鷹住別の南天王夫婦が去ってしまったため、顕恩郷では蟹若という強者が指導者に選ばれた。顕恩郷の人々は鬼武彦の石像を頼りにし、日夜礼拝を怠らなかった。
あるとき、顕恩郷をものすごい旋風が襲うと、雲の中から鋭い光がひらめき、石神像のままの神が現れた。これは本物の鬼武彦に他ならなかった。
鬼武彦は大江神と改称し、顕恩郷の人々に天教山の野立彦命の教えを伝えるために現れたのであった。
大江神は、『三千世界一度にふさがる泥の海、月日と地の恩を忘れな、心次第の援けの神』と唱えた。神人らは、平和な顕恩郷がどうして泥の海になるのだろうか、といぶかしんだ。
大江神は大神の神示を伝え、顕恩郷の恵みを飽食して暮らすだけではなく、貧しい桃園郷の人々と分かち合う道を説き諭した。
顕恩郷の神人らは大神の神意を悟り、桃園郷に大江神とともに出向いて顕恩郷への移住を勧めた。
顕恩郷の恵みは移住者を受け入れても、十分に有り余るものであった。これより神人らは大江神の教えを守り、敵対していた二つの種族も今は仲良く暮らす小天国が建設された。