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文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3大正元年旧10月5日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2017-07-25 20:05:50
年月日1912(大正1)年11月13日(旧10月5日) 神霊界掲載号大正6年9月1日号(第51号) 11頁 神霊界八幡書店復刻版第1巻 375頁 七巻本第2巻 104頁 五巻本未調査 三五神諭なし 東洋文庫天の巻なし 東洋文庫火の巻85頁 連合会水の巻なし 大本史料集成未調査 庶民生活史料集成34頁
OBC os056
本文のヒット件数全 2 件/国常立尊=2
本文の文字数5929
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本文  大国常立尊変性男子の御魂が、出口の守と顕はれて、世界の守護致すぞよ。世の元の根本の生神であるから、此生神が天晴表に現はれると、何も判りて来るから、辛い守護神が出来るなれど、此方が表になりて覇張るのではないぞよ。斯ういふ世に成る事を能く知りて居る、大元の先祖であるからと申して、覇張りたのではなかりたぞよ。天と地との先祖の造り固めた世であるから、先祖の元の神でないと、世界中の事が判りはせんぞよ。外国の神では、元にこしらへてある事がわからんから、誠の世の洗濯はできんから、何遍でも世が後へ戻りて、斯ういふ困難な世が参りてきたのぢゃぞよ。今度の二度目の世界の大立替えは、末代に一度ほか無い、大望な世の立替であるぞよ。立替立別なら、何うなりと致して、無茶で致せばできるなれど、後の修理固成の大事望が、中々骨の折れる事であるぞよ。一ト色や、二タ色や、三色や、五色や、十色でないぞよ。何につけても大望ばかりであるぞよ。世の立替は何時でも始めるなれど、後の立直しの御用致す適材が揃はんと、立替した丈なら埒は良いなれど、立直しの御用致す守護神も、使はれて居る肉体も、水晶の心に磨けんと、神の御用に間に合はんから、斯ンなに六ケ敷う申すのであるぞよ。神の世一代の中には。末流の神に何ンな世をもたして見てあるが、神が見て居れば、皆われよしの世の持方ばかりでありたぞよ。天と地との先祖の神の心は、今に些ッとも息むといふ事は無いぞよ。此世ができてくるから、変性男子の御魂と変性女子の御魂が、産霊てありたといふ事が、毎度筆先に書かしてあらうがナ。此世がきた折には、世界中の困難となりて、何方の国にも、金銭の入用は程知れず、金融はだんだん逼迫になるし、何う為様も無きやうに、一旦世界中は火の消えたやうに成るから、斯うなりた折には、元の其儘の、まことの神が現れて、二度目の世の立替を致さねばならんから、此方が世に落とされたのも、御都合のことであるぞよ。世に落とされた御魂と共々に、苦労艱難、口惜き事を致し、耐忍つめてきた身魂でないことには、今度の御用は出来致さぬのであるぞよ。大本へ入りてきて、有難いばかりでは、今度の御用致すのは、神の因縁性来のわかる身魂でないと、只有難いばかりでは、結構な御用はできぬぞよ。善い守護神もあれば、悪るい守護神もあるから、其事がわからんと、悪るき守護神がでてくるから、よく見わけぬと、表皮善く見せて、悪神がでて来るから、審神者が余程骨が折れるぞよ。われの心が曇りて居ると、曇りて居る霊魂がわからんぞよ。余程見わけんと、善い方へは挙げられんぞよ。わかりて来る程、われも私もと申してでて来るぞよ。暑さ凌いで秋吹く風を待てど、一旦世界は寂しくなるぞよといふことが、筆先で知らしてあるぞよ。余まり富貴た、仕放題に致して来た御魂の肉体は、心が何となう寂しうなるから、斯うなりた折に、これ迄の心を持ちかへて居らんと、難渋なことが世界からでてくるぞよ。斯うなりてくるまでに、身魂に今迄の心を持ちかへて居るやうに、続いて日々知らしてありたが善いことも悪きことも一度に出て来るといふことが、毎度変性男子の御魂の出口直の手で今に知らしてあるのに、誤解を致したり、何もわからずに能いことばかりに眼を付けて居ると、大間違いができるから、間違の無いやうに、綾部の大本は、世界の元となる尊い所であるから、初発には皆に行がさしてあるなれど、真正の行をさしたら皆逃げて去ぬから、たらして茲までは来たなれど、綾部の大本は、世界の元となるのであるから、何事も大難事であるぞよ。大望大望と申すのを、取り違をして居る人がまだ多数あるぞよ。出口直に口で言はした事も、手で書かした事も、毛筋も違ひの無いことであるぞよ。些ッとも違ひられん事であるから、余り早うは言はれん事であるぞよ。早う申すと神界の都合で、些ッと延びる事があると、筆先が嘘でありたと申して、御蔭を堕す者が出来るし、真正の事は猥りに人には言はぬし、言はんでお蔭を墜とすし、出口を雁尻巻に致して置いて、門へも出さずに、茲まで漸う漸う出来をさしたぞよ。中々辛い取次であるぞよ。綾部の大本は、遠国から開けてくるぞよと申してあらうがナ。何も違はん、遠国から早く解る人が出て来るから、近傍の人が恥かしき事が出来ると申して、筆先に書いて知らしてあらうがな。此綾部の郡長、警察、役場が、世界へ恥かしき事が出来ると申して知らしてあるぞよ。余り判らんと恥かしくなりて、逃げて去なならん様になりて来るぞよ。何彼の時節が遅くなりて居るから、立替と、先きの立直しの御用が同時になりて、良き事と悪るき事とが、今に出て来るぞよ。遠国から出て来る鼻高者に、割りと早く改心が出来て立直しの御用が予想とは早くなりて、外国の方が改心が早うならうも、知れぬといふことも知らしてあるぞよ。立替が大層延びて居るから、初めから物事は迅いといふ事も知らしてあるぞよ。近傍程天理が判りて居らぬぞよ。遠国の人が一度参りて来ても、良いお蔭を取りて去ぬ人が、向後は段々出来るぞよ。燈台下は真ッ暗がりであるが、神は困るのではない、其人が可哀想なからと申して、耳にタコの出来る程知らしてあるぞよ。斯教は人を引ッ張りに行く道で無いなれど、余り今の人民が判らんので、神が見て居れんから、取次をこしらへて引ッ張りに遣りたなれど、余り出口を世に落としてありて、見当の取れん御用がさしてあるから、疑ふのは尤もであるぞよ。今度の御用は、人民が何程寄りて来たとても、因縁のある身魂でないと、大本の神秘の御用は出来んぞよ。人民力でも、智慧でも、学でも出来ん大望な事があるのじゃぞよ。又人民で出来ん御用は、太初の荒神が、実行を致すから、この世の鼻高が、往生致して、此世にはゑらい神があるといふ事を悟るぞよ。又真正の鼻高が一度にわかりて来て、ゑらい御手伝をなさるぞよ。この世が来るから、変性男子と変性女子の身魂が造へて在りての、今度の二度目の立替であるから、男子は筆先で世界の根本の事から、万古末代残る世の政策を書かしてあるなり、女子は世に出て居れる方の事を、この世は斯ういふ事に成りて居るといふ事がさしてありて、初発はまるで敵のやうでありたなれど。厭ナ事は皆縁類にさして見せてあるぞよ。変性男子の規則破りの懲戒を、天から御赦しを戴きた御蔭で、二ツに分れて居りた霊魂が一ツになりて、天晴と表に現れて、三千世界の守護に懸ると、世界は大分騒がしうなるなれど、速く立替を致さんと、向後の立直しが遅くなると、世界中が困る事が出て来ると、何も知らぬ人民が可哀想ナから、立替と立直とが、一所になる事も、筆先に今まで何遍も知らしてあるぞよ。変性女子のつとめも変りて、坤の金神に納まりて、皆和合が出来て結構であるぞよ。何も仕組通りになりて来るぞよ。悪の守護神に使はれて、改心の出来ぬ肉体が、此先は可哀想なれど、茲まで知らして気がつけてあるのに、今に解らん守護神に、使はれて居るやうな肉体に、言ひ聴して居る暇がないぞよ。今度の二度目の世の立替と申すのは、さッぱり世の洗ひ替であるから、何につけても大望であるぞよ。今度の大望は、天ばかりでも出来ず、地だけでも出来ん事であるから、三体の大神が地上へ降りて手伝ふてやらんと、地丈では出来んぞよ。国常立尊の仕組通りに致さねば、外の守護神が混ぜ返すと、総ての事が遅くなりて、世界中が困るから、向後は神の不可といふことを致したら、その場で懲罰を致すぞよ。これからは、此中は一日増しに変るぞよ。実地を申しても、真実には致さんから、何事も遅くなるのじゃぞよ。一度できけば、物が迅うなるなれど、人民は、自己が身をせめるのであるぞよ。是から未だ疑ふて、我を出して、われの思ふやうにする守護神に、使はれて居る肉体でありたら、じりじり舞ひを致すぞよ。素直に致す守護神であるならば、すぐから楽に生計るなり、ならんといふ事を、聴かずと致したら、苦しみが出来るぞよ。苦しみ度くば、筆先を背いて、何なりと致して見よれ。心の中でジリジリ舞ひを致すぞよ。従来とは、物事がさッぱり変るから、申すやうに致さな、その人に苦しみが出来るだけであるぞよ。
 これ迄の世は、眷属が覇張りて、大将無しの世になりて居たから、さッぱり世が上下へ顛りて、人民の致すことが皆倒さま斗りで、神の尊慮に協はぬ事ばかり外、出来て居らんぞよ。是迄に世の立替はありたなれど、真正の世の立替は一度も出来ては居らんぞよ。世を何遍立替致しても、肝腎の大立直しを致さずに、立替してあるから些ッと行きよると、又世が後へ戻りたなれど、今度の二度目の世の立替は、末代に一度ほか無い世の立替であるから。下拵へに隙が要りたのである。当座や金の立替では、早刻に後へ戻るぞよ。今度の立替を致したら、巌な松の世になるから、今度の事は何につけても大望であるぞよ。立替は埒能う致した所で、後の立直しが中々大望であるぞよ。立直しの守護致す守護神は、昔の元の大和魂の、些ッとも混ぜりの無い御魂でないと、向後はズンダラな守護神は、一と方も使はんから、世に落ちて居りた荒神の守護神を、大望な御用に使ふぞよ。中々御苦労な御用であるから、世に落ちて居れる守護神でない事には、世に出て居れる守護神では、出来ん事をして貰はな成らんから、六ケ敷と申すのであるぞよ。世に出て居れる身魂は、行といふ事がして無いから、真正の神の御用は出来ぬから、それで上下へ御用をかへてあるぞよ。世が悪る開けに開けて、元の先祖の大慈悲といふ事が、末流の神に無いゆゑに、信実が些ッとも無いから、世が悪るくなるばかりで、今の難渋であるぞよ。他の苦労の結果で世を持ちて見ても、心に誠の無い守護神ばかりでは、世が持てさうな事は無いぞよ。此方が世に落されて、此世に無い神に強いられて居りても、世界の根本から、この世を蔭から構ふて居りて、仕組がしてあるので、仕組通りに何彼の事が、世界から出て来るばかりになりて居りても、守護神に、今に判らんやうな事では、真正の神とは申されんぞよ。
 前後の事が見え透いて、暑さ寒さは構もいたさずに、夜分に足を伸して寝るといふ事も致さずに、世界を潰してはならんから、昔からまだ楽といふ事はなしに、引続いて世界の守護して居るぞよ。ズンダラな守護神は、利己主義で、他は何うでも、自己さへ善けら善いで、糊口に致して来た守護神は、後向が大変に辛うなりて来るなり、辛かりた守護神は、神のお蔭が現はれるぞよ。これからは天と地との先祖が、何にも指図を致すから、今迄の世の持方とは、天地の変動になるぞよ。斯ういふ醜しき世になりたのは、従来の世は、上ばかりで、下の無い世になりて居りた故に、下の政治が出来て居らんから、地の世界に大将が無かりたから、地の世界を働く守護神が、怖いもの無しになりて、利己主義の強い者勝ちとなりて居るから、何も判らん畜生界であるぞよ。
 日本の国は佛や学では不可ン国であるのに、佛と学で日本の国の人民の精神を、さッぱり盲目聾者に致して仕舞ふて、今では全然四足の守護となりて、神はこの世にあるものかと申して、学さへありたら、此世は何ンな出世もできると申して、結構な日本の国を、斯のやうな醜しき国にして仕舞ふて、実地の神の眼からは、眼を開けて見られんやうになりてきたぞよ。今の日本は小さい国ではあれど、世界の結構な国であるから、外国へ与ることはできん神の国であるのに、肝腎の大和魂は、外国魂になりて了ふたのが、九分あるぞよ。竜宮の乙姫殿の御宝は、末代世の元の本の宮へ納まる世が循りて来たぞよ。斯うなるにつけては、上は上の行、下は下相応の行ひを致して区別を立て、何かの規則を決めるぞよ。規則通りにいたさねば、向後の世は厳しくなるぞよ。これまでとは天地の違ひに変るぞよ、真正の身魂が揃ふたなれば、如何にいたしてもビクともいたさねど、神界では直のつぎつぎ、一の番頭、二の番頭から改心させるぞよ。大本では、一の番頭二の番頭は役員であるぞよ。何程元が艱難をいたして、天地の御先祖を世にださうと思ふても、皆の心が揃はぬと、中々大望な御用であるから、自己が早く出世したいやうな事では、事物が成就致さんぞよ。大望であるから、誰にも解らん仕組が致してあるから、仕上らんと実地の事が判らんぞよ。役員は従来のやうな卑劣い心を棄てて了ふて、生新の心を持直して、何も神に任して居りたなれば、事物が迅くなりて、善くなるなれど、自己の利巧で致そうと思ふて致したら、初発は善いやうでも、仕組が違ふから、又物が延びるから、さうなると又嘘であると申して、神の名を悪うするばかりであるぞよ。心に誠のある人民でないと、今度の仕組は判らんぞよ。役員は筆先を見詰めて充分に了得て居りて、何ンな事を問はれても、弁解が出来るやうになりて居らんと、善い加減なお噺を致して、人を寄したら良いのではないぞよ。行に出る者は結構ではあるが、解らん者が元の神のお話は、一と通りの行して居りては、真正の事が判らんから、誰も大本へ参りて、身魂を磨いた其上で、御用致すが結構であるぞよ。身魂に因縁ありて、何所までも誠を貫く心の固まりた、寝るのも忘れる位の熱心でないと、根本のお話は出来にくいぞよ。綾部の大本の御用するのは初発から松の心で、迷ひ心の無い身魂でないと、何ンな事して居りても、お話さえすれば良いのではないぞよ。一と通りの改心では、天地の教は、人に説く事は六ケ敷ぞよ。中々人は聴いては呉れんぞよ。真実の神の教致さうと思ふたら、これまでの様な事をして居りては、真正の教は出来んぞよ。昔から無い事が出来ると申してあらうがな。斯ンな事が来て居りても、側に居りて能う解けんやうな役員ばかりであるから、改心致して、身魂を磨けと申すのであるぞよ。斯ンな結構な事をして見せても、見えも聴こえもせぬ暗がりの惨い世の中であるから、向後は神力を劇しく現はして、改心さして見せるぞよ。筆先が皆実現て、天の御三体の大神の御守護が在り出して、天地が揃ふたから、世に落ちて居れた活神の守護となると、余り神力が高うて、今の人民に守護して居れる守護神に、判らん事ばかりで、大変慮が違ふて来て、其辺あたりが光り渡りて、盲者が眼が開き、聾者が耳が聴へるなれど、光渡り、鳴り渡るばかりで、狼狽て、ヂリヂリ舞を致すぞよと申して、筆先で知らしてあるぞよ。世界の事を仕組むには、夜昼暑い寒いの厭のある様な身魂では、この世は、末代の世は、もてんぞよ。一と通りの身魂が何程寄りてやりても、世はもてんぞよ。
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