文献名1三鏡
文献名2水鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3ミロク三会よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1928(昭和3)年06月号
八幡書店版38頁
愛善世界社版3頁
著作集
第五版161頁
第三版161頁
全集422頁
初版153頁
OBC kg132
本文のヒット件数全 1 件/国常立尊=1
本文の文字数778
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本文
天のミロク、地のミロク、人のミロクと揃ふた時がミロク三会である。天からは大元霊たる主神が地に下り、地からは国祖国常立尊が地のミロクとして現はれ、人間は高い系統をもつて地上に肉体を現はし、至粋至純の霊魂を宿し、天のミロクと地のミロクの内流をうけて暗黒世界の光明となり、現、幽、神の三界を根本的に救済する暁、即ち日の出の御代、岩戸開きの聖代をさしてミロク三会の暁と云ふのである。要するに瑞霊の活動を暗示したものに外ならぬのである。天地人、又法身、報身、応身のミロク一度に現はれると云ふ意味である。法身は天に配し、報身は地に配し、応身は人に配するのである。昔から法身の阿弥陀に報身の釈迦、キリスト其他の聖者が現はれたけれ共、未だ自由豁達進退無碍の応身聖者が現はれなかつた。故に総ての教理に欠陥があり、実行が伴ひ得なかつたのである。ミロク三会の世は言心行一致の神の表はるる聖代を云ふのである。人間にとれば天は父であり、地は母であり、子は人である。キリストは三位一体と説いて居るが、その三位一体は父と子と聖霊とを云ふて居る。聖霊なるものは決して独立したものでなく、天にも地にも人にも聖霊が主要部を占て居る、否聖霊其ものが天であり、地であり、父であり、母であり、子であり、人である。故に三位一体といつても其実は二位一体である。キリスト教には父と子はあつても母が無い。マホメツト教も亦其通りである。仏教は一切が無であつて、父も無ければ母もなく、唯人間あるのみと説いてゐる。なぜならば唯心の阿弥陀に己心の浄土と云つて居るでは無いか。今日までの既成宗教は総て父があつても母が無かつたり、母があつても父がなかつたり、変性男子があつても女子が無かつたり、不完全極まる教理であつた。天の時来つて真の三位一体即ちミロク三会を説く宇宙大本教が出現したのである。
ああ惟神霊幸倍坐世。