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文献名1霊界物語 第18巻 如意宝珠 巳の巻
文献名2後付
文献名3霊の礎(四)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ真の神であり、厳瑞である主神に認められ、愛され、信じられ、また主神を認めて深く信じ愛する所には、必ず天国が開かれる。善徳が同じでないことから、主神を礼拝する方法もひとつではなく、そのために人が往生すべき天国に差ができるのである。
天国は、このような各種の部分から成るひとつの単元である。天国の円満具足の相は、これら部分が調和しているところから来るのである。また各部分に変化があり、その性質によって、円満具足の相が保たれる。
天国の全体は、ひとつの巨人に譬えられる。第一天国は頭部から頚部、第二天国は胸部から膝まで、第三天国は脚部と肘から先を成しているようなものである。
天国は上方にも、中間にも、下方にも存在する。それぞれに天人や精霊が住んでいる。各自その善徳によって住所を異にしている。
宇宙全体では、一物として失われるものはなく、また静止しているものもない。人間の意志や情動も朽ちないものである。霊魂不滅であるから、記憶や意思をもって天国に行くのである。現界へ再生するときは、肉体が弱小であるために、思い出せないだけなのである。また過去世の記憶は人生に益なく弊害があるために、思い出す必要もないのである。しかし天国に行くと、それはますます明瞭になってくる。そのため、天国では再生ではなく、復活というのである。
科学的な交霊論者の議論は、まったく無駄ではないにせよ、謎の間で板ばさみになっている。もはや時間を数えることができない世界へ、死者の後をほんの一足つけて行くだけなのである。
宇宙の真相は、二言三言では現せないし、言い表したとしても、決して現代人の脳に入りきらない。人間の分際としては、いかなる聖人賢哲も、天国や霊界の秘密・真相を握る事は不可能である。この秘密や真相は、宇宙それ自身と同等に無限、絶対、不可測、究極するところの無いものだからである。
死者が我々と交通可能なときには、死者の方でもたいして報告すべきことがない状態にある。一方で天国に登った後は、もはや交通はできないのである。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年12月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所
OBC rm189901
本文の文字数1894
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本文 一、真神又は厳瑞なる主神に認められ愛せられ信ぜられ又主神を認め深く信じ厚く愛する所には必ず天国が開かれるものである。諸多の団体に於ける善徳の不同よりして、主神を礼拝するその方法も亦同一でない、故に天国にも差等あり人の往生すべき天国に相違が出来るのである。併し乍ら天国の円満なるは此の如く不同あるが故である。同一の花の咲く樹にも種々の枝振りもあり花にも満開のもの半開のもの莟の儘のものがあつて、一つの花樹の本分を完全に尽して居るやうなものである。
一、天国は各種各様の分体より形成したる単元であつて、その分体は最も円満なる形式の中に排列せられて居る。凡て円満具足の相なるものは諸分体の調節より来るものといふことは吾人の諸々の感覚や外心を動かす所の一切の美なるもの楽しきもの心ゆくものの性質を見れば分明である。数多の相和し相協うた分体があつて或は同時に或は連続して節奏および調和を生ずるより起り来るもので決して単独の事物より発せないものである。故に種々の変化は快感を生ずるに到ることは吾人の日夜目撃実証する所である。そして此快感の性相を定むるは変化の性質如何にあるのである。天国に於ける円満具足の実相は種々の変態に帰因することを明め得らるるのである。
一、天国の全体は一の巨人に譬ふ可きものである。故に甲の天国団体はその頭部に又は頭部の或る局所に在る様なものである。乙天国の団体は胸部に又胸部の或る局所にある。丙天国の団体は腰部又は腰部の或る局所に在る如きものである。故に最上天国即ち第一天国は頭部より頸に至るまでを占め、中間即ち第二天国は胸部より腰及び膝の間を占め、最下即ち第三天国は脚部より脚底と臂より指頭の間を占めて居る様なものである。
一、天国は決して上の方而已に在るもので無い。上方にも中間にも下方にも存在するものである。人間の肉体に上下の区別なく頭部より脚底に至るまでそれぞれ意志の儘に活動する資質ある如きものである。故に天国の下面に住む精霊もあり、天人もある、又天国の上面に住むのも中間に住むのもある。天の高天原もあり地の高天原も在つて各自その善徳の相違に由つて住所を異にするのである。
一、宇宙間に於ては一物と雖も決して失はるる事も無く、又一物も静止して居るものでは無い。故に輪廻転生即ち再生と云ふことは有り得べきものである。然るに生前の記憶や意志が滅亡した後に矢張個人と云ふものが再生して行くとすれば、約り自分が自分であると云ふ事を知らずに再生するものならば再生せないも同じことであると云ふ人がある。実に尤もな言ひ分である。凡て人間の意志や情動なるものは、何処までも朽ないものである以上は、霊魂不滅の上から見ても記憶や意志を有て天国へ行くものである。然し現界へ再生する時は一旦その肉体が弱少となるを以て容易に記憶を喚起することは出来ないのである。又記憶して居ても何の益する所なき而已ならず、種々の人生上弊害が伴ふからである。之に反して天国へ往く時はその記憶も意念も益々明瞭に成つて来るものである。故に天国にては再生と云はず、復活と云ふのである。
一、科学的の交霊論者は人霊の憑依せし情況や死後の世界に就いて種々と論弁を試みて居るのは全然無用の業でもない。然し乍ら彼等の徒は最初と最後の此の二つの謎の間に板挟みの姿で、其言ふ所を知らない有様である。彼等はホンの少時間、時間と云ふものを最早数へることの出来ぬ世界へホンの一足許り死者の跡をつけて行くだけであつて、闇黒の中で其儘茫然としてその行衛を失つて了つて居る。彼等に対して宇宙の秘密や真相を闡明せよと言つた所で、到底ダメである。
一、宇宙の秘密や真相は到底二言や三言で現代人の脳裡に入るものでは無い。又本当にこれを物語つた所で到底人間の頭脳に這入り切れるものでは無い。人間の分際としては如何なる聖人も賢哲も決して天国や霊界の秘密や真相を握る事は不可能だと信じて居る。何となれば此秘密や真相は宇宙それ自身の如く無限で絶対で不可測で窮極する所の無いものだからである。
一、死者が矢張り霊界に生て居るならば、彼等は何等かの方法を用ゐてなりと吾々に教へて呉れさうなものだと云ふ人がある。然しながら死者が吾々に話をすることが出来る時分には死者の方に於て何も吾々に報告すべき材料を持つて居ないし、又何か話すべき程の事柄を知り得た時分には、死者は最早吾々と交通の出来ない天国へ上つて、永久に吾々人間と懸け離れて了つて居るからである。
 大正十一年十二月
(昭和一〇・六・三 王仁校正)
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