現幽神三界を説いた第十四巻の終わりに、三途の川の真相を述べておく。三途の川は、現幽神三界に、諸人たちの霊魂が行く先が定まる場所である。八洲の河、またヨルダンの河とも言われる聖場である。
悪の御魂には脱衣婆が現れて衣服をはぎ、善の御魂には美女が錦の服を授ける。善悪未定の霊魂は、婆が竹箒で娑婆へ追い返す。善悪正邪を立て別ける、御魂の分水嶺である。
川水は、集まってきた人々の霊魂によって清くも濁りもする。激しい上の瀬を渡るのは、現界に生まれ変わったり蘇生したりする霊魂である。弱い下津瀬を渡るのは、根底の国に落ち行く人たちである。温かく美しい中津瀬を渡るのは、天国に行く人たちである。
一方一途の川は、至善至真の天国に一直線に上って行く稀有な御魂や、地獄に一筋に堕ち行く極悪の御魂が渡る、善と悪の一途の川である。
物語は滑稽交じりに述べたが、ぜひ意を留めて反省悔悟の念を起こし、人生の行路を清く正しく歩ませ給え。
神諭にミロクは宇宙一切万有の親神であるとあるが、仏教においてはそうではない、という人がある。仏典にある菩薩は、それぞれ何神・何命にあたるのかは、物語を全部通読すれば、わかってくるのである。
大本教祖の筆先は、仏神一体の神理によって、現代人の耳に入りやすいように仏教の用語を用いられているのである。筆先は、仏教の用語が主となって現れていることを、ここに示しておくものである。