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文献名1三鏡
文献名2月鏡
文献名3信濃国皆神山
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
OBC kg381
本文の文字数1257
本文のヒット件数全 3 件/地教山=3
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本文  信濃の国松代町の郊外にある皆神山は尊い神山であつて、地質学上世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である。四囲は山が十重二十重にとりかこんで、綾部、亀岡の地勢と些しも違はぬ蓮華台である。唯綾部は日本の山脈十字形をなせる地で、これは又世界的であるだけの違ひである。大石凝真素美翁は、此地に帝都をおかれたなら万代不易の松の代を現出することが出来ると主張し、世界中心遷都論を唱へて囹圄の人となつた事実がある。真素美翁ばかりでなく外にもさういふ説を唱へた人があるが、最近飛行機が盛になるにつれて東京は安全の地でないと云ふ見地から、信州遷都論が一時或有志によつて伝へられた事があるが、全く此皆神山は蓮華の心に当つて居るのだから、四方の山々に砲台を据ゑつけてさへ置けば、如何なる飛行機をもつてしても襲ふ事は出来ぬ安全地帯である。こんな要害のよい所は、世界中外にない。霊界物語にある地教山は此山である。素盞嗚命が高天原なる天教山より下り、母神の坐ますこの山にのぼりたまふた事実も、そつくりあの通り出て来たのである。私は明治三十一年高熊山にて修行中、神懸りになつて、一番につれて来られたのが天教山の富士山と、この皆神山とである。霊界で見た山はこれよりもずつと大きく美しかつたが、大体の形は今見るのと些しも違はぬ。眼下に見ゆる大溝池、あの形に型取つて金竜海は造つたのだ。十五丁目から頂上まで僅か三丁であるけれど、霊界で一里以上に見え、神界では百里以上に見えた。世界十字に踏みならすの御神諭も大に味はふべき事である。神代歴史にある地名は皆此処にある。天孫の降臨地と云ふのはここの事であつて、其昔の天教山(今の富士山)は印度のヒマラヤ山(地教山)の三倍以上の高さを持つて居た事は嘗て話しておいた。(霊界物語舎身活躍子の巻第一章参照)即ち雲表高く聳えて居たので、ここを高天原と云うて居たのである。その高地から降つて、この地に来られたのを天降られたと云ふのである。邇々芸之命より神武天皇迄は実に百三十六万年の年月を経過して居るのである。
 この山は政治地理的に云へば、長野県埴郡豊栄村に属し、御祭神は熊野出速雄の神で、綾部の産土神と同じである。往昔素盞嗚の尊がこの山で比良加を焼かれたのが陶器の初めである。私も帰るとこれを記念に新しい窯を築いて陶器を初めるのである。
 皆神山上十五丁目の地点に腰を卸されて、山上の垂訓にも等しい教を垂れられた時、日輪聖師の上に御光の陽笠をかざした如く、言語に絶した崇厳な光景を現出した事を附記さして頂きます。尚ほ智慧証覚によつて思ひ思ひに取れる、神秘の神話は未だ発表の時期で無いと存じ略さして頂きます。
 霊界物語によると地教山はヒマラヤ山とありますが、日本にあることは皆世界にある訳であります。
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