月日の駒は矢のごとく速く過ぎ、瑞霊に縁の深い、壬戌の正月五日となった。
思えば去年の今日は、大阪でわざひとに導かれて暗い根の国の門を潜った。大正日々新聞副社長・高木鉄男氏が門前に送って来てはくれたが、月は西天に輝けども、心は曇り、牢獄の中に囚われた、思い出深い夕べであった。
神の恵みの幸いに、神世の物語を説き始めて、外山、谷口、桜井、加藤の四人の御子に筆を揮わせてつづっていく。心の駒ははやるがなかなか進まない口車、ようやくここに三百三十三節を説き明かす。
秋の最中に筆を取って、今は心も清い白雪が一面の銀世界、すべての枉を清めている。錦水亭の奥深くに悩みの身を横たえて、世人のために言挙げるのは、日の出神のご活動である。
日出づる国の礎を永遠に建てて神の教えを敷き、熊襲の国人たちに光まばゆい水晶の三つの御魂を与えたという、実にめでたい物語である。
花咲く春の三月三日、菖蒲も薫る五月の空には、いつかは胸の闇も晴れるであろう。黒白も分からぬ闇の夜が、光となるのは苦しいことだ。証となるのは尊いことだ。
夢か現か、夢ならばいつかは醒めよと、現身のこの世を思う赤心が朱に染めなす紅葉のように、往事を極めようと先を争ってくる人の魂の証と、教え子が先を争い筆を取る、神の守護もいや深い霊界物語。
語りつくせぬ言霊が清いのは、神の心である。この神心よ、世人の心よ、片時でも鏡に映れよ。真澄の空は行く雲の定めなき、昨日に変わる今日の雪。神を力に教えを杖に、身は高砂の尉と姥、尉と姥との御教えを末永く守れよ。
三千年がその間、守り育てた園の桃を、天津御神に奉る。神の化身の西王母が心の花の開く時、心の花の香る時。世を思う心が胸に満ち、三千年の神の教えを開く今日である。