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文献名1伊都能売神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3大正8年1月2日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2017-08-22 23:32:31
年月日1919(大正8)年1月2日(旧12月1日) 神霊界掲載号大正8年1月15日号(第78号) 11頁 神霊界八幡書店復刻版第4巻 65頁 八幡書店版伊都能売神諭50頁
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本文  艮の金神変性男子の御霊が、丹波国は南桑田郡曽我部村大字穴太の延喜式内小幡神社の御主神、開化天皇の御引合はせに由り、氏子の中の変性女子の御魂を申受けて、明治三十一年の二月の八日に、何彼の因縁を打ち明けて、弥々氏神様の御承知が出来たから、翌る日の九日の夜から女子の身魂を高熊山に連れ参りて、帰神の修行を致させてあるのも、昔の神代からの経綸の時節が参りたので在るぞよ。其折には不二の山の芙蓉坊と、男山八幡様の松岡殿とに守護が命せて在りたので在るぞよ。高熊山で女子に神界から授けた、不思議な物は今度東京から大本へ納まりた十二の鶴石でありたぞよ。弥々時節が参りて来たから、実物を今日変性女子の身魂に授けて守護いたさすから、世界の国々の様子が是からは今迄の世とは一日増して変りて来るから、此の大本の中と世界とを気を付けて見て居ると、何彼の神界の仕組が身魂の研けた人民でありたら大方の見当が付くやうに成るぞよ。今はモチト筆先にも口にも肝心の事は出されんから、自己の心を研いて悟りた上、神界の生きた御用を致して下され。神界からは誰に何役彼に此の役と申す事は言はんから、其人の心次第の御用を致さすぞよ。今度の大戦争は世の立替の三番叟が済みたので在るから、モウ是で天下泰平に世界が治まるであらうと申して歓こびて居ると大変な大間違いが出来致すぞよ。是から後になると露国の悪神さえ能う掘り出さなんだ竜宮の御宝を、今度は英米西大国が自由に致す仕組を致して居るが、此の宝は今度の二度目の世の立替の神の宝で、昔から隠して有りたので在るから、体主霊従の国魂には自由には致させんぞよ。金銀銅鉄水鉛石炭木材食物は、何程でも竜宮の乙姫が守護致して日出の神に渡してあるから、肝腎の時には掘上げて、三千世界の立直しに使ふて、五六七の神代を建るぞよ。寒い国では在れど、今まで人民の自由に致さぬ様に、態とに寒い国の広い所に創造て蓄へてありたので有るぞよ。日本の人民も外国の人民も大変な目的を立て、我の自由に致さうと思ふて一生懸命に骨を折りて居るなれど、神の宝に人民が勝手に手を掛けたら大騒動が起るぞよ。是も時節であるから、外国の身魂がモウ手を出し掛けて居るなれど、九分九厘まで行つた所で手の掌を覆して、欲の皮を脱いて見せてやるぞよ。海は一つ隔てて居りても日本の神の宝であるから、外国の自由には神界から致させんぞよ。神が一度申した事は何時になりても間違いは無いぞよ。

 日本の人民は皆天地の神の殊愛の御子と拵らへて、誠一つを貫きて世界の人民を愛撫るやうに、斯の結構な神国に生れさして在る神の容器の身魂であるから、一日半時でも泣いたり悔みたり、不足を申して暮すやうな事では日本に生れた甲斐が無いぞよ。誠の日本魂が授けてある日本の人民は、何んな難渋が出来て来ても苦しみが在りても微躯付く様な事では、神国の神民とは申されんぞよ。日本の国は天地を日夜に讃美して神の活動を致し、悪い国を善に進開き導びき、勇んで神の行為を致し、世界万国を統一守り、一家を修め身を修めて、天地に代りての大事業を身魂に享けて居る、神の御宮の神民であるから、御土も家も身も霊魂も日々清らかに致して、天国極楽の花を咲かし、実を結ぶ天職のある尊といものであるのに、薩張り外国の宗教に身魂を自由自在に汚され曇らされて、今の日本の神民の腰抜様と申すものは、ドーして天地の祖神様に顔が合はされようか。外国人の身魂よりも劣りた人民が八分までも出来て居るが、是も時節とは申し乍ら、余りの事で、腰の立たせやうが無いぞよ。夏咲く花の紫陽花の色ほど変る魂線で、此の後の世をドウして立て行かうとするのか。一つも日本魂の活動が有りはせんぞよ。今の中に一人なり共多く日本魂に立帰りて居らむと、日本の国は此儘でウツカリ致して居ると、今に外国の四ツ足の餌食に致されて了ふぞよ。夫れで綾部の大本は神界の因縁の在る結構な地場であるから、二度目の天之岩戸を開いて、日本の霊主体従の光を天晴れ世界へ輝かして、天下万民を神国に助けたさに、明治二十五年から、大出口直に艮の金神が憑りて、間に合ふ人民を引寄して経綸を致して居るので有るぞよ。それで此大本へ引寄せられた人民は、男女に関はらず、皆神界の経綸の綱が掛けて在るのであるから、充分に心を落付けて御神徳を落さぬやう、神の結構な御用に離れんやうに、能く明治二十五年からの筆先を腹へ入れて下され、筆先が少しでも腹へ這入りたら、這入りた丈の誠を尽して、日本の為世界の救助のために、力を尽して下され、尽した丈けの事は神が万倍に致して御礼申すぞよ。今が世の境の大峠であるから、国を助け人民を助ける真心のある誠の役員信者は、今の間は家や妻子に心を曳かれるやうな事では物事成就いたさんぞよ。大正の忠臣蔵は綾部の大本高天原の神境に仕組が致してあるぞよ。万古末代死なず亡びず生通しの日本義士、数は四八の瑞秀の身魂、三千世界を照らす生魂斗りを集めて、弥々敵討の段になりたら世界中の神、守護神、人民に歓こばれて、千歳の松の緑り益々青く、弥々清く、鶴は空より舞下り、地に這ふたる万代の亀は御空に舞上り、天地揃ふて穏かに松の神代と相成るから、夫れ迄に教監役員信者は用意を致しておいて下され。肝腎の性念場に成りてから何程あせりても役には立たぬから、今の世界の一寸静まりて居る間に、我一と身魂を研いて神の経綸の御用を悟りて其様の施設を致して下され。世の元の昔の初りから未だ一度も無い大望な世の立替立直しで在るから、今の世界の人民と変りて居らねば、今度の神界の御用は到底勤め上らんぞよ。中々今の役員の思ふて居るやうな立替立直しの経綸で無いぞよ。九分九厘まで行た所で一厘の経綸は人民には解らず、神は今の今まで肝心の一厘の仕組はドンナ結構な身魂にも明かして知らすと云ふ訳には行かんから、余程胴を据えて居らん事には、一厘の所に成りてから神徳を落す者が出来るぞよ。夫れで此の大本の経綸の御用致す人民は、気宥しはチツトも出来んと申して毎度知らして在るのぢやぞよ。抜刀の中に据りて居るやうの覚悟を致して居れと申して気を付けてあるぞよ。一寸でも慢神と油断が在りたら直ぐに変る恐い所の結構な所であるぞよ。来年は余程世界には国難が出て来るなれど、誠の日本魂さえ研けて居りたら別に心配は要らぬから、大本の役員信者は申すに及ばず、日本の人民も確かり致して、利己主義の行り方を変へて了はんと凌げん事が出来いたすぞよ。日本も金が殖えたと申して安心致して居るなれど、此の金は滅多に日本の役には立んから、向ふの国に預けてある金は当にならぬぞよ。早速の間に逢いは致さんぞよ。外国人に自由自在に致されて居りても、未だ気が付かぬ人民が八分あるから可愛相なものであるぞよ。日本の上の守護神に結構な日本神国の因縁が解りて居らんから、斯んな損害が出来るので有るぞよ。中の守護神も下の守護神も、薩張り盲目同様で一寸先きが見えぬから、日本も段々苦しく成るので在るぞよ。何程人民が骨を折りても天下泰平に治まると云ふ事は無いから、今度は天の御三体の大神様の御許しを戴きて、尉と姥との生神が世界の始末を就けるのであるぞよ。夫れに就ては日本の人民を道具に使ふて、二度目の岩戸開きを致すので在るから、因縁の深い身魂から地の高天原へ綱かけて引よして霊魂を研かすので在るから、今大本に御用致して居る人民は、一人も粗末に来る人を扱ふ事は成らぬぞよ。結構な神様が世に落ちて御座るから、何人に憑りて御出なさるやら、人民では解らぬから、其人の姿を見て取扱ひを替る様な事は致されんから、皆心得て下されよ。明治に成りてからの人民は追々と日本魂が外国へ移りて了ふて、人民の格といふものが低うなりたから、名よりも格よりも金銀斗りに心を奪られて、昔の剣より今の菜刀と申して、国の位も人の格も忘れて、体主霊従の行り方斗りに成りて居りたなれど、今度二度目の岩戸を開いて夜が明けたら、昔の剣を世に出して、日本魂の光を出して、天下を泰平に末永き神国の政治に立直すぞよ。綾部の大本、地の高天原へ、天目一之命を引寄して、日本魂の篭りた剣を鍛えさすぞよ。モウ時節が来たから何時から始めるやら知れんぞよ。天の斑駒も引寄して神界の経綸を開き初めるぞよ。鶴と亀とが竜宮館へ舞下がる時節が近寄りて来たぞよ。吃驚いたす事があるぞよ。珍らしき経綸の蓋を開けて見せるぞよ。

 艮の金神国常立之尊変性男子の御魂が、竜宮館の高天原を守護致さす変性女子の御魂の手を借りて、世の立直しの筆先を書きおくぞよ。今の日本の人民は外国の体主霊従の行り方に心酔て了ふて居るから、家や倉庫を立派に建並べ、要りもせぬ別荘なぞに金を惜まず、人夫を惜まず、神の大宮でも叶はんやうな贅沢な生活方をいたし、家の柱は桧作り、何も彼も桧づくめで、屋根迄も桧皮茸に致して、肝腎の氏神の社は粗末な事に打捨て、雨が漏りても柱が朽ちても、産土神や氏神の社を修繕と申す事は、金を惜みてゴテゴテ申して出さず、要らぬ事には金を湯水の様に使ふて、ヱライ人間の様に鼻斗り高ふ致して居る野天狗や、四ツ足の守護神斗りで有るから、世界に幸福き事は一つも出来は致さうまいがな。村々に仏の堂は見晴しの良い高い場所へ持つて行きて、無暗に立派なものを拵らへ乍ら、肝心の天地の祖神と氏神を地に落し、村下の低い所に小さい粗末な御宮を建て、年に一度の祭典も形斗りで、食たり飲んだり空騒ぎ斗り致して、食ふと呑むと寝る事より知らん四ツ足御魂斗りで在ろうがな。日本の人民の中に心の底から神を大切に思ふものも、丁重に御給仕をいたして、神の大恩、先祖の御恩に報いる精神の人民は、僅に一分が六ケ敷き、今の日本の神国の現状であるぞよ。今の間に一時も早く守護神が改心致さんと、肉体に気の毒な事が出来いたして、外国へ行かねば成らぬ様に成るぞよ。折角に結構な日本の国へ上げて貰ふた守護神も肉体も、神から外国行きに致されては、今迄の御魂の苦労が水の泡に成りては、モウ此の先は末代取返しの成らん約らん事とは思はぬか。我身知らずの我魂知らずと申しても余りであるぞよ。今の日本の神国は外国魂斗りが蜘蛛の巣を張りた様に、天地を搦みて居るから、天の日輪様の御威光も恐れぬ様に成りて了ふて、神国と申すのは名斗りで、暗黒の世の中であるから、上の守護神も下の人民も脚下に在る深溝が眼に付かぬ、誠に一寸先きの見えぬ盲目ばかりの世であるから、綾部の大本、地の高天原から光りを出して、身魂を照らしてやろうと思へぼ、まばゆがりて迯げて去ぬもの斗りで在るから、未だ未だ誠の事は申して与れんぞよ。誠の守護神人民は我と我身魂を研ひて、斯の大本の教を腹へ入れて下されたら、神界から何も申して与らいでも、自づと判りて来るから、結構な御用が出来て、日々勇みて嬉し嬉しで暮せる様になりて来るぞよ。三千世界に大本の神の御用ほど結構な尊とい楽もしひ御用は、何国にも在りは致さんぞよ。
大正八年一月二日 旧同七年十二月一日
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