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文献名1霊界物語 第10巻 霊主体従 酉の巻
文献名2第2篇 禊身の段よみ(新仮名遣い)みそぎのだん
文献名3第28章 言霊解二〔458〕よみ(新仮名遣い)げんれいかい二
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2021-07-11 17:13:42
あらすじ伊邪那岐大神が御裳を投げ捨てた、というのは平民教育を革正した、ということである。また御衣は肉体、すなわち医術のことである。現代の西洋医学も漢方医も、これを廃して、神国固有の医学を採用せなくてはならない、という意味である。御褌は交通機関、通信機関のことであり、これの大変更が必要である。御冠は華族・神官・大臣・高等官らのことである。同様にして、陸海軍にも大々的改良を加え、神軍の兵法によらねばならないことが示されている。次に農工商に使用すべき機械器具の大改良が必要である。ここまで、伊邪那岐大神投げ捨てたものによって生った十二柱の神々は、大神の大英断によって、世界の各方面に大々的改革を実行され、もって宇宙の大修祓の端緒を開いた神業を現している。現代は上流社会が体主霊従の行為をなし、神に反対している。下流社会には権力も財力もなく、改革を実行する実力がない。そこで大神は中つ瀬である中流社会に降り潜んで、世界大修祓、大改革の神業を遂行したまうのである。大神が宇宙の大修祓をなしたときに出現した神は、八十禍津日神、大禍津日神の二柱である。八十禍津日神、大禍津日神は禍津神たちを監督・制御・懲戒する神である。「日」の字が名前にあることで、悪神である禍津神と区別する。「日」の字がない八十禍津神、大禍津神は悪神である。
主な人物 舞台 口述日1920(大正9)年01月15日(旧11月25日) 口述場所 筆録者外山豊二[#講演筆録] 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年8月20日 愛善世界社版212頁 八幡書店版第2輯 467頁 修補版 校定版218頁 普及版96頁 初版 ページ備考
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本文 『次に投棄つる御裳に成りませる神の御名は、時置師神』
 御裳の言霊、モは下である。平民教育の意味であり、社交的言辞の意である。
 時置師神は、小説や演劇や歌舞や芸技や俗歌等の頭株と言ふ事である。是も根本的に革正さるると言ふ事で、御裳に成る神を投棄て玉ふと言ふ事であります。
『次に投棄つる御衣に成りませる神の御名は、和豆良比能宇斯神』
 御衣の言霊は、身の家と云ふ事である。人の肉体は霊魂の住所であり御衣であります。薬浴防棄避の五種の医術も、皇国医法に適せず、治病の効なく、却て害毒となるを以て、現代の医法を廃し玉ふと云ふ事で、御衣を投棄て玉ふと曰ふ事である。ワヅラヒノウシ神とは、病み煩ひを癒す神と曰ふ事である。凡て医術薬法の、皇国の神法に背反せる事を看破して、根本的革正し玉ふために、御衣を投げ棄て玉うたのであります。現代の西洋医学も漢法医も、之を廃して神国固有の医学を採用せなくては成らぬやうに成つて来て居るのと同じ事であります。
『次に投げ棄つる御褌に成りませる神の御名は道俣神』
 御褌の言霊は、走り駆り廻ると云ふ事で、要するに交通機関や通信機関を指してハカマと言ふのである。今日の汽車は、危車となり鬼車となり、電車、自動車、汽船、飛行船、郵便、電信、電話等も大に改良すべき必要がある。要するに従来の交通や通信機関に対して根本的革正の要あり、故に一旦現代の方法を大変更すべき事を、御褌を投棄つると曰ふのであります。
 道俣神とは、鉄道や航路や道路の神と云ふ事である、交通と通信機関の四通八達せる状況を指して道俣と云ふのである。日本にすれば、現今の鉄道や道路や郵便や電信なぞも、大々的に改良せなくては成らぬやうになつて居る。是を拡張し以て国民の便利を計らねばならぬ今日の現状であるのと同じ事であります。
『次に投げ棄つる御冠に成りませる神の御名は飽咋之宇斯神』
 右の言霊は、三公とか、公卿とか、殿上人とか、神官とか言ふ意味である。今日の世で曰へば、華族とか、神官とか、国務大臣とか、高等官とか曰ふ意味である。是も断乎として改善すると言ふ事が御冠を投げ棄つると言ふ事である。現代は実に一大改革を必要とする時期ではありますまいか。
『次に投げ棄つる左の御手の手纒に成りませる神の御名は、奥疎神、次に奥津那芸佐毘古神、次に奥津甲斐弁羅神』
 左の御手と言ふことは、左は上位であり官である。奥疎神は陸軍である。奥津那芸佐毘古神は海軍である。奥津甲斐弁羅神は陸海軍の武器である。従来の軍法戦術では到底駄目であるから、大々的改良を加へ、神軍の兵法に依り、細矛千足国の実を挙ぐ可く執り行う為に、左の御手の手纒を投棄て玉ふのであります。
『次に投げ棄つる右の御手の手纒に成りませる神の御名は、辺疎神、次に辺津那芸佐毘古神、次に辺津甲斐弁羅神』
 右は下であり民であり地である。辺疎神は農業である。辺津那芸佐毘古神は工商業である。辺津甲斐弁羅神は農工商に使用すべき機械器具である。是も一大改良を要するを以て、従前の方針を変革する事を、右の御手の手纒に成りませる神を、投げ棄て玉ふと言ふのであります。
『右の件、船戸神より以下辺津甲斐弁羅神以前、十二神は身に着ける物を脱ぎ棄て玉ひしに由りて生りませる神なり』
 右の十二神は、黄泉国如す醜穢き国と化り果てたるを、大神の大英断に由りて、大々的改革を実行され、以て宇宙大修祓の端緒を開き給うた大神業であります。
『於是上瀬は瀬速し、下瀬は瀬弱しと詔ごちたまひて、初めて中瀬に降潜きて滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、八十禍津日神、次に大禍津日神、此二神は、其の穢き繁国に到りましし時の汚垢に因りて成りませる神也』
 上瀬とは現代の所謂上流社会であり、下瀬は下流社会である。上流社会は権力財力を恃みて容易に体主霊従の醜行為を改めず、却て神諭に極力反抗するの意を『上瀬は瀬速し』と言ふのである。下流は権力も財力もなく、なにほど神諭を実行せむとするも、其日の生活に苦しみ且つ権力の圧迫を恐れて、一つも改革の神業を実行するの実力なし。故に『下瀬は瀬弱し』と言ふのである。そこで大神は中瀬なる中流社会に降り潜みて、世界大修祓、大改革の神業を遂行したまふのである。中流なれば今日の衣食に窮せず、且つ相当の学力と理解とを有し、国家の中堅と成る可き実力を具有するを以て、神明は中流社会の真人の身魂に宿りて、一大神業を開始されたのであります。
 大神が宇宙一切の醜穢を祓除し玉うた時に出現せる神は、八十禍津日神、つぎに大禍津日神の二神であります。人は宇宙の縮図である。世界も人体も皆同一の型に出来て居るのであるから茲に宇宙と云はず、伊邪那岐大神の一身上に譬へて示されたのである。故に瑞月亦之を人身上より略解するを以て便利と思ふのであります。
 八十禍津神は、吾人の身外に在りて吾人の進路を妨げ且つ大々的反対行動を取り、以て自己を利せむとするの悪魔である。現に大本に対して種々の中傷讒誣を敢へてし、且つ書物を発行して奇利を占めむとする三文蚊士の如きは、所謂八十禍津神であります。之を国家の上から言ふ時は、排日とか排貨とか敵国陸海軍の襲来とかに当るのである。この八十禍津神を監督し、制御し、懲戒し玉ふ神を八十禍津日神といふのであります。日の字が加はると加はらざるとに依つて、警官と罪人との様に位置が替るのであります。大禍津神は吾人の身魂内に潜入して、悪事醜行を為さしめむとする悪霊邪魂である。色に沈溺し、酒に荒み、不善非行を為すは皆大禍津神の所為であります。
 之を国家の上に譬へる時は、危険思想、反国家主義、政府顛覆、内乱等の陰謀を為す非国民の潜在し、且つ体主霊従同様の政治に改めむとする、悪逆無道の人面獣心的人物の居住して居る事である。之を討伐し懲戒し警告するのは大禍津日神であります。

  正        邪
八十禍津日神    八十禍津神
大禍津日神    大禍津神

(大正九・一・一五 講演筆録 外山豊二)
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