文献名1三鏡
文献名2玉鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3信仰と病気よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
神の国掲載号1932(昭和7)年05月号
八幡書店版465頁
愛善世界社版285頁
著作集315頁
第五版343頁
第三版345頁
全集
初版295頁
OBC kg810
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本文
人間はどんなものでも精神の作用をうけないものはない。例へば、恥かしい思ひをすると顔が赤くなるし、驚くと蒼白になり、怒ると黒くなり、又それが烈しくなると青黒くなるものである。それは精神作用を現はしたもので、精神作用によつて血液の循環が旺にもなる。又病気の如きも精神作用によつて左右されるものである。従つて信仰があれば病気は癒るものである。絶対無限の力を有し、愛にまします神様が助けて下さると信ずれば病気は癒る。薬にたよるやうな精神では癒りにくい。一般の人は肺病は不治の病だと思つて悲観してゐるが、神から見れば何でもない病気である。病気を気にして朝晩検温器を使用し、熱の一上一下を気にするやうでは却つて病気を重らしめるものである。検温器は殺人器みたいなものだ。
すべては気の持ちやうである。例へば、梅干のことを考へただけでも酢つぱい気持になる。失望落胆すれば身体がえらいし、希望が出れば勢が強くなる。
病気のごときも、キリストの云つたごとく「汝の信仰汝を癒せり」と云ふごとく、その人の信仰の力によつて病気が癒るのであつて、癒る人の力が大部分で、神の愛と和合して全快するのである。常日頃信用する人に触つて貰へば病気も癒るが、信用してゐない人にお願ひして貰つても病気は癒りにくいやうなものである。信用の強い人は、王仁の書いた短冊や雑誌などで撫でただけでも癒る。全く信仰の力である。
精神力によつて黴菌も殺すことが出来る。もし病気が医者の力のみによつて癒るものならば、医者が病気をする筈もなければ、又病院の裏門から死体が運び出されるやうなこともない筈である。今日の薬学で、確実に薬品の効力があると云ふものは僅かにすぎない。
大本はウーピーの宗教として楽天主義を尚ぶのは、人の精神力を旺盛にせむがためである。そもそも病気には先天的のものと後天的のものとの二種類があり、しかも各これに三種類あると称へられてゐる。第一はどうしても死ぬ病気、又放任しておいても癒る病気。第二は生死は医者や信仰の力によつてどうにでも決定さるべきもの。第三は予後不良の病気である。
王仁も嘗て医学を学んだことがあるが、医学を学ぶと黴菌や塵が非常に気になるやうになるもので、生水を飲むのも恐い感がおこるものである。
先天的の病と云ふのは親からの遺伝である。肺病は不治の病と云はれるが、肺病は癒らないことはない。信仰に徹底せないから癒らないのである。人間は心配が一番悪い、否心配即ち心配りをするのは結構であるが心痛するからよくない。今日では心配と心痛とを混同して考へてゐる。心を痛めず笑つて暮すやうにすると、誰でも百二三十歳までは生きられるものである。