文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治33年旧9月6日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1900(明治33)年10月28日(旧9月6日)
神霊界掲載号大正6年12月1日号(第54号) 1頁
神霊界八幡書店復刻版第1巻 505頁
七巻本第3巻 60頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻32頁
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成15頁
OBC os099
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本文
艮の金神国武彦命と現はれて、出口の手で書きをくぞよ。明治三十三年の九月の六日に書したぞよ。この筆先はチト厳いなれど、世界の政教の立替に就て、艮の金神の元から立替を致さな成らんぞよ。皆御蔭の取り様が違ふぞよ。何んぼ神でも余り平たうには申しとも無いと思ふて、退かゑて居れば、人民といふものは何も判らんから、平とう申してやるぞよ。まだ出口の肉体で書くやうに思ふで在ろうなれど、斯の出口の書いた筆先は、肉体と思ふても、皆その通りが出て来るぞよ。神が書せる筆先じゃ、何時までも疑ふ人改心なされ、疑うも限があるぞよ。何時までも疑うて居ると、御蔭落してキリキリ舞を致す事が出来るぞよ。二度目の世の立替と云ふやうな、大望な御用をさして居るのに、未だ村内にも知らんやうな事で、永らく世に落ちて、艮の金神が守護いたして居る事を、九年の間同じことを、繰返し繰返し書して知らして居るで無いか。斯大望な事を世界へ知らして置かねば、是だけ神が苦労致して、守護して居る事をも知らずに、斯の結構な事を悪く取りて居るぞよ。今に世が転覆るから、神が誠の者に憑りて言ふてやりても、為て見せても、ヤミクモの世に成りて居るから仕様が無いぞよ。屁でも無い事は新聞に出すが、此の世界の政教の立替といふやうな大望な事や、斯神が世に是だけ落ちて居る事を早く日本だけなりと知らせんと、何んにも知らぬ人民が可相想じゃぞよ。
神を拡めると申して、何を拡めるのじゃ。神が見て居れば、我身の田へ水引く信心斗りじゃぞよ。慾信神じゃ。何時も申す通り、信者の奪り合ひ致して、修羅を燃して、我身の為の慾信心じゃ。それでは綾部の元が御苦労じゃぞよ。教祖は女なり、会長は温順しうて何も言はぬから、今出口に言はせば未だ疑うし、左右申して海潮が申すでも無いし、其処で片腕に成る春一は、何の為にお広前に居るぞ。艮の金神の取次ぎに致そうと思て、大事に致して修行も為ずに、楽過ぎて慢神いたして、今では艮の金神の御用も聞かずに、神の真似を致して居るが、艮の金神が許さねば何も表には成らんぞよ。夫れに許しを受けて、未だ広前で修行中で無いか。会長を下タへ見降して、自己が上のやうに思ふて居るが、今度鞍馬山へ参りて見れば、了見が違ふたで在ろうがな。神は気を引くぞよ。慢心いたしたもの、誰に由らず皆立替いたすぞよ。今この大本から立直しを致さんならん初りに、春一は一の番頭で無いか、今其方がソンナ教を致したら、到底綾部の元は思わくには開けんぞよ。今海潮と春一どのが力を入れて、気張らんならん所を、我身の仕格する如うな事では成らんが、春一に憑りて居る神が、熱釜しいからじゃぞよ。夫れで神から改心させねば成らぬと申すのじゃぞよ。艮の金神の仕組は、世に出て居れる神でも判らぬぞよ。斯の経綸が判りたら、今度の思惑は立んぞよ。肝腎の仕組は誰も判らんぞよ。春一殿斗りで無いぞよ。家内も村中も取違いを致して居るぞよ。広前の立替の初発であるぞよ。厳しくなるぞよ。皆の人心得なされよ。小さい慾を申して居ると御蔭が落るぞよ。此の神の取次ぎは、普通の修行では勤まらんぞよ。