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文献名1霊界物語 第2巻 霊主体従 丑の巻
文献名2第5篇 神の慈愛よみ(新仮名遣い)かみのじあい
文献名3第36章 高白山上の悲劇〔86〕よみ(新仮名遣い)こうはくさんじょうのひげき
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ
高白山を荒熊彦・荒熊姫に追われた元照彦は、ローマに逃げ帰った。これを聞いた清照彦は、父母の無道な行為をいさめて正しい道に返そうと、使いを高白山に送った。

信書を受け取った荒熊彦夫妻は、元照彦に殺されたと思っていた息子が生きていたことを喜んだが、息子は今や敵対する竜宮城の部将となっており、親子の情と常世姫への忠誠に悩むこととなった。

荒熊彦はついに病を発して倒れてしまった。そうするうちに、清照彦より第二の使者が来た。その信書は、「第一の使者への返事がなければ、やむをえず神軍を率いて父母の軍を討つことにならざるを得ない」、という最後通告であった。

荒熊姫は悲嘆にくれて自害しようとしたが、常世姫の部将・駒山彦はそれを押しとどめ、忠義に訴えて常世姫への忠誠を促した。荒熊彦はついに決心を決め、常世姫への忠誠を貫いて息子が率いる竜宮城軍と合間見えることとなった。

この様子を確かめた第一、第二の使者は長高山へと帰って行った。
主な人物 舞台 口述日1921(大正10)年11月04日(旧10月05日) 口述場所 筆録者外山豊二 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年1月27日 愛善世界社版178頁 八幡書店版第1輯 222頁 修補版 校定版182頁 普及版84頁 初版 ページ備考
OBC rm0236
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本文  元照彦は高白山に敗れ、部下の神軍を狩り集め、長駆してローマに遁れ、ここにしばらく駐屯し、モスコーをへて清照彦の立てこもれる長高山に到着し、清照彦、末世姫に会し、荒熊彦以下の反逆無道の詳細を物語つた。荒熊彦、荒熊姫は前述のごとく、清照彦の父母に当る神である。
 ここに清照彦は父母の惨虐無道なる行為を諫め、善心に立返らしめむとして侍臣に命じ、天の鳥船を遣はして、高白山の城塞に信書を送つたのである。その信書の意味は、
『父母の二神は再生の大恩ある言霊別命に背き、かつ天地の法則に違ひ大義名分忘れたる其の非理非行を諫め、かつわれは慈愛深き言霊別命の妹末世姫を娶りて今や長高山にあり。すみやかに悔あらためて常世姫をすて、恩神に従来の無礼を謝し、ただちに忠誠の意を表するべし。もし言霊別命にしてこれを許したまはざる時は、両神には、すみやかに自決されむことを乞ふ』
といふ信書であつた。
 荒熊彦夫妻はこの信書を見て、清照彦の安全なるを喜び、またその信書の文意にたいして大いに驚きかつ悲しんだ。されど二柱はいかに最愛の児の言なりとて、直ちにこれを容れ、言霊別命に帰順せむとせば、強力なる常世姫に討伐されむ。また常世姫に随はば、最愛の児に捨てられむ、とやせむ角やせむと二柱は煩悶し、その結果つひに荒熊彦は病を発し、身体の自由を失ふにいたつた。荒熊姫は日夜に弱りゆく夫の容態を眺めて心も心ならず、かつ清照彦の忠告を思ひ浮べて、矢も楯もたまらず、胸に熱鉄を飲むごとく思ひわづらつた。この様子を怪しみ窺ひたる駒山彦は、荒熊姫の居間を訪ひ、
『前ごろより貴下夫婦の様子をうかがふに、合点のゆかざることのみ多し。貴下らにして吾子の愛に溺れ、常世姫に背きたまふにおいては、われは時を移さず委細を常世城に注進し、反逆の罪を問ひ、もつて貴下を討ち奉るべし』
と顔色をかへて詰めかけた。このとき天空高く、天の鳥船に乗りてきたる美しき神司あり。こは長高山より翔けきたれる第二の使者であつた。荒熊姫は駒山彦を賺して自ら応接の間に出で、第二の使者より信書を受取り披見した。
 その文面によれば、
『われ先に使をつかはして、父母二神の改心帰順を勧め奉りたり。されど使者は久しきに亘るも帰りきたらず。惟ふにわが言を用ゐたまはざるものとみえたり。われは骨肉の情忍び難しといへども、大義名分上、やむを得ず貴下を天にかはつて討滅せざるべからざるの悲境に陥れり。ああ、忠ならむとすれば孝ならず。孝ならむとすれば忠ならず。わが万斛の涙は何れに向つて吐却せむ。されど大義には勝つべからず。骨肉の情をすて、天に代つて、すみやかに神軍を率ゐ、海山の恩ある両親を滅ぼさむとす。不孝の罪赦したまへ』
との信書であつた。
 荒熊姫は第二の信書を見て、ただちに一室に入り短刀を抜いて自刃せむとする時しも、蒼惶しく戸を押し開け、「暫く、しばらく」と呼ばはりつつ駒山彦が現はれ、その短刀をもぎ取り言葉をはげまして曰く、
『主将は病の床に臥し、高白山はその主宰者を失はむとす。加ふるに貴下は短慮を発し、今ここに自刃して果てなば、当城はいづれの神司かこれを守るべき。逃げ去りたる元照彦は、何時神軍を整へ攻め来るや図り難し。われはかかる思慮浅き貴下とは思ひ設けざりき。さきに怒りて貴下を滅ぼさむと云ひしは、われの真意に非ず。貴下の決心を強めむがためなり。かかる大事の場合、親子の情にひかれて敵に降り、あるひは卑怯にも自刃してその苦を免れむとしたまふは、実に卑怯未練の御振舞なり。善に強ければ悪にも強きが将たるものの採るべき途ならずや』
と涙とともに諫める。病の床に臥したる荒熊彦は俄然起あがり、
『最前より始終の様子ことごとく聞きたり。今や詮なし、大義をすて、親子の情を破り、もつて常世姫に忠誠を捧げむ。荒熊姫の覚悟やいかん』
と言葉鋭く迫つたのである。荒熊姫は大声をあげて涕泣し、狂気のごとく吾胸を掻むしり、
『われを殺せよ、わが苦痛を救けよ』
と藻掻くのである。ここに第一、第二の使者は、この様子を見て元のごとく、天の鳥船に乗り西北の空高く長高山に帰つた。
(大正一〇・一一・四 旧一〇・五 外山豊二録)
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