文献名1三鏡
文献名2水鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3開祖様の奥津城よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1927(昭和2)年07月号
八幡書店版122頁
愛善世界社版87頁
著作集
第五版233頁
第三版233頁
全集
初版227頁
OBC kg199
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本文
霊界物語二段目の水獄とよく似通つた場面を蒙古で実際に目撃した事が屡々あるが、墳墓の如きも其一つである。蒙古では人間の死骸を地を掘つては埋ない、平地の上において、其上に土を被ぶせるのだから、土饅頭が出来るのであつて、至つて簡単なものであるから、どうかすると直土饅頭が壊れて、髑髏がごろごろと転び出す、随分気味の悪いものである。蒙古では地中に深く埋る事を地獄にやるのだと考へて居るので、こんな埋葬の仕方をするのである。地下三尺以下は地獄に相応するのであるから、この信念は一理あると云はねばなるまい、大本の教祖様の奥津城は左の通りに築かれて居る。
先づ地上より二尺五寸高いコンクリートの台を据え、其上に同じコンクリートで箱を作り、其中に御遺骸を納めた棺を入れ、蓋をなし、其上を又コンクリートで塗つて、所々に空気抜の穴を穿つてある。其上を又石で囲んであるので、地を掘つて埋葬しては無いのである。
因にこの奥津城は築き直されてからの方が、私の計画通になつて居るのは、不思議である。私が嘗て、こんな具合に築くのであると、描いて渡しておいた図面が、旧役員の所に残つて居るが、それを見た人達は驚き合つて居た。私は初めから今のやうな形にせうと思つて居たので、桃山御陵に似て居るとか云ふああした形にする積では無かつた。私の云ふ通りにして呉れないから、神様が官憲の手を借りて、本当のものに直されたのである。役員の中には奥津城を直させられたと云ふて、随分官憲の処置に憤慨して、矢釜しく云ふたものもあつたが、かう分つて見ると、どちらが悪いのか分つたものでは無い。