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文献名1霊界物語 第1巻 霊主体従 子の巻
文献名2第5篇 御玉の争奪よみ(新仮名遣い)みたまのそうだつ
文献名3第45章 黄玉の行衛〔45〕よみ(新仮名遣い)おうぎょくのゆくえ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2021-03-22 22:28:48
あらすじ時彦は黄金水の十二の玉が次々と邪神の手に落ちていくさまをみて、自ら所有する黄金の玉を保護しようと、ヒマラヤ山に立て籠もった。そして岩窟を掘って地中深くに玉を隠し、その上に神殿を建てて守っていた。数年後、山中にときの声がするのを怪しんでみれば、大八洲彦命ら諸将が、軍勢を率いてデカタン高原に進軍中であった。山上より見れば、十二の輿に宝玉を乗せて進軍している。時彦が部下に様子を見に行かせると、部下たちは大八洲彦命の軍容の壮大さを復命した。時彦はみろく神政の成就に遅れてはならじと、ただちにデカタン高原にはせ参じた。するとおりしも、荘厳な宿営地にて、大八洲彦命は演説をしていた。曰く、みろく神政成就のために、ここデカタン高原を地の高天原と選定した。ついては、時彦の持っている黄金の玉が神政成就に必須の神宝である。もし時彦があってこの玉を奉納するならば、神界の殊勲者として天神に奏上し、我が地位を譲ろう、と。これを聞いた時彦は名誉欲にかられて群神の中から名乗り出で、黄金の玉を献上した。大八洲彦命は黄金の玉を輿に納め、十二個の玉すべてが揃った祝いに、荘厳な祭典が催された。すると天の一方に妖雲が起こり、雨が滝のように降り注いだ。神司たちは争って神輿の中から玉を取り出し、解散してしまった。荘厳な宿営地の宮殿は、いつしか荒涼たる原野と化していた。時彦が驚いて輿の中に残っていた黄金の玉を取り出すと、見た目はまったく変わらなかったが、重量が軽い偽物にすりかえられていた。このとき天から『大馬鹿者!』というお叱りの叫びが聞こえた。大八洲彦命の軍勢と見えたのは、邪神・武熊別の変身であった。
主な人物 舞台 口述日1921(大正10)年10月25日(旧09月25日) 口述場所 筆録者桜井重雄 校正日 校正場所 初版発行日1921(大正10)年12月30日 愛善世界社版242頁 八幡書店版第1輯 132頁 修補版 校定版241頁 普及版125頁 初版 ページ備考
OBC rm0145
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本文  時彦は黄金の玉を生命にかへても、神政成就の暁まで之を保護し奉らねばならぬと決心し、既に竜宮神の不覚不注意より九個の玉を竹熊に奪はれ、無念やるかたなく、せめてはこの玉をわれ一人になるとも保護せむとて竜宮城にいたり、言霊別命の許しをえて諸方を逍遥し、つひにヒマラヤ山に立て籠つた。そしてヒマラヤ山に巌窟を掘り、巌中深く之を秘め、その上に神殿を建て時節のいたるを待ちつつあつた。居ること数年たちまち山下におこる鬨の声、不審にたへず殿を立ちいで声するかたを眺むれば、豈計らむや、大八洲彦命は大足彦、玉照彦を両翼となし数多の天津神竜宮の神司と共に、デカタン高原にむかつて錦旗幾百ともなく風に靡かせ、種々の音楽を奏しつつ旗鼓堂々として進行中である。
 時彦は山上より遠くこれを見渡せば、十二個の同型同色の神輿をあまたの徒歩の神司が担いで進みくるのである。時彦は直ちに天の鳥船を取出し、従臣をして地上に下り一行の動静を窺はしめた。従臣はその荘厳なる行列と大八洲彦命の盛装を見て肝を潰し、あはただしく鳥船に乗じてヒマラヤ山にその詳細を復命したのである。
 時彦は大八洲彦命の一行と聞きて心も心ならず、吾は徒に深山にかくれて、ミロク神政の神業参加に後れたるかと大地を踏んで残念がり、ただちに天の鳥船に打乗りて地上に下り、大八洲彦命の一行の後に出でて恐るおそる扈従した。されども時彦は吾が身の神業に後れたるを恥ぢて、花々しく名乗も得せず、デカタン高原に着いたのである。
 デカタン高原には荘厳なる殿堂が幾十とも限りなく建て列べられ、八百万の神司は喜々として神務に奉仕してゐる。四辺は得もいはれぬ香気をはなてる種々の花木に廻らされ、天人天女の歓び狂ふ有様は、実に天国、浄土、地の高天原の光景であつた。
 大八洲彦命は中央の荘厳なる殿堂に立ち、八百万の神司らにむかつて宣して曰く、
『ミロクの世は未だ時期尚早なれども、国常立尊の天に嘆願されし結果、地上の神人を救ふため、末法の世を縮めて天の岩戸を開き、完全なる神代を現出せしめ、このデカタンの野を地の高天原と定めたまへり。されど悲しむべし、黄金水より出たる十二個の宝玉はもはや十一個まで悪神の手に占領されたるを、大神の神力によりてこれを敵より奪り還し、ここに十二の神輿を作りて、この地の高天原の治政の重要なる神器として、永遠に保存すべしとの神命なり。されど一個の黄色の玉の行衛は今に判明せず、この玉なきときは折角のミロクの世も再び瓦壊するの恐れあり、かの黄玉を携へたる竜宮城の従臣たりし時彦は、今いづこに在るや、彼が持てる一個の宝玉は、この十一個の玉に匹敵するものなり。もし時彦にして後れ馳せながらも、いづれよりか其の玉を持ちきたらば、神界の殊勲者として吾は之を天神に奏上し、わが地位を譲らむ』
と大声に呼ばはりたまうた。
 このとき、時彦思へらく、「われ多年苦心惨憺して此の玉を保護す。しかるに今大八洲彦命の教示を聞き喜びに堪へず、この時こそ吾は花々しく名乗りを上げ、もつて神界の花と謳はれむ」と笑みを満面にたたへ、恐るおそる大八洲彦命の御前に出で九首三拝して、
『時彦ここに在り、黄色の玉を持参仕り候』
と言葉すずしく言上した。あまたの神司は、突如として名告り出たる時彦の様子を見て感に打たれたもののごとく、時彦は神司らの羨望の的となつた。
 大八洲彦命は大いに喜び、かつ時彦を招き殿内深く入りたまうた。殿内には十二の同色同型の立派な神輿が奉安されてある。大八洲彦命は正中にある一個の神輿の扉を開き、
『十一個は各色の玉をもつて充たされあり、されど見らるる如くこの神輿は空虚なり。速やかに汝が玉を是に奉安し、ミロクの代のために尽されよ』
と厳命した。この時、時彦は歓天喜地身のおくところを知らず、ただちに玉を取出し神輿の中深くこれを納めた。そこでいよいよ十二の神輿に種々の供へ物を献じ、荘厳なる祭典がおこなはれた。ついで十二の神輿はデカタン国の麗しき原野を神司らによつて担ぎまはされた。実に賑しき得もいはれぬ爽快な祭典であつた。原野の中心に各自神輿を下し神司らの休憩を命じたまうた。
 折から天の一方に妖雲おこり、たちまち雲中より種々の鮮光があらはれた。その光景はあたかも花火を数百千ともなく一度に観るやうな壮観であつた。神司らは、皆天の一方に心を惹かれて見つめてゐた。そのあひだに大八洲彦命、大足彦は神輿の位置を変更しておいた。いづれの神輿も同型同色のものである。
 にはかに天の一方より黒雲おこり雨は地上に滝のごとく降そそいだ。あまたの神司は狂気のごとく神輿の中より各自に黄色の玉を取りだし四方に解散した。時彦は驚いて吾が奉れる玉を保護すべく神輿に近づき、その玉を懐中に入れむとした。いづれの者も四方八方に四散して、宮殿はいつしか荒涼たる原野に化してゐた。
 時彦は夢に夢見る心地してその玉を取りだし点検した。こはそも如何に、容積において光沢において、少しも変化はない。されど重量のはなはだ軽きを訝かり、混雑に紛れて吾が玉を取換られしやと歯がみをなして口惜しがつた。
 このとき空中に声あり、
『大馬鹿者!』
と叫ぶ。今まで、大八洲彦命と見えしは武熊別の変身であり、大足彦以下の正神と見えしは彼が部下の邪神であつた。アゝいかに信仰厚く、節を守るとも、時彦のごとく少しにても野心を抱く時は、ただちに邪神のために誑らかされ、呑臍の悔を遺すことあり。注意すべきは、執着心と功名心である。

  花と見て来たであらうか火取虫

(大正一〇・一〇・二五 旧九・二五 桜井重雄録)
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