文献名1霊界物語 第6巻 霊主体従 巳の巻
文献名2第4篇 立花の小戸よみ(新仮名遣い)たちはなのおど
文献名3第24章 富士鳴戸〔274〕よみ(新仮名遣い)ふじなると
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
あらすじさて、諾冊二尊は撞の御柱を巡り合い、八尋殿を見立てたまい、美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)の神業を開かせた。美斗能麻具波比とは、火と水の息を調節して、宇宙万有一切に対して活きた生命を賦与する尊い神業である。撞の御柱の根には、清い水が湛えられた。これを後世、琵琶湖という。撞の御柱のまたの御名を、伊吹の御山という。天の御柱神は九山八海(はちす)の山を御柱とし、国の御柱の神は泡立つ海の鳴門灘を胞衣として地の世界を守護した。鳴り鳴りて鳴りあまれる、九山八海(つくし)の火燃輝(ひむか)のアオウエイ(たちばな)の緒戸(おど)というのは、不二山である。鳴り鳴りて鳴り合わざるは、阿波の鳴門である。富士と鳴門の経綸と神諭にあるのは、陰陽合致の天地経綸の微妙なる神業を指しているのである。鳴門は地球上の海洋の水を地中に間断なく吸入して散布し、天の岩戸の神業を補佐している。九山八海の山は、地球の火熱を表面に噴出することで、地中寒暑の調節を保っている。こうして水火がそれぞれ相和して、大地全体の呼吸を永遠に営んでいるのである。九山八海の山とは、蓮華台上という意味である。九山八海(つくし)のアオウエイ(たちばな)とは、高く九天に突出する山、という意味である。富士の山とは、火を吹く山という意味である。富士山の神霊である木花姫は、三界に出没して三十三相に身を変じ、衆生を救済しつつ国祖の再出現を待っているのである。これを仏教では観世音菩薩という。木花とは梅の花であり、三千世界一度に開く梅の花と示されているのは、再び時節が到来して、国祖以下の神人らが、節分の夜に地獄の釜の蓋を開けてふたたび神国の御世を建てさせたまうことである。霊山高熊山の所在地である穴太の里に、聖観世音が祭られているのも、神界における深い因縁であろう。瑞月が幼少よりこの観世音を信仰し、また産土の小幡神社を無意識的に信仰していたのも、何かの神のお引き合わせと思われるのである。
主な人物
舞台
口述日1922(大正11)年01月20日(旧12月23日)
口述場所
筆録者加藤明子
校正日
校正場所
初版発行日1922(大正11)年5月10日
愛善世界社版137頁
八幡書店版第1輯 678頁
修補版
校定版139頁
普及版55頁
初版
ページ備考
OBC rm0624
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