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文献名1霊界物語 第17巻 如意宝珠 辰の巻
文献名2後付よみ(新仮名遣い)
文献名3霊の礎(三)よみ(新仮名遣い)たまのいしずえ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ
高天原の天国に昇る者は、地上にあるときその身内に愛と信との天国を開設しなければ、死後に身外の天国を摂受することはできない。

現実界にある間に、心身内に天国を造っておく必要がある。そのためには神を愛し、神を信じて無限絶対と合一しなければならない。人間は、無限絶対の一断片であるからである。

真神である天之御中主大神が、その霊徳を完備具足したとき、天照皇大神という。また撞の大御神という。

火の御祖神を高皇産霊大神と唱え、厳の御魂と申し奉る。

水の御祖神を神皇産霊大神と唱え、瑞の御魂と申し奉る。

以上の三神はそのご活動によって名称・働きに種々あれども、三位一体にして、天之御中主大神(大国常立命)に帰着する。

故に独一真神である。一神即多神、多神即一神であり、短く「主」という。厳の御魂は霊界人の主であり、瑞の御魂は現界人の心身内を守り治める主である。

死後の歓喜を受けるために、現実界で歓喜の生活を送ろうと思ったら、瑞の御魂の守護を受ける必要がある。瑞の御魂の手と口を通して示された言霊こそが、生命の清水である。

霊界物語によって、人は心身共に歓喜に咽び、永遠の生命を保ち、死後の歓楽郷を築くことができる。

天帝、すなわち主は、水火の息を呼吸して、無限にその生命を保ち、宇宙万有の生命の源泉となっている。

太陽は、また水火の息を呼吸して、恒温を万物に与えている。太陽神、太陰神、人間のそれぞれが呼吸する大気は、それぞれまた違っている。

現実界と精霊界では事象が違うのである。しかし互いに相似している。現実界は、精霊界の移写だからである。

高天原の天国は、主の位格によって高下の区別がある。主を見る各人の塵身また霊身の徳の不同があり、それによって上下・標準が定まるのである。天国には霊身の善徳によって種々の団体が築かれている。

天国外の罪悪不信の徒が主神を見ると、悪相に見える。

主神が天国の団体に姿を現すときは、天人の相に見えるが、他の天人とは天地の相違がある。

荒魂、和魂、奇魂、幸魂を主宰しているのが直霊である。四魂をまったく善と愛と信とに善動し活用するのを全徳という。全徳の霊身はただちに最奥天国に昇る。三徳が活用していると第二天国に進む。二徳は第一天国、一徳は最下天国に進む。

一徳一善もなき者は、草莽間に漂浪し、天の八衢に彷徨するのである。

悪が強い不信不愛不善の徒は、その罪業の軽重に応じて、それぞれの地獄に堕し、罪相応の苦悶を受ける。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年12月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1923(大正12)年1月10日 愛善世界社版289頁 八幡書店版第3輯 631頁 修補版 校定版299頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm179901
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本文 一、高天原の天国に上るものは、地上にある時其身内に愛と信との天国を開設し置かなければ、死後に於て身外の天国を摂受することは不可能である。
一、人間として、其身内に天国を有し無かつたならば身外に在る天国は決して其人に流れ来るものでは無い。又之を摂受することが出来ぬものである。要するに人は現実界にある間に、自ら心身内に天国を造りおく必要がある。而して天国を自ら造り且つ開くのは、神を愛し神を信じ無限絶対と合一しておかねば成らぬ。人は何うしても、この無限絶対の一断片である以上は、何処までも無限絶対、無始無終の真神を信愛せなくては霊肉共に安静を保つことは出来ぬものである。
一、真神たる天之御中主の大神その霊徳の完備具足せるを天照皇大御神と称へ奉り、又撞の大御神と称へ奉る。而して火の御祖神(霊)を高皇産霊大神と称へ厳の御魂と申し奉り、水の御祖神(体)を神皇産霊大神と称へ瑞の御魂と申し奉る。
一、霊系の主宰神は厳の御魂に坐します国常立神、体系の主宰神は瑞の御魂と坐します豊国主尊と申し奉る。
一、以上の三神は其御活動に由りて種々の名義あれども、三位一体にして天之御中主の大神(大国常立命)御一柱に帰着するのである。
一、故に独一真神と称へ奉り、一神即ち多神にして多神即ち一神である。之を短縮して主と曰ふ。又厳の御魂は霊界人の主である。又瑞の御魂は現界人の心身内を守り治むる主である。
一、現界人にして心身内に天国を建てておかねば死後身外の天国を摂受することは到底不可能である。死後天国の歓喜を摂受し且つ現実界の歓喜生活を送らむと思ふものは、瑞の御魂の守りを受けねばならぬ。要するに生命の清水を汲み取り飢渇ける心霊を霑しておかねば成らぬのである。瑞の御魂の手を通し、口を通して示されたる言霊が即ち生命の清水である。霊界物語によつて人は心身共に歓喜に咽び、永遠の生命を保ち、死後の歓楽境を築き得るものである。
一、天帝即ち主は水火の息を呼吸して無限にその生命を保ち又宇宙万有の生命の源泉と成り玉ふ。
一、太陽又水火の息を呼吸して光温を万有に与ふ。されど太陽神の呼吸する大気は、太陰神の呼吸する大気ではない。又人間の呼吸する大気は、主及び日月の呼吸する大気では無い。故に万物の呼吸する大気も亦、夫れ夫れに違つて居る。凡て神の呼吸する大気は現体の呼吸する大気では無い。現実界と精霊界と凡ての事象の相違あるは、是にても明かである。併しながら現実界も精霊界も、外面より見れば殆んど相似して居るものである。何ンとなれば現実界の一切は精霊界の移写なるを以てである。
一、高天原の天国は主の神格に由りて所成せられて居る。故に全徳の人間の往く天国と、三徳二徳一徳の人間の往く天国とは各高下の区別がある。又主を見る人々に由つて主の神格に相違があるのである。
一、そして何人の眼にも同一に見えざるは主神の身に変異があるのでは無い。主を見る所の塵身又は霊身に、その徳の不同があつて、自身の情動に由りて其標準を定むるからである。
一、天国には霊身の善徳の如何に由つて高下大小種々の団体が開かれて居る。主を愛し主を信じて徳全きものは、最高天国に上り最歓喜の境に遊び、主の御姿も亦至真至美至善に映ずるのである。茲に於てか天国に種々の区別が現出し、主神の神格を見る眼に高下勝劣の区別が出来るのである。
一、又天国外に在る罪悪不信の徒に致つては主神を見れば苦悶に堪へず、且つ悪相に見え恐怖措く能はざるに致るのである。
一、主神が天国の各団体の中にその神姿を現はし給ふ時は、其御相は一個の天人に似させ玉ふ。されど主は他の諸多の天人とは天地の相違がある。主自らの御神格が其神身より全徳に由つて赫き玉ふからである。
一、一霊四魂即ち直霊、荒魂、和魂、奇魂、幸魂、以上の四魂には各自直霊と云ふ一霊が之を主宰して居る。この四魂全く善と愛と信とに善動し活用するを全徳と曰ふ。全徳の霊身及び塵身は直に天国の最高位地に上り、又三魂の善の活用するを三徳と云ひ第二の天国に進み、又二魂の善の活用するを二徳と云ひ第三の天国へ進み、又一魂の善の活用するを一徳又は一善と云ひ、最下級の天国へ到り得るものである。一徳一善の記すべき無きものは、草莽間に漂浪し、又は天の八衢に彷徨するものである。
一、之に反して悪の強きもの、不信不愛不徳の徒は、其罪業の軽重に応じて夫れ夫れの地獄へ堕し、罪相当の苦悶を受くるのである。
大正十一年十二月
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