文献名1三鏡
文献名2玉鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3世の大峠と信仰よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1932(昭和7)年06月号
八幡書店版78頁
愛善世界社版58頁
著作集
第五版101頁
第三版102頁
全集
初版77頁
OBC kg551
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本文
神様は人間を神に似せて造り給うた。然るに国祖御隠退以後の世界は、八頭八尾の大蛇や金狐の悪霊、六面八臂の邪鬼のすさびに犯されて、だんだんと神様と離れて悪魔に近い人間になつて仕舞つた。人道日に廃れ、世の為め人の為め、国のためなど考ふるものはなく、ひたすらに私利私欲にのみ耽る世の中になつて仕舞つた。この儘で進んでいつたならば、世界も人類も滅亡するより外は無い。これはどうしてもここに一大転換が来て、全人類が廻れ右を断乎として行はなければならない事になるのである。悪魔を離れて神様に向はなければならない時が来る。かかる転換の期に当つて、人類は可なり重大なる苦しみ艱みの上に立たせらるる事は必然である。日常神を信じ神に従ふ大本の信者の上にも同じ艱みは落ち来るのである。大本信者のみが独りこの苦しみを脱れて、特別の場面に置かるるやうな虫のいい考へをして居たものも往々にして昔はあつたが、さういふ訳には行かぬ。唯真の信仰にあるものは、かかる際神様にお縋りする事の出来る強みをもつて居る。そして常に教へられつつあつた事によつて、先が如何になり行くかの見当をつける事が出来る。この二つの信念の為め、唯自己をのみ信ずる無神無霊魂者より、遙に容易くこの難関を切りぬける事が出来るのである。
人間の力をのみ頼みて生活しつつある人々が、人力をもつて如何ともする事の出来ない事実に遭遇する時、其艱みや名状すべからざるものがあらう。
人間は造られたるものである。造り主たる神様の御意志にしたがつて行動してさへ居れば、間違ひないのである。来らむとする大峠に際し、信仰無き人々をそぞろに気の毒に思ふ。