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文献名1霊界物語 第5巻 霊主体従 辰の巻
文献名2第1篇 動天驚地よみ(新仮名遣い)どうてんきょうち
文献名3第5章 盲亀の浮木〔205〕よみ(新仮名遣い)もうきのふぼく
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ
エデンの大河に飛び込んだ塩治姫、常治彦、玉春姫は、大亀の背に助けられて大河を下った。両側が切り立った崖の河を降っていくと、白い洲が見えた。

亀は三人を乗せたまま、その洲の中を進んでいく。すると酒に酔った神々らが現れて、三人の周りで歓呼の声を上げた。亀はさらに進んで、この地の首長らしき立派な神の前まで進んでいった。

この地は三方を山に守られた、顕恩郷という楽園である。この地の統治者を南天王と言った。南天王は、実は大道別であった。南天王は三人を歓待させた。

顕恩郷の人々は、みな蟹のような顔をしていた。そして、この地には、角の生えた救世神が降臨して顕恩郷を守る、という伝説があった。そのため、顕恩郷のひとびとは常治彦を神輿に担ぎ上げると、東北の山向こうの切り立った立岩の上に乗せ、礼拝を始めた。

常治彦は岩の上に乗せられて降りることもできず、ただ助けを呼ばわっていたが、塩治姫、玉春姫が白いひれを降ると、顕恩郷の神々らは元の平地に帰ってしまい、常治彦はひとり岩の上に残されてしまった。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年01月05日(旧12月08日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年4月15日 愛善世界社版34頁 八幡書店版第1輯 530頁 修補版 校定版36頁 普及版17頁 初版 ページ備考
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本文  エデンの河中に投身したる塩治姫は水中をくぐり、下流の浅瀬に着いた。ここに一つの巨大なる木の株が横たはつてゐた。姫は天の祐けとその大木の株に取りつき、息を休めつつあつた。今まで木の株と思ひしに、見るみる馬のごとき首が現はれ、つぎに手足が現はれた。株はすつかり大きな亀に化してしまつた。
 姫はその亀の背に乗り、上流を眺めると、飄箪を括つたやうに二人の神がぶくぶくと頭を上げて流れて来た。よくよく見れば、玉春姫および常治彦である。思はず大声をあげて二人に声をかけた。二人は喜んでその亀に取りついた。ここに三柱は大亀の背にまたがり、亀の行くままにまかせて、エデンの大河を昼夜の区別もなく下る。
 河の両岸は壁のごとく岩石屹立して、寄り着くことが出来ぬ。やや下方に白き洲が見えた。三柱は亀の行くままに任しておくと、亀はその洲に向つてのたのたと這ひ上つた。ここに数多の神人は祭とみえて、河辺に出で酒を飲み、歌ひ舞ひ、種々の木石を打ち叩き、拍子をとつて、面白さうに騒いでゐた。
 亀は容赦なく、あまたの神人の群がるなかを三柱を載せたまま進んで行つた。三柱の着物は日に晒されていつの間にか乾ききつてゐた。酒に酔潰れたる数多の神人は、この光景を見て一斉に手を打ちたたき、ウロー、ウローと叫ぶのである。ここを突破して北へ北へと進んで行くと、またそこにも稍上級の神らしき群がしきりに酒に酔ひ、手を打つて騒いでゐる。亀はその中を遠慮会釈もなくのたのたと進んで行つた。このとき宴席の上座の方より金冠を着けたる身体骨格衆に優れたる大将らしき神が現はれて来た。そして亀の前に立塞がつた。亀は何事かこの神に向つて囁くやうに見えた。
 北には巍峨たる青山を繞らし、東西に鶴の両翼を拡げたるごとく山脈が延長し、あたかも蹄鉄形になつた地勢である。そして南に大河を控へ、種々の麗しき花は咲きみだれ、珍らしき果物は木々の梢に実つてゐた。ちやうどエデンの園にすこしも違はないやうな楽郷である。ここの統一者は南天王と称へ、数多の神人らより国祖のごとく尊敬されてゐた。いづれの神々も木の実を喰ひ、清泉を飲み、天然に発生する山芋などを嗜食し、衣食住の苦痛をすこしも感じないあたかも天国浄土のやうであつた。南天王は実は大道別であつた。この地を顕恩郷と称へられてある。南天王はあまたの神人を集めて、亀上の珍客を天下泰平の瑞祥として歓待せしめた。三柱は思ひがけなき神人らの優遇に感謝し、つひには果実にて造りたる珍しき酒に酔ひ、面白き歌を謡ひはじめた。この地の神人らはいづれも頭の比較的横に長く丈短く、ちやうど蟹のやうな顔をした者ばかりである。そこへ三柱神の現はれたのはあたかも塵芥場に鶴の下りたやうな光景であつた。
 これらの神人は南天王に対し、天上より降りきたれる神人として畏敬尊信服従を第一の義務としてゐる。しかるに南天王の神品骨格その他の衆に秀でたるに引き換へ、この地の神々は比較的背低く、身体矮小にして容貌醜悪なるため、南天王の妃とすべき神なきに、神人は挙つて心痛してゐた際である。そこへ天女のごとき二柱の女神と一柱の男神の現はれたるを見て、又もや天津御空より降りきたれる優秀の神と残らず信じてしまつた。そこで神人は相談の上、南天王に奏上して彼の二神を王の妃となし、一柱の男神は頭部に大なる角発生しあれば、まつたく誠の神と信じてゐたり。それゆゑ二柱の女神に対して、この神の妻または妃たることを少しでも顧慮する者がなかつた。
 常治彦、塩治姫、玉春姫の三柱は、この郷の神人らの言霊に通じないのを幸ひにして、種々と自由自在に話することができた。そこへ数多の神人は集まつて涕泣拝跪し、輿を舁ぎきたり、無理に常治彦に搭乗を手真似をもつて勧めた。常治彦は吾を非常に歓待するものと思ひ、心中喜悦の情をあらはし、二つ三つ頷づきながら機嫌よく輿の中に入つた。神人らはその輿を寄つて集つて舁きあげた。この顕恩郷は昔から角の生えたる神が降臨して、天変地妖を防ぎ、万年の寿命を守るといふ伝説が伝はつてゐた。そこへ南天王の誕生の祝日にあたつて、万年の齢を保つてふ亀に乗り、河上より下りきたれるは、あたかも天上より降りきたれる神人に相違なしと心より喜び勇んだ。
 神輿はダンダンと舁がれて東北の山の谷を越え、立岩の上に神輿もろとも安置された。この岩は円柱を立てたるごとき長円形の棒岩である。そして神人らは遠く退き拍手を打つて、ウロー、ウローと一斉に讃美しかつ喜び、涙を流して拝礼した。
 常治彦は輿の中より様子怪しと少しく扉を開け見れば、吾が乗れる輿は天をも貫ぬくばかり長き棒岩の上に据ゑられてある。出るにも出られず、下りるにも下りられず、途方にくれ声をかぎりに『オーイ、オーイ』と叫んだ。あまたの神人はその声を聞きつけ『オーイ、オーイ』と、呼ばはりながら喜び、初めて天の神の声を聞きたりと、勇み狂ひ踊り廻つた。常治彦は、
『輿を下せ』
と大声に呼ばはつた。岩の下遠くこの光景を見て立ち騒いでゐた神人らは、一斉に芝生の上に腰をおろし、棒岩の神輿をうち眺めた。常治彦はこれを見てもどかしがり、
『違ふ違ふ』
といふた。違ふという言葉は、顕恩郷にては臀部をまくり握拳で尻を打つと云ふことである。神人らは棒岩の方へ向つて一斉に赤黒い尻をまくり、一二三つと、拳を固めて自分の尻を打ちたたいた。それがために、臀部は青く変色したものさへあつた。命はこれを見て、
『コラコラ』
といつた。コラコラと云ふことは、この郷にては尻をまくつたまま左右に廻ることである。棒岩の上にある命は業を煮やし、
『コラコラ違ふ』
といつた。コラコラと二つ重ねていふ時は、頭を下にし足を上にして手で歩き廻ることである。神人らは天の尊き神の御命令を固く尊信し、先を争うて倒さまになり、前後左右に這ひ廻り、廻り損なつて谷に落ち傷つく者も出来た。中には、
『こいつは真の神でない、吾々を苦しむる悪神である』
とつぶやく者もあつた。何処よりともなく傍の山の中腹に塩治姫、玉春姫の女神の姿が忽然として現はれた。白き尾のやうな領巾を前後左右に振つてゐた。この郷の神人らはその白き領巾を振るとともに、雪崩をうつてもとの平地に帰つてしまつた。常治彦は横槌の柄に乗せられた亀のやうに手足をもがき、
『塩治姫ヤーイ
 玉春姫ヤーイ』
と声をかぎりに叫び、つひにはその声さへ出なくなつてしまつた。
(大正一一・一・五 旧大正一〇・一二・八 加藤明子録)
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