文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3日本人の抱擁性よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1929(昭和4)年05月号
八幡書店版217頁
愛善世界社版
著作集351頁
第五版66頁
第三版66頁
全集494頁
初版47頁
OBC kg291
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本文
我が日本神洲の国民は、古来、抱擁性に富んで居た。そして固有の民族性に少しの動揺を来さなかつた事は、世界の驚異とする所である。世界の文化を悉く吸収して、同化し、精錬して更により以上美しきものとして、更に之を世界に頒与する所に、日本人の生命があり、使命があるのである。然し横に世界文化を吸収して之を精錬すればする程、縦に民族性が深めらるべき筈だのに、現代の日本は外来文化の暴風に吹きつけられるほど、固有の民族性の特長を喪ひつつある状態は、恰も根の枯れたる樹木に均しいものである。日本人は、日本人として決して何物によつても冒されない、天賦固有の文化的精神を持つて居る筈である。それが外来文化の浸蝕に由つて、失はれんとする事は、祖国の山河が黙視するに忍びざる所で無くてはならぬ。斯の如き時に際して、天災地変が忽焉として起り、国民に大なる警告と反省を促した事は、近代に始まつた事で無く、実に建国二千五百年の災変史の、黙示する所の大真理である。近くは元和、寛永、慶安、元禄、宝永、天明、安政、大正に起つた大地震と当時の世態人情との関係を回顧するも、蓋し思ひ半に過ぐるものがあるではないか。
扨て我国の記録に存するもののみにても、大小一千有余の震災を数へる事が出来る。其中でも最も大地震と称されて居るものが、百二十三回、鎌倉時代の如きは平均五年目毎に大震災があつたのである。覇府時代には大小三十六回の震災があつた。然も我国の発展が、何時も是等の地震に負ふ所が多いのも、不思議な現象である。奈良が滅び京都が衰へ、そして江戸が大に興隆発展した歴史の過程を辿つて見れば、その間の消息が能く能く窺はれる。全体我国の文化その物は、全く地震から咲き出した花の様にも思はれる。天神天祖、国祖神の我国を見捨て玉はぬ限り、国民の生活が固定し、腐敗堕落の極に達した度毎に、地震の浄火が忽焉と見舞つて来て、一切の汚穢を洗滌するのは、神国の神国たる所以である。古語に曰ふ「小人をして天下を治めしむれば天禄永く絶えん、国家混乱すれば、天災地妖到る」とあるのは自然と人生の一体たる事を語つたものである。人間が堕落して奢侈淫逸に流れた時、自然なる母は、その覚醒を促す為に、諸種の災害を降し玉ふのであつて而も地震は其の極罰である。我国に地震の多いのも神の寵児なるが故である。自然否天神地祇の恩寵を被る事の多いだけ、それだけにその恩寵に背いた時の懲罰は一層烈しい道理である。若し地震が起らなければ、人震が発りて其の忿怒を漏らすに至る。近くは天草四郎や由比民部之介、大塩平八郎乃至、西郷隆盛の如き皆この人震に属するものである。