文献名1霊界物語 第10巻 霊主体従 酉の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3総説歌よみ(新仮名遣い)そうせつか
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
あらすじ世は常闇となり果て、天岩戸を開くよしもない状態である。九月十八日より述べ始めた霊界物語は、三つの御魂にちなんだ三筋の糸に引かれて、二度目の天の岩戸を開く、めでたい神嘉言である。常世の国の自在天は、三つ葉葵の紋章を高く掲げている。思想の洪水は氾濫して、ヒマラヤ山をも浸すほどであるが、この混乱が収まる兆しはまだ見えない。妖邪の気は満ち満ちて、人の心は腐り果てている。この惨状を救う神はいったいどこにいるのだろうか。三五教の御教えこそが、この世の光明であり、とどめ(艮)の教えなのである。キリスト、マルクス、釈迦、竜樹、アインシュタインらが世界の実相を説き明かしてきたと言うが、果たしてそれは真理の究明であったであろうか。宗教学者が主張する死した神仏を葬って、最後の光が墓を蹴り倒す。そうしてよみがえらすのは、五六七神(みろく神)である。そこに胎蔵されているのは、根本的な改造の大光明である。仏者の言う、尽十方無碍光如来(あらゆる方向に向かって何物にも妨げられない光を発する如来、阿弥陀如来)とはこれである。釈迦に悟りを開かしめた暁の太白星も、東方の博士をキリスト生誕の馬小屋に導いた怪星も、否定の闇を打ち破る大統一の太陽も、捨身供養の炎も、みなすべて五六七(みろく)の顕現なのである。精神上の迷信に根ざす宗教はもちろん、物質上の迷信に根ざす科学をも焼き尽くして、迷える魂を導いて神国に復す導火線にしようと、密かにただ一人自負を抱き、二人の吾が真の知己のために注ぐ熱血なのか、自暴自爆の懺悔の火なのか、自分ではわからないが、神のまにまに述べ伝う第十巻である。本巻は、三個の桃の実と現れた松・竹・梅の三姉妹の、獅子奮迅の大活動を後の世に残す物語である。三姉妹の活動が八洲の国の礎を築いたごとく、この物語が、多くの人を大神の誠の道に導き、雄雄しい魂となさしめ給いますように。黄泉比良坂の大峠の物語は、今も昔も同じことである。三つの神魂に習い、桃の花・桃の実となって御国のために尽くすべきである。神は汝とともにある。仁慈深い大神の御手に引かれてやってきた曲神たちを、誠の教えの剣、善言美詞に打ち払い、自身の身そのまま神となって、皇御国のために力限りに尽くせ。神を離れて神に就き、道を離れて道に就く。三五教の月の心を心として尽くす真人こそ、頼もしい限りである。
主な人物
舞台
口述日1922(大正11)年02月27日(旧02月01日)
口述場所
筆録者王仁
校正日
校正場所
初版発行日1922(大正11)年8月20日
愛善世界社版1頁
八幡書店版第2輯 386頁
修補版
校定版3頁
普及版1頁
初版
ページ備考
OBC rm100003
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