文献名1大本神諭
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3明治33年旧8月13日よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
年月日1900(明治33)年9月6日(旧8月13日)
神霊界掲載号大正8年1月15日号(第78号) 3頁
神霊界八幡書店復刻版第4巻 57頁
七巻本第4巻 242頁
五巻本未調査
三五神諭なし
東洋文庫天の巻なし
東洋文庫火の巻なし
連合会水の巻なし
大本史料集成未調査
庶民生活史料集成なし
OBC os157
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本文
艮の金神の筆先であるぞよ。出口の手で書きおくぞよ。神界から是までに色々と申して気を曳きて見ても、誠の人民は今では無き故に、神界の物事、世界の立替が遅くなるぞよ。大本に誠が無いと物事が遅くなるなり、遅くなればなるで又神を悪く申すであろうが、此の神徳を他所へ持って去なれたら残念なぞよ。此大本は今余り粗末に致して在るから、世界の人民が皆疑ふて居れど、是でも仕上げを見て下され。斯んな深い結構な経綸を余り速く判けて見せて、余所へ奪られたら約らんぞよ。何彼の仕組は致してあるから、モウ微躯ともいたさねど、余り結構を速ふ分けると却って不結果から、何事も皆神界の都合のある事ぞよ。万古末代続く仕組を余り早く判けて見せると却って行かんで、態とに分らんやうに引懸戻しの仕組であるぞよ。心配が出来ても是も神蔭であると良き方に取りて、神の申す様に致せば心配が楽しみに成りて、良く何事も変りて来るぞよ。斯んな大望な御用を聞くのには、余程心を大きに持ちて居らねば、小さい事に心痛いたすやうな精神では、到底神界の御用は勤まらんぞよ。大望な御用であるから、今の間は外の教会とは根本の行り方が違ふから、成るやうに致して身魂を研いて居りて下されよ。今では左程に人が集りて来いでも良いぞよ。斯んな経綸は現世が初りてから無き事の仕組で在るから、今の人民には一寸には解り難いので、何も知らんから悪るく申すのじゃぞよ。世界から悪罵嘲笑れて良く成る経綸であるから今では皆が辛いぞよ。是を凌がむと真誠が出て来んぞよ。見て御座れよ、艮の金神の元にありた事は皆世界に実現ぞよ。何時の大本は斯ふ云ふ具合、今は斯ふいふ様子じゃと云ふ事を能く付け留ておいて下されよ。世界の出来事が斯大本の中に、実地が為て見せて在るのじゃぞよ。世界の鏡と申すのは世界の事が皆写るからで在るぞよ。三千世界の立直の経綸に三千年も掛りてあるから、中々一寸には解らんぞよ。神さえも此の仕組を知らずに居れる勝の事であるから、人民に悟れさうな事はないぞよ。外国は大分酷しき懲戒があると申して在うがな。外国印度までも統一に致して、神国にいたすと申して筆先に出して在ろうがな。何事も毛筋も神の申す事は違いはせんぞよ。此の経綸は仕上げを見て貰はんと今ではチットも判らんぞよ。艮の金神は何に付けてもトコトン迄心を試くぞよ。誠の無き人はソコで神徳を取外すぞよ。私慾心がありては真実の事はないぞよ。誠の人ほど御蔭が遅いぞよ。世界にある事変は皆明治三十二年から大本の内部に模写が為て見せてあるぞよ。肝腎要めの終局の経綸は先に成らんと、今書いて出しては邪魔が這入るから、曳えて置かねばならぬなれど、大略の仕組を書いて、誠の身魂には判るやうに致すから、是で疑ふたり、能く合点致す事が出来んなら、万物の長とは申さんぞよ。神に次での結構な人民でありながら、ムゴイ事に成りたものじゃないか。神は残念なぞよ。神の分霊と申されるか。艮の金神は斯世の中を水晶に致さな成らん大望な役であるから、神に次での人民なれば、神の心も、チトは推量が出来さうなもので在ろうぞよ。ナンボ神でも世界の人民の改心が余り何時までも出来ぬと助けやうが無いぞよ。改心さして助けて与りたさの神の気苦労、推量節の歌が作りて在るぞよ。何事も世界の事は、出口が元に成るぞよ。人民は何程利巧でも神の仕組は解らんぞよ。今の内は何程都合が良い人民でありても、世は持ち限りには致させんから、今に変る事が出来いたすぞよ。人の落目に脚下にかけた者は、皆神界から見届けてあるぞよ。良き事を致して居る者も見届けて在るぞよ。世界一眼に判る此の神に敵対うて居るものは可憐想なものじゃ。神無きものと思ふて居ると、ヂりヂリ悶え致したとても叶はん事が出来てくるぞよ。人民は前の見えん者であるから、永らく気を注けてあるのじゃぞよ。一度に開く梅の花と申して在ろうがな。世界一度に開く折に、神の威力は是位い在ると云ふ事実を見せてやるぞよ。そこに成りてから俄に地団太踏んで神を頼みたとても、俄信心は間に合んぞよ。そこで神を疑ふてをりたものと、神に縋りてをりた者とを分けて、善悪を見せてやるより仕様は無いぞよ。世界の改心からと思へども到底間に合はん、世界の大望が遅くなりて、世の立替が後れるから、何事も時節が参りたから、ボツボツと神が世界へ仕組を表はすぞよ。世界一切の事は皆神界の経綸で出来て居るのに、人民の力量で致して居るやうに思ふて居るから、皆大きな誤解があるのじゃぞよ。こんな大望が世界にある事を人民では未だ解るまい。何も知らずに今日さえ良けら何時までも良きやうに思ふて、利己的精神を持ちて居るものはチト変るぞよ。人も一代世も一代と申すが、今度の世の立替は二度目の天之岩戸開きで在るぞよ。明治廿五年から出口の手と口とで知らさして在るのに、今に疑ふて居る人民斗り気の毒なものじゃぞよ。信心いたせと申すのは一度に世界が開く折に、その折に何彼の経綸が分かるぞよ。今人民は天地動いても判らん仕組じゃ。誠の人が実地の神言が分かるのじゃから、改心いたして善良心を持ちて居るが良いぞよ。我物の如うに思ふて我慾を致して居りたとて、何れは天地へ引上げが在るぞよ。我慾を捨て善へ立皈るが結構であるぞよ。併し乍ら今こんな事を申すと行かねども、世の建替には何も彼も一旦は引上げに成るぞよ。今の世界の人民は自分さえ好けら、他人は何程難渋を致して居りたとても、救ふてやるものゝ無い時節、惨酷ものじゃ。今迄の世を持ってお出ました神々が、体主霊従主義であるから、世界の人民が皆悪気に成るのじゃぞよ。斯の世を此儘に放任して置いたなら、供食いをいたすやうに成るぞよ。魔法の世は悪道な世じゃが是も時節であるぞよ。時節には世の元を拵えた真正の生神でも叶はんぞよ。末法の世は世の終いの金輪際の一番邪悪き世であるぞよ。苦労を致して世界を拵えた元の誠の生神を隅隈へ突込みてをいて、神の直系とは申しても人民の○だけじゃ、○は十○神は九〇と申して、エライ御威勢でありたが、神は世に落ちて扣えて居りたなれど、太古の元へ戻りて世界を自由に致すから、世を立替て了はんと上が下に覆りて居るので、斯世が思ふ様に行かんのであるぞよ。上は上の位、下は下に住みて、物事に順序を立てねば誠の修りは付かんぞよ。今の時節は暗黒で、人民までが結構な神を小使に致したりするから、物事は皆おもわ九が外づれるのじゃぞよ。能く考へて見なされよ。