざる可らざる神文なり。
古今の大学者、大哲人と唱へらるゝ輩は、上文の天降ります段を以て、空中より地上へ降らせ給ひしと解説し、或は亜細亜大陸より渡来の意義ならむなど、誤解したるは、実に憫笑の至りならずや。実に天津日継の御皇統は、世界人類発生以来、根本的に日本国に、弥栄えに栄え在し坐す事実は、皇典古事記の御内容を闡明し、実地を踏査する時は、最も明確に、判明する事を得るなり。何れも皆天津日継天皇が、天祖天照大御神の御神勅に依り、世界御経綸の要旨を、明示し玉ヘる神文なり、次に、
『於是其の祷ぎし八尺曲玉、鏡、及草薙劔、亦常世の思兼神、手力男神、天の岩門別神を副へ玉ひて詔り玉ひつらくは
此の鏡は専ら我魂として吾が御前を拝くが如、斎き奉りたまヘ。次に、思金神は御前の事を取持ちて為政たまヘと詔りたまひき。
此の二柱の神は、さくくしろ、五十鈴の宮に、拝き奉る。次に登由宇気神、此は外宮の度相に坐す神なり。次に天之石門別神、亦の名は櫛石窓神、亦の名は豊石窓神とも謂す。此の神は御門神なり次に手力男神は佐那県に坐せり』下略
以上の御本文に由るも、皇道の国家経綸を、運用する大基本を示し給へるを知る可く、其の大要を奉解せば、
(一)思兼神の本質は、天理(教育)と人道(政治)の本末を、正しく結び定むる活用を保有し玉ひ、
(二)佐久々斯侶伊須受能宮と謂ふは、皇祖皇宗の御神勅を稟け奉りて、天津日継の重要なる経綸を、結び定むる神庭の意義なり。
(三)登由宇気神と謂ふは、天賦の国の徳性と、人の徳性の本末を糺す、活用を保有し給ふ意義なり。
(四)坐外宮之度相神也と謂ふは、国家人心安穏に、天賦の国土を経綸して、子孫益々栄え、天賦の人の徳性を顕現せしむる活用を、保有し玉ふ地なる事を謂ふなり。
(五)天之石門別神と謂ふは、世界各国に、国魂相当の分限を守らしむる活用の謂なり。
(六)櫛石窓神と謂ふは、世界各国が等しく、異れる国魂の大造化力の機関たる、活用を保有する事を顕はす意義なり。
(七)豊石窓神と謂ふは、天賦の国土の天職と、人の天職を明亮にして、世の活用を司る機関、即ち天地経綸の司宰者たる、人生の本義を保たしむる活用の意義なり。
(八)御門神と謂ふは、天賦に保有せる気界及び動植物等の適当なる運用を定め、天賦の国家経綸の活用を司らしむる神業の意義なり。
(九)手力男神と謂ふは、世界を籠め結ぶる所の、智力を保ち給ふ意義なり。
(十)佐那県座也と謂ふは、人が天賦に生れ出たる、各自の国土を経綸する、性質を保ち居る意義にして、各国ともに国魂相応の天賦に順ひたる、世の活用を結び定むる事の神文なり。
斯くの如く広大にして深遠なる、厳粛なる、国家経綸の神業を総称して、皇道とは謂ふなり。即ち皇道とは、天津日継の教育と天津日継の経綸を統ベ玉ひて、天下を平かに治め玉ふ、惟神の大道なり。
斯の皇道、即ち惟神の大道を実行し玉ふ時代には、国に天災地変無く、人畜に病災無く、政争跡を絶ち戦乱起らず、人に盗欲の心無く、生活に困難を来さず、社会的の不平も無く、生死往来の真理は、実に日月の如く明かなるが故に、男女老幼共に、各自天賦の霊能を発揮して、人生の天職を全うし、各天賦の幸福を楽みて、天国の生活を為すに到らば、是れ皇道実現の神世なり、極楽の世界なり、天之岩戸開きなり、五六七の大神出現の世なり。彼の孔夫子が『天下道あれば、即ち礼楽征伐天子より出づ。(中略)天下道あれば、即ち庶人議せず』と言ヘるは実に至言なりと雖も、憐むベき哉、彼等の国体は言ふ可くして、実行し得られざる国体なるが故に、徒らに治乱興廃を繰返しつゝ、其理想の出現し、且つ成功せし事未だ例なし。其所以は、地球即ち全世界を統轄する天職を帯ばせ玉へる、天子即ち天皇は、日本皇国より外には在し坐ざるが故なり。
実に斯の尊厳なる皇道を実現して、世界の師範と成り玉ふべき天皇の御鴻業を、国民一致赤誠を以て輔翼し奉り、皇運を宇内に発揚し奉るは、皇国の国体なり矣、畏れ多くも皇道の実現実行の御天職は、上御一人に在らせられ、又日本臣民の一大努力を要すベき重大責任たるなり。是即ち天祐を保全し、万世一系の皇統を保ちて、世界を統轄するを天職と成し給ふ所以にして、天皇の自ら主宰し給ふ国家経綸を、皇道と称し奉る所以なり。
神道の本義
吾人は進んで神道の本義に移らむとす。即ち神道とは、世界各国に行はれつゝ在る宗教に対しての名称なり。今茲に論題と為したる目的は、日本皇国に於ける神道の事を以て、先づ標的となすものにして、古来神道宗教家なるものゝ本尊として、敬拝尊崇せる神々の御性格が、各別々に発揮せられ、明確に説明せられ、的確に実行されあるや、大に疑問とすべき所なり。現今日本国に於ける、神道宗教の十三派を通じて、各奉斎する神々の本質を闡明して、真個国体の精華を発揮せるものありや、頗る疑はしき次第なり。彼の天理教は、十柱の神を主神として、之を天理王尊と称へ、八埃の教を説き、神の御活動を説くと雖も、寧ろ現代に活躍すべき神理に薄き感あり。黒住教は、皇祖天照大御神を主神とし、金光教は、天地金の大神と総称する三神を本尊となし、御嶽教は、国常立尊、大己貴命、少名彦命の三神を主神として敬拝すと雖も、未だ以て神々の御本質を明確に説かず。其他の神道宗教の教理及び祭神も、亦個々別々にして、一も統一せるもの無く、却つて神道の尊厳を汚濁するものと謂ふべし。