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文献名1霊界物語 第4巻 霊主体従 卯の巻
文献名2第6篇 宇宙大道よみ(新仮名遣い)うちゅうたいどう
文献名3第36章 天地開明〔186〕よみ(新仮名遣い)てんちかいめい
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2020-05-01 22:24:21
あらすじ桃上彦は辞任の意を常世姫に伝えた。常世姫は内心喜びつつ桃上彦の辞表を受け取った。ここに聖地は四分五裂の惨状を呈した。この危急に各地の八王、竜神たちをはじめ神々が聖地にはせ参じた。八王大神常世彦、大自在天も聖地の存亡を憂うあまり、敵味方の心情を忘れて聖地に参画したのである。もとはみな、国祖を大神といただく神々であるから、その天性に立ち返ればたちまち至善至美の徳を発揮するのである。しかしそうした神代の神人らも、ふとした隙に邪神に魅入られてしまうと、たちまち行動一変し御魂も変化してしまうのである。ここで六面八臂の邪鬼とは、さまざまな姿かたちに変化し、さまざまな技巧・技能に通じた邪神のことを言うのである。また金毛九尾白面の悪狐とは、美しい女性の姿と威厳ある金色によって諸神を驚惑する所業をいう。また九尾とは完全無欠を意味している。魔術に長じていることを指す。八頭八尾の大蛇は、自分の分霊を各地に配って千変万化の悪事をなす竜神、という意味である。蛇足ながら、悪神の三種類について述べたまでである。
主な人物 舞台 口述日1921(大正10)年12月26日(旧11月28日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年3月30日 愛善世界社版218頁 八幡書店版第1輯 449頁 修補版 校定版228頁 普及版98頁 初版 ページ備考
OBC rm0436
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本文  桃上彦命は、国祖大神の峻厳骨を刺すてふ厳格なる御一言にいよいよ退職の決心をなし、その由をただちに竜宮城の主宰常世姫に伝へたり。常世姫はただ一言留任の勧告をも与へず、内心欣喜雀躍しながら、さあらぬ体にて同情の色をうかべ、無言のまま命の辞表を受けとり、ただちに聖地ヱルサレムの大宮殿に参向し、桃上彦命の責任を自覚し、骸骨を乞ふ旨を恭しく進言したりける。
 ここに聖地高天原はあたかも扇子の要を除したるがごとく、四分五裂の惨状を呈するの止むなきに立ち到り、各山各地の八王八頭をはじめ国魂その他の諸神司らは高山の末低山の末より集まり来り、また竜神は五つの海より聖地をさして暴風を捲き起し、海面を躍らせながら黒雲に乗じて残らず聖地に集まりける。聖地に集まりし神人の数はほとんど粟粒三石の数に達したり。さしも剛直にかまへ常世会議の出席を峻拒したりし万寿山の八王も、聖地の変乱を聞き一切の情実を排して集まり来たり、霊鷲山に退隠したる大八洲彦命、言霊別命、神国別命、大足彦をはじめ、エデンの野に蟄居を命ぜられたる高照姫命、真澄姫、言霊姫、竜世姫の諸神人も禁を破り、あまたの従臣を引き連れ聖地の一大事とかけ集まり来たりける。
 今まで大八洲彦命一派ならびに高照姫命一派にたいし、極力反抗の態度を持しゐたる大自在天大国彦も常世彦も、この度の聖地の殆ンど滅亡に瀕したる惨状をながめ、何れも憂愁の念にかられ、敵味方の感情を心底より除却し、たがひに聖地回復の誠意を復起したり。ことに大自在天のごときは、大八洲彦命、高照姫命一派の神人の隠忍蟄伏の心情を察して同情の涙に暮れゐたりける。元来は全部国治立命を元祖といただく神人なれば、いよいよ危急存亡の場合に立ちいたりては、区々たる感情はいづこにか雲散霧消して各自神司は互に謙譲の徳を発揮し、相親しみ相愛し、毫末も心中に障壁を築かざりけり。諺に、
『親は泣き寄り、他人は食ひ寄り』
といふ。元来正しき神の直系を受け又は直系より分派して生れ出たる神人は、この時こそ惟神の本心に立ち復り至誠を発揮し大神に対し報本反始の実を挙げむとの誠意を顕はしける。
『落ぶれて袖に涙のかかる時人の心の奥ぞ知らるる』
 遉に神世の神人だけありて、その天性に立復り本守護神の発動に復帰したる時はすべて敵もなく味方もなく、怨恨、嫉妬、不平不満の悪心も発生する余地無かりしなり。かくのごとき至善、至美、至直の神心を天賦的に保有する神人といへども、天地間の邪気の凝結して現はれ出たる六面八臂の鬼や、金毛九尾の悪狐や、八頭八尾の大蛇の霊にその身魂を誑惑され、かつ憑依さるる時は、大神の分霊なる至純至粋の身魂もたちまち掌をかへすごとく変化するにいたる。その速かなること恰も影の形に随ふが如くなり。
 序に述べおきたきことあり、そは三種の邪神の名義についてなり。六面八臂の邪鬼といふは一つの身体に六個の頭や顔の付属せるにあらず。ある時は老人と化し、ある時は幼者と変じ、美人となり醜人と化し、正神をよそほひ、ある時は純然たる邪神と容貌を変じ、もつて神変不思議の魔術をおこなふ者の謂にして、また八臂とは一つの身体に八つの臂あるにあらず。これを今日の人間に譬ふれば、一つの手をもつて精巧なる機械を作るに妙を得てをり、書に妙を得てをり、絵画に堪能してをり、音楽に妙を得てゐるとか、一切の技術、技能を他に勝れて持ち居たる手腕の意なり。強ち八種のことに妙を得たりといふ意味ではなく、一切百種の技能に熟達し居るの意義なり。
 また金毛九尾白面の悪狐といふは、金色はもつとも色の中においても尊く、金属としても最上位を占てをる。狐としては黄金色の光沢ある硬き針毛を有して居るが、化現するときに美しき女人の体を現はし優美にして高貴なる服装を身に纏ひ、すべての神人を驚かしめ、その威厳に打たれしめむとするをいふなり。また九尾といふは一匹の狐に九本の尾の生えてゐる意味にあらず、九とは数の終極、尽すといふ意味にして、語をかへていへば、完全無欠といふことなり。
 いま筑紫の島を九州といふのも、九は尽しの意味から出たるなり。尾といふは総てのものを支配する力をいふ。後世にいたり三軍の将が采配を振つて軍卒を指揮し、あるひは祭典にさいし祓戸主の役が大幣を左右左に振つて悪魔を退け、かつ正しき神を召集し、邪気を払拭するが如し。真澄姫が黄金の幣を打ち振りて魔軍を亡ぼしたまひしも、悪くたとへていへば金毛九尾の尾を振りたると同意味なり。されど正しき神の使用するときは金幣を左右左に振るといひ、邪神の使用する時は九尾を振ると称へたるなり。この物語のなかの所々に金毛八尾、銀毛八尾とあるは、九尾にやや劣りし働きをなす邪神といふ意味なり。
 また八頭八尾の大蛇といふも、決して一つの蛇体に八つの頭があり、また尾が八ツあるにあらず。蛸や烏賊や、蟹には足が八つもあるが、蛇体には偶に尾の先二つに裂けて固まれるがありても、決して八つの岐になり居るものはなし。仏書に九頭竜などといひ、九つの頭のある竜のことが示しあれど、これも全く象徴的の語にして、神変不可思議の働きをなす竜神といふ意味なり。昔から「長いものには捲かれよ」といふ譬あり。大蛇は他の動物に比して身の丈もつとも長く、かつ蚯蚓のやうに軟弱ならず相当に堅き鱗をもちて身体を保護し、沢山の代用足を腹部に備へゐるなり。腹部の鱗と見ゆるは、みな蛇の足の代用をするものなり。足は下を意味す。ゆゑに上に立ちて下を指揮するものを長といひ、また長者ともいふなり。この大蛇の霊は世界の各地にその分霊を配り、千変万化の活動をなし、神人の身体を容器として邪悪を起さしむる悪霊の意なり。十二柱の八王八頭を十二王、十二頭と称へず、八王、八頭と称へらるるごとく、この八頭八尾の大蛇の働きも決して八種に限るにあらず。千変万化反道的行為を敢行する悪力の働きの意なり。
 王仁は聖地の混乱の状況を述ぶる心算なりしが、つい談が蛇のごとくぬるぬると長く滑りて、知らず識らず山の奥に這ひ込み、深き谷間に陥りけり。これがいはゆる蛇足を添へるとでもいふならむか。
(大正一〇・一二・二六 旧一一・二八 加藤明子録)
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