文献名1三鏡
文献名2水鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3神の経綸よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1928(昭和3)年07月号
八幡書店版23頁
愛善世界社版5頁
著作集267頁
第五版164頁
第三版164頁
全集424頁
初版156頁
OBC kg134
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本文の文字数1443
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本文
神は全大宇宙を創造し、宇宙一切の花とし実として人間を造つた。人間は神の精霊を宿し、神に代つて地上の世界は云ふも更なり、宇宙一切霊界迄も支配せしむることとしたのである。然るに人間は現界に生るる刹那の苦しみによつて一切の使命を忘却し、唯地上のみの経綸者として生れて来たものの様に思つてゐる位は上等の部分である。現代の科学に心酔して居る所謂立派な人間共は、人は何処より来り、何処へ去ると云ふ点さへも明かに分つて居ない。太極と云ひ、自然と云ひ、大自然と云ひ、上帝又は天帝と云ひ、阿弥陀と称へ、ゴツドと云ふも皆、無始無終、無限絶対の普遍の霊力体を指したものである。故に神とか、大自然とか云ふものは、宗教家の云ふ如く絶対的の、全智全能者でない。地上の花たる人間を疎外しては、神の全智全能もあつたものではない。けれ共、神は全智全能なるが故に人間を地上に下して、天地経綸の用をなさしめて居る。神と人と相侯つて初めて全智全能の威力が発揚されるのである。数百万年の太古より因蘊化醇されたる今日の宇宙も、人間と云ふものを地上に下し、之に霊と力を与へて各其任を全うせしめたから、今日の稍完全なる宇宙が構成されたのである。神は山川草木を或力によりて造り出したが、併し乍ら人間の活動が加はらなかつたならば、依然として山河草木は太初のままで、些しも進歩発達はして居ないのである。自然に生えた山野の草木、果実は極めて小さく、極めて味が悪い。瑞穂の国の稲穂と雖も、太初地上に発生したものは僅かに三粒か十粒の籾を頂いて居たのに過ぎない。それを人間がいろいろと工夫して、今日の如き立派な稲穂を造り出すやうになつたのである。其外一切万事皆人間の力の加はつて居ない物はない。併し乍ら人間は独力では働きは出来ない、何れも神の分霊分魂が、体内に宿つて、地上の世界を今日の現状迄開発させたのである。人間は神と共に働いて、天国を造り、浄土も造り、文明の世も造るのである。此原理を忘れて、唯神仏さへ信仰すれば全智全能だから、信心さへ届けばどんな事でも神が聞いてくれるやうに思ふのは迷信、妄信の甚だしきものと云はなければならぬ。又神の造つた宇宙には一つの不思議なる意志がある。其意志によつて人間は人間を統一し、魚属は魚属を統一し、鳥類、虫けらに至る迄、一々指導者がこしらへてある。併し乍ら釈迦の云つたやうに、地上にミロクが出現する迄は、この天地間は未完成時代であつて、蜂に王があるが如く、蟻に親玉があるが如く、真の人間界の統一者指導者が無かつたのである。要するに宇宙が未だそこ迄進んで居なかつたからである。この無限絶対なる宇宙の完成は今日迄五十六億七千万年を要して居る。故にこれからの世の中は永遠無窮であつて、いつ迄つづくか、計算の出来ない程のものである。天文学者なぞが、何億年すれば太陽の熱がなくなるとか、月がどうとか、星がどうとか云つて居る論説なぞは、取るに足らざる迷論である。いよいよ天地人三才の完成する間際であり、今や新時代が生れんとする生の苦悶時代である。今日迄いろいろの大宗教家や、聖人や学者などが現はれて宗教を説いたり、宇宙の真理を説いて居るが、何れも暗中模索的の議論であつて、一つとして其真相を掴んだものはない。故に今日迄、真の宗教もなく、真の哲学もなく、真の政治も行はれて居ない。いよいよ宇宙一切の完成の時期になつたのであるから、其過渡時代に住する人間の目からは、地上一切のものが破壊され、滅亡するやうに見えるのである。