文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3鈿女物語よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1930(昭和5)年09月号
八幡書店版353頁
愛善世界社版
著作集
第五版163頁
第三版163頁
全集558頁
初版136頁
OBC kg363
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本文の文字数788
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本文
石器時代の信刕安曇野は一面の沼地であつた。その当時、安曇野の一角に高く聳えて居た有明山には、恐ろしき山賊の群が棲んで居た。(又八面大王との説もある)天の岩戸を切り開いた手力男命の後裔に、一人の美しい姫があつた。この姫の名を鈿女姫といふ。姫は何んと思つたか、父母を棄てて家出をした。それで両親等は、姫の行衛に就いて各々心当りの方面を探して見たが、容易に判らなかつた。そのうちに何処からともなく、姫は信刕の有明山に居るとの噂が故郷にパツト拡まつた。早速姫の行衛を探らうと、近親者数名は遥々信刕路を尋ねたが目的の有明山には姫は見へないで、有明山の程近くで姫は病死したとの事が、風の便りに耳に入つた。それが今日の鈿女屋敷附近である。姫が松川村で倒れるまでには、又左の如うな伝説が残つてゐる。
故郷を去つた姫は、あてどもなく諸国を彷徨して何時か信刕路に足を踏み入れ、有明山の麓に姿を現はした。そして有明山に棲む、前記の山賊どもに発見されて了つた。山賊は姫の色香に迷ひ、岩窟に導いて自由になれとせがんだが、姫は頑として応じなかつた。山賊は踊りが大好物であつた。ある日のこと姫に向つて踊りが出来るかと質した。姫は心能く承諾を与へた、そして姫の踊りは堂に入つたものであつた。或夜のこと、毎晩の通り山賊は姫の踊りを懇望した。併しその夜に限つて岩窟の外で踊れと命じた。姫の踊りで山賊の一味は全部酔つて了つてウトウトとして寝に就いた。姫はこの時と斗り逃げ出して身を脱れた。後刻になつて姫が逃げたと判つて、有明山の一帯は大騒ぎとなつた。姫は逃げる事は何うやら逃げ延びたが、藪原の中を、所きらはず逃げ廻つたので、至る処に生傷を負うた。これが因となつて姫は遂に世を去つた。村人は姫の死んだ処に小祠を建て其霊を鄭重に祀つた。そこを通称鈿女屋敷と呼んで居る。里人は記紀天岩戸開きの天鈿女命なりと云つて居る。