文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3輪廻転生よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1930(昭和5)年07月号
八幡書店版96頁
愛善世界社版
著作集
第五版147頁
第三版147頁
全集548頁
初版122頁
OBC kg352
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本文の文字数1226
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本文
凡そ天地間の生物は、輪廻転生の法則を辿らないものは無い。蚕が蛹となり孵化して蝶となり産卵するのも、ガツト虫が蛹となり、糞虫が孵化して蝿となり、瀬虫が孵化して蜻蛉となり、豌豆が蛹となり羽を生して空中をかけり、麦が蝶と変じ、米は穀象虫と変化し、栗の木から栗虫が沸き、椢のあまはだから甲虫が発生する等は、いづれも輪廻転生の道をたどつて居るのである。
或老人の話に、田舎寺の高い梁の上に雀が巣を組んで雛をかへしてゐたところ、蛇が其雛を呑まんとして、寺の柱を這ひ上り、巣に近よらんとして、地上に転落し、庭石に頭をぶつつけて脆くも死んで仕舞つた。それを寺男が、竹の先に挟んで裏の竹藪へ捨ておいた。四五日経つて、雀の雛がけたたましく鳴き叫ぶので、寺男が訝り乍ら近よつて調べて見ると、数万の赤蟻が列をなし、柱から屋根裏を伝うて雀の巣に入り、雛の体をとりまいてゐる。蟻の列を辿つて行つて見ると裏の藪の中に、縄を渡した様に赤蟻が続いて居た。その出発点をしらべて見ると、四五日以前に捨てた蛇の死骸が残らず赤蟻に変化してゐたといふ。
執念深い蛇の魂が凝り固まつて赤蟻と変じ、生前の目的を達せんとしたのである。実に恐ろしいものは魂のはたらきである。
又其爺さんの話に
或夕暮、鼬と蟇とが睨み合つて居たが、蟇は三四間もある距離から、鼬の血を残らず吸ひ取つて仕舞つたので鼬はその場に斃れて仕舞つた。さうすると、蟇の奴のそりのそりと鼬の死骸の傍へ這ひ寄つて、足を咥へ雑草の中へ隠して仕舞つた。それから四五日経つと、鼬の死骸が残らず蛆となつて居た。それを執念深い蟇の奴、又もやのそりのそりと夕暮近く這ひよつて、一匹も残らず、その蛆をぱくついて仕舞つたと言ふ。
斯くの如く生あるものは必ず転生し、且つその魂は恐るべき魔力を持つて居る事が悟られる。况んや人間の霊魂に於ては、一層その力が発揮され、輪廻転生の道を辿つて、或は蛇と変じ牛馬となり、犬猫となり生前の恨みを報いんとする恐ろしきものである。
犬に噛まれたり、馬に蹴られたり、牛に突かれたりして、命を捨つる者、皆それぞれの恨まるベき原因を持つて居るので、自業自得と言ふべきである。
神様は愛善の徳に満ち給ふが故に、如何なる悪人と雖も罪し給ふ様なことはないが、人間の怨霊位恐ろしいものは無い。故に人間は人間に対し、仮にも恨まれる様な事はしてならぬ。どこまでも愛と善とを以て地上一切に対すべきである。人間の怨霊が、猛獣毒蛇となり、その人に仇を報いたり、或は牛となつて恨みの人を突き殺したりして、禍を加ふるのであつて、神様が直接に罰を蒙らせらるる様な事は全然ないものである。
仁慈無限の神様は、総ての人間が、私利私欲の念より相争ひ、相殺し、恨み恨まれ修羅、餓鬼、畜生道に堕行く惨状を憐れみ給うて、至善至愛の惟神の大道を智慧暗き人間に諭してその苦しみを救はんが為に、神柱をこの地上に降し、誠の道を説かせ給ふのであつて、実に有難き大御心である。