文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治32年旧1月18日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1899(明治32)年2月27日(旧1月18日)
神霊界掲載号大正6年11月1日号(第53号) 6頁
神霊界八幡書店復刻版第1巻 458頁
七巻本第3巻 23頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻84頁
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os079
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本文
この筆先はお直の手を籍りて、艮の鬼門の金神が書くのじゃぞよ。色々と致して気を引きて見たれども、金光の取次には誠が無いぞよ。モウ一つ出口直に御苦労になりて、神が開かな開けんぞよ。どうぞ熱心の人は、此の世話を致して下されよ。世話に成りたり、世話致したり、持つ持たれつの、世の中であるから、ゝゝ世に落ちて居りた神が、世に出る世話であるから、初りの世話を致して下さりた御方、名の残る事であるぞよ。名の残る世話で在るから、チト気苦労も在れども、結構な世話で在るぞよ。此の世話をさせるものが中々無いので、神も気苦労を致すぞよ。出口直も心を病むので在るぞよ。此ものなら誠がチットは在ろうと思ふて、気を引きて見れば、誠のものはチットも無いので、物事が遅れるのじゃぞよ。明治二十五年に、出口直に申して置いたが、神もとは一株であるから、終には一つに成るぞよ。神は一株であれども、取次が小さい事を申して居るが、ソンナ小さい事を申して居ると、何時に成りても神の思わく立たんぞよ。誠の者は拵えて在れども、誠の世話を致して下さるものが無いと、大望な事であるから、物事が遅く成りて成らんから、金光の取次よ、誠の世話が出来んなら、是からモウ一つ出口直に御苦労に成りて、是から直を連れ行きて、誠の者に対面さして、誠ばかりを寄して、真正の神が開かな、中々此の事は大望で在るから、神が開かな開けんぞよ。出口直を少時の間神が連れ行うも知れんから、皆その覚悟で居りて下されよ。
直を斯うして置いては、神の思わく立たんぞよ。出口直は今迄は落して、御用に使うたなれど、モウ斯うしては置けぬから、チットの間は誠の所へ連れ行きて、行を致させねば、誠の事が出来ぬから、其覚悟をして下されよ。直を侮どりて、直の身に位といふ事が、綾部に置いては附かんからゝゝゝ
誠の信仰の出来るものは一人も無いが、是では誠が開けんぞよ。直の心は辛いぞよ。直の心も推量してやりて下され、直も可愛相なぞよ。一言申せば人民といふものは、堪りぜうが無いから、直ぐに心の底が見えるので、直の心の切無さ、見て居る金神も辛いぞよ。モチト神心に成りて下さらんと、中々甘い事斗り申して居りても良く成らんぞよ。誰に由らずモチト心を美くしう持たねば、誠は出て来んぞよ。直を教会に置いては誠が出来んぞよ。誠を貫くのは、誠が無いと誠の花が咲かんぞよ。近慾斗り申して居るもの斗り、是では直が辛い斗り、ゝゝゝ其方へ心を引かれて、神の御用が薄成りて、ドウモ成らんから、誠の人の所へ連れ行くぞよ。誠を貫くのは陽気や浮気ありては貫ぬけんぞよ。一人は御用に連れ行うも知れんぞよ。誠の人で無いと此の御用は勤まらんぞよ。誰に由らず我を折らんと、此の御用は我が在りては、チットも神は使はんぞよ。神の御用を聞くのは、我が在りては行かず、腹の奥に確固不抜いたした所の在るものの、上面の優なしきもので無いと行かず、我が在りて我を出さぬものでないと、此の御用は勤まらんぞよ。心を曳きて見れば、御用に使ふものは中々無いぞよ。然る代りに、此御用聞いて下さりたならば、末は結構、直きから甘い事はないぞよ。今の人民は余り近慾なから、良いおかげを取り外して、気の毒なものじゃぞよ。チト確り致さんと、恥かしい事が出て来るぞよ。後の悟悔は何にも成らんぞよ。
改心いたせば神は聞済みあれども、中々改心が出来んから、是程に出口直に憑りて永らく申しても、誠が無い故チットも解らぬから、判る処へ連れ行かねば、綾部が世の元に成るのであるのに、夫れに斯んな事では、どうも仕様が無いぞよ。燈台下暗し、余所の方が詳細ことを知りて、肝腎の元が何も知らいでは成らんから、是だけに申しても、直を侮ずりて誠に致さんが、気の毒な事が出来ては成らんから、クドウ気を附けるのじゃぞよ。四方どのモチト確り致さんと気の毒なぞよ。元で無いか頼まれた事も在るで無いか、頼み甲斐の無い事じゃぞよ。