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文献名1霊界物語 第5巻 霊主体従 辰の巻
文献名2第6篇 聖地の憧憬よみ(新仮名遣い)せいちのどうけい
文献名3第35章 波上の宣伝〔235〕よみ(新仮名遣い)はじょうのせんでん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2020-04-30 16:04:51
あらすじ
祝部神の教示を聞いていたかの酋長は、もし宇宙の独一真神である大国治立尊が存在するならば、何ゆえ天変地妖をを鎮めて地上の神人らを安堵しないのか、と尋ねた。

祝部神はこともなげに、全知全能の大神の経綸は、我々の知るところではない、と言い放ち、吉凶禍福は神の命じるところであり、我々はただ神の教示に従って霊主体従の行動を取ればよいのだ、と喝破した。

祝部神は雲の出現と行く末さえも、我々は予知することができない、と続け、ただ大神の意思に従順にしたがうのみである、と宣伝した。船中の神人らは大神の無限絶対の霊威に感嘆し、「惟神霊幸倍坐世」と高唱した。

おりから寒風が強く吹いて霰が船に降り注ぎ始めた。祝部神は立ち上がり、宣伝歌を歌って船中の神人らを勇気付けて宣伝を続けた。

船は荒れ狂う海を越えて、かろうじて西南の岸に着いた。ここは埃(え)の宮、または埃(え)の港という。一行は勇んで上陸した。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年01月12日(旧12月15日) 口述場所 筆録者外山豊二 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年4月15日 愛善世界社版209頁 八幡書店版第1輯 591頁 修補版 校定版211頁 普及版90頁 初版 ページ備考
OBC rm0535
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本文  この教示を、首を傾けて聞き入つた彼の酋長は、吐息を吐きながら再び口を開いて云ふ。
『天地の間に、果して貴下の仰せのごとき独一真神なる大国治立尊の坐しますとせば、何故に斯のごとき天変地妖を鎮静せず、地上の神人をして恐怖畏縮せしめ、傍観の態度を取り給ふか。いづくんぞ全智全能の神力を発揮して、世界を救助し給はないのでせうか。吾々は真の神の存在について、大に疑ひを抱くものであります』
と云つて祝部神の教示を待つた。
 祝部神は、事もなげに答へて云ふ。
『宇宙万有を創造し給うた全智全能の大神の経綸は、吾々凡夫の窺知する所ではない。吾らは唯々神の教示に随つて、霊主体従の行動を執ればよい。第一に吾々神人として、最も慎むべきは貪欲と瞋恚と愚痴である。また第一に日月の高恩を悟らねばならぬ。徒に小智浅才を以て、大神の聖霊体を分析し、研究せむとするなどは以ての外の僻事である。すべて吾々の吉凶禍福は、神の命じたまふ所であつて、吾々凡夫の如何とも左右し難きものである。之を惟神といふ。諸神人らはわが唱ふる宣伝歌を高唱し、天津祝詞を朝夕に奏上し、かつ閑暇あらば「惟神霊幸倍坐世」と繰返すのが、救ひの最大要務である。吾々はこれより外に、天下に向つて宣伝する言葉を知らない』
と云つた。
 折しも再び日は西山に姿を没し、半円の月は頭上に輝き始めた。この時又もや東北の天に当つて一塊の怪しき雲片が現はれた。祝部神は神人らに向ひ、
『彼の怪しき雲を見られよ』
 神人らは一斉に東北の天を仰いで視た。祝部神は尚も語をついで、
『すべて神のなす業は、斯くの如きものである。今まで蒼空一点の雲翳もなく、月は皎々として中天に輝き、星は燦爛として満天に列を正し、各大小強弱の光を放つてゐる。地上の吾々凡夫は、実に無知識無勢力である。何時までも天空に明月輝き、星光燦爛たるべきものと、心に期する間もなく、忽然として一塊の怪雲現はれしは、果して何物の所為であらうか。変幻出没窮まりなく、神機無辺の活動はこれ果して何物の所為であらうか。すべて宇宙間一物と雖も、原因なく因縁なくして現はるるものはない。しかしてその原因、因縁は到底凡夫の究めて究め尽す限りではない。諸神人の中に、果して彼の一塊の怪雲は如何に変化するかを知れる者ありや。恐らく一柱として之を前知したまふ神人はあらざるべし。吾々は天地の神の教を説く宣伝使の身としても、一分先の黒雲の結果いかになりゆくかを覚ること能はず、かくのごとき暗昧愚蒙の知識力を以て、神明の聖霊を云為し、神の存否を論争するがごときは、あたかも夏の虫の冬の雪を知らざるがごとき愚蒙のものである。視られよ、彼の黒雲を、次第々々に四方に向つて拡大するに非ずや。其の結果は雨か、嵐か、果た雪か、地震か、雷鳴か、天地の鳴動か、吾々の知識力にては、到底感知する事能はず、唯地上の神人は、宇宙の大原因たる天主大国治立尊の意思に柔順に随ふのみである』
と舌端火を吐いて諄々と宣伝した。
 神人らは祝部神の教示に耳をすませ、今更のごとく、神の無限絶対の霊威と力徳と、其の犯すべからざる御聖体の不可測なるを感嘆しつつ『惟神霊幸倍坐世』と一斉に高唱した。
 前日の喧騒を極めたる此の船は、今は全く祝詞の声清き祭場と化して了つた。折しもまばらなる雨、ぼつぼつと石を投げるごとく船中の神人らの身体を打つた。俄然、寒風吹くよと見る間に、雨は拳のごとき霰を混へて降り注ぎ、これに打たれて負傷する神人さへあつた。このとき祝部神は立上り、又もや、
『朝日は照るとも曇るとも  月は盈つとも虧くるとも
 たとへ大地は沈むとも  誠の神は世を救ふ
 誠の神は世を救ふ  勇みて暮せ、神の造りし神の世ぢや
 神から生れた神の子ぢや  力になるは神ばかり
 神より外に杖となり  柱となるべきものはない
 雨風荒き海原も  地震かみなり火の車
 何の恐れも荒浪の  中に漂ふこの船は
 神の恵みの御試し  喜び勇め神の恩
 讃めよ称へよ神の徳  天地は神の意のままぞ
 天を畏れよ地をおそれ  畏れといつても卑怯心
 出してぶるぶる慄ふでないぞ  神の力を崇むることぞ
 如何なる災難来るとも  神に抱かれし吾々は
 神の助けはたしかなり  たしかな神の御教の
 救ひの船に身を任せ  任せ切つたる暁は
 千尋の海も何のその  海の底にも神坐せば
 たとへ沈んだところーで  どこにも神は坐しますぞ
 讃めよ称へよ祈れよ歌へ  歌ふ心は長閑なる
 春の花咲く神心  神の心になれなれ一同
 一度に開く梅の花  一度にひらく梅の花』
と歌まじりの宣伝を、又もや手真似、足真似しながら、際限もなく説き立てる。
 船は辛うじて西南の岸に着いた。ここを埃の宮と云ひ、また埃の港とも云ふ。一行は勇んで上陸した。海面を見渡せば、山岳の如き荒浪、見るも凄じき音を立てて踊り狂うてゐる。
(大正一一・一・一二 旧大正一〇・一二・一五 外山豊二録)
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