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文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3素尊御陵よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
神の国掲載号1930(昭和5)年02月号 八幡書店版134頁 愛善世界社版 著作集 第五版219頁 第三版219頁 全集592頁 初版185頁
OBC kg411
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本文  岡山県和気郡熊山の山頂にある戒壇は、神素盞嗚大神様の御陵である。古昔出雲の国と称せられたる地点は、近江の琵琶湖以西の総称であつて、素盞嗚大神様のうしはぎ給うた土地である。湖の以東は天照大神様の御領分であつた。この故に誓約は其中央にある天の真奈井即ち琵琶湖で行はれたのである。出雲の国と言ふのは、いづくもの国の意にて、決して現今の島根県に限られた訳ではないのである。素盞嗚大神様は八頭八尾の大蛇を御退治なされて後、櫛稲田姫と寿賀の宮に住まれた。尊百年の後出雲の国の中、最上清浄の地を選び、御尊骸を納め奉つた。これ備前国和気の熊山である。大蛇を断られた十握の剣も同所に納まつて居るのである。彼の日本書紀にある「素盞嗚尊の蛇を断りたまへる剣は今吉備の神部の許にあり、云々」とあるが熊山の事である。この戒壇と称ふる石壇は、考古学者も何とも鑑定がつかぬと言うて居るさうであるが、其筈である。
 因に熊山の麓なる伊部町は伊部焼の産地であるが、大蛇退治に使用されたる酒甕は即ちこの地で焼かれたものである。伊部は忌部の義であり、又斎部の意である。
 筆者申す、昭和五年五月二十日旧歴四月二十二日聖師様は熊山に御登山になり御陵に奠せられましたので、筆者も随行致しました、当時の記事を御参考の為め掲載させて頂きます。
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