文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3大正5年旧7月23日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1916(大正5)年8月21日(旧7月23日)
神霊界掲載号大正6年8月1日号(第50号) 12頁
神霊界八幡書店復刻版第1巻 328頁
七巻本第1巻 261頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻150頁
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成57頁
OBC os044
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本文
天照皇大神様の御出ましに成るに就ては、世の立替を致さんと、今度の二度目の天岩戸開きは、末代に一度より無いと言ふやうな大望な事であるから、何時の筆先にも三四月、八九月と申して知らして在ろうがな。何事も世界にある事を先きに知らせる、出口直の御役であるから、知らして在る事は皆世界中の事であるから、世界の傍から始めると申して、音姫どのが岩の神、荒の神御二柱を御苦労に成ると申して、御越しに成りたで在ろうがな。今度の外国の大戦争は、人民同士の戦争と思ふて居ると、大間違であるぞよ。日本の国の天と地との先祖と、向ふの国の先祖と神と神、国と国との大戦争であるから、日本は霊の元の根の国であるから、露国へ上げて在る悪の強い極悪神が、茲まで悪を拓く位な悪魔力が有るから、今までは我の思ふやうに、不足の無いやうに、好き候に致して来たのを、末代の事をモウ是で為る事の無いやうに、日本の国の天地の先祖が、蔭に成りて斯の世に無い神に成りて、世を潰さんやうに守りて居りたから、未だ是位で世が乱れなりに立ちて居るのであるぞよ。世の本の力のある生神は、斯世にないと思ふて、此世を悪で搦みて、仕放題の贅沢をいたして居りたが、茲までに致したらヨモヤ不足は在ろまい。不足がモ一つ在るのは、天地の先祖が許さんぞよ。日本の国に神は無いと、未だ今に思ふて居る露国へ上りて居る、先祖の悪神の精神は、茲までの悪を働く極悪の性来の霊魂なれど、末代の企みを為して居る事は、天地の先祖がモウ許さんぞよ。茲までは極悪神の思ふやうに来たなれど、此先きの末代の仕組て居る事はモウ時節が許さんから、全部水の泡と成るぞよ。此先きの戦いの経綸も、エライ企みを致して居るなれど、日本にも一寸の経綸が為てあるから、日本の国では地面が狭いから、海外の国で日本は神力なり、外国は学力なりの力比べをいたして、日本の先祖の神力を見せてやるぞよ。時代時節で茲までは世に落ちて居りたなれど、世の本の押籠られて居りた、昔から肉体の其儘の生神の、神力の出る世が参りたから、天照皇大神さまの御出ましに成るに就て、変生男子と変生女子との身魂が一つ心になりて、富十神山で和合させるから、出口直に人の能う行かん処へ往て呉んならんと申して在りたが、今度揃ふて行て下さりたらば、ミロク様の御歓びであるぞよ。今度帰りてからミセン山で和合させるぞよ。何彼の時節が参りて、善い事も悪い事もイヤな事も、世界は一度に成ると申してあるが、筆先に出した事はチト違ふと宜いが、毛筋も違はん出て来るぞよ。日本の守護神が大きな取違いを致して、元からの日本魂の性来が、無い様に成りて居るから、天地の先祖の神の御恩といふ事は解らんやうに、国中が曇りて了ふて居るぞよ。天地の先祖の御恩の解る守護神でないと、心に誠といふ事が無いから、今度は天地の御恩も分らんやうな守護神が、我も私もと申して行て貰ふと、却りて不可ことが出来ると悪いから、平たう申して気を注けるぞよ。
沓嶋いでも初発には、直に冠嶋へ参りて呉れと申した折も、中々六ケ敷かりたで在ろうがな。世の元の生粋の荒神が、世に落ちて居る所じゃと言はずに、蔭然参りたで在ろうがな。沓嶋へ落ちて居ると言はずに、初発には参らしたで在ろうがな。昔の生粋の神の世に落ちて居る尊い処へ、陽気参りの様に思ふて、直に神徳を貰ふやうに思ふて行て貰ふと、漸々参れんやうに成るぞよ。沓嶋へ参るのも此先きは心得んと、沓嶋は大神の行場であるから、外へ参る様に思ふて行くと、却りて不礼に成るから、出口直は控え目なから、一言申して知らすぞよ。昔の生神を世に上るのに、此の曇りた世の中に、我も私もと申して、如何人民も修行も致さずに、彼れだけ烈しい処へは、ズット参られん肉体が沢山あるぞよ。此先は此方から申すやうに致さんと、却りて気障りに成るぞよ。申すやうに致したら宜いなれど、今の人民は心が反対で、神の申す事を聞かんから、思ふやうに行かんのであるぞよ。素直な人民此方は好くぞよ。