文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治33年閏8月1日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考厳密には「朔日」になっている
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1900(明治33)年9月24日(旧閏8月1日)
神霊界掲載号大正6年10月1日号(第52号) 8頁
神霊界八幡書店復刻版第1巻 420頁
七巻本第2巻 202頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻10頁
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成7頁
OBC os065
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本文
艮の金神国武彦命の筆先、出口の手で書きおくぞよ。今度実地の神が連れ参るのは、陸の龍宮であるぞよ。人民では行けぬ処で在るなれど、四人の身魂は因縁の処へ往て貰はんと、解らん事があるぞよ。是から変なとこへ連れ参るぞよ。出口に明治二十五年から、皆形が見せてあるぞよ。皆出て来るぞよ。疑は未だあるなれど、見ておじゃれよ、何も出て来て、逆様になりて御詫びに来んならん人が出来るぞよ。モ少っと向にと思ふたなれど、化ヶ物が現はれて守護して遣らんと、物が遅くなりて、助かるものも助からん如うに成るから、チット成りと助けて遣らんと、永らく苦労いたして国を助けて居りたのが、水の泡に成るから、何れは人民が減るなれど、日本の国は助けねば成らんから、永らく苦労を致すのじゃぞ。世界の人民を無く致して世を替るなら、モチト速うに世の立替いたして居れど、夫れでは神の役も済まず、人民無くては神の思わくも立たず、チット延し延して世の立替が遅く成りて居るから、早く立替いたして速く埒を付けねば成らんなり、世界中の事であるから、何に付けても大望なり、皆が判らんから、自己の目的を付ける者ばかりなり、今出る五十冊の筆先は、是から誰が参りても、今迄の如うに直接の筆先を、自由に写さすでないぞよ。余り皆の者が神を軽しめて居るから、御蔭は無いのじゃぞよ。言ふてやり度いなれど、言へば出口の肉体で申すやうに思ふて、御蔭を落とすし、言はねばチットも解らんし、神も骨が折れるぞよ。上田の改心が出来るに就ては、純の改心出来るなれど、上田が艮の金神が是で宜いと申すやうに成りたら、純の改心が出来るぞよ。此の艮の金神に気障ありたらば、純は手に合はんぞよ。是を心得て居りなされよ。此神は気を引きた上にも気を引くぞよ。出口にはモウ口では言はさんぞよ。今度は余程の改心いたさんと純いかんぞよ。さる代りに今度行く処は、今迄にも行先にも人民ではモウ無いぞよ。二度と行くものが無い所であるぞよ。そんな処へ苦労もせずに行かうと思ふと、余程改心いたして行かんと、結構な所の恐い所であるぞよ。出口に明治二十五年から、我行く先は結構な所ばかりと申して在ろうがな。陸の龍宮は生神の住居をしておいでます所であるから、一通りでは行かれんぞよ。人の能うせん事の、人の能う行かん処へ参りて、行を致して来んと、万古末代名の残る事は出来んぞよ。まだ結構な所があるぞよ。余り結構な筆先は別に致して置かんと、誰にでもと云ふ事には行かんから却て悪いぞよ。此先は誰にも写させんと出口に持たしておかんと、何にも知らんものが出て来て邪魔を致すから、肝腎の筆先は誰にも見せんが宜いぞよ。今迄の筆先を何んぞ弄び本の如うに思ふて、粗末に致して居るが、是からの筆先や、雄島へ参りた折の筆先は、粗末に致したら直ぐ気付け致すぞよ。誰にも持って去なせるで無いぞよ。是までの筆先は熱心の信者に、一冊づつ渡してをいたなれど、今度の筆先は余所へは行れんぞよ。何程筆先を持ちて居りたとて、御蔭は我心じゃ。神の気に参らねば誠の神徳は遣らんぞよ。御蔭が欲しくばサッパリ腹の中の掃除を致さんと、皆が慾信心であるから、誠の利益が無いのじゃぞよ。神の申すやうに致せば、神は便り無きやうに在れども、誠の便りに成るが、人民と申す者は今一寸良さそうなと、直ぐ寄りて来るなれど、引掛戻した折に皆迯げて了ふが、神は誠の心を見抜いたら、ドンナ利益も遣るなれど、遣る人民が無いので物が遅くなるのじゃぞよ。昔から無い事ばかりで在るから、解らんのは無理はないが、此五十冊の筆先を、熱心の立寄る人は見て下されよ。大本へ見に来るやうに、持って帰なせんやうにして下されよ。此大本は今では世間からは誠に致さねど、万古末代続く大本に成るので在るから、モット確り致さんと、金光殿の如うな教会には致されんのじゃぞよ。教祖の致した事や、筆先を直したり、拵えたりは出来んぞよ。