文献名1霊界物語 第21巻 如意宝珠 申の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3総説よみ(新仮名遣い)そうせつ
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
あらすじ霊界は想念の世界であって、無限に広大な精霊世界である。現実界はすべて、神霊世界の移写・縮図である。霊界の真象を写したのが、自然界なのである。神霊界は現界人が夢想しえないほど広大である。現界の一間四方の神社の内陣も、霊界では十里四方くらいもある。神霊は情動想念の世界であるから、自由自在に想念の延長をなしうる。世界は霊界が主であり、現界すなわち形体界が従である。一切万事が霊主体従的に組織されているのが宇宙の真相であり、大神の御経綸なのである。現実界の他に神霊界が厳然として存在することを知らない人が聞いたら、一笑に付するかもしれないが、無限絶対無始無終の霊界の事象は、現界に住む人間の智力では到底会得できるものではない。この物語は現・幽・神の三界を一貫しており、過去・現在・未来を透徹している。それゆえ、読む人によって種々の批評が出てくるであろうが、現実界を従とし神霊界を主として熟読するなら、幾分かその真相を掴むことができるであろう。
主な人物
舞台
口述日1922(大正11)年05月21日(旧04月25日)
口述場所松雲閣
筆録者口述著者
校正日
校正場所
初版発行日1923(大正12)年4月5日
愛善世界社版3頁
八幡書店版第4輯 265頁
修補版
校定版3頁
普及版1頁
初版
ページ備考
OBC rm210003
本文のヒット件数全 2 件/不二山=2
本文の文字数917
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本文
霊界は想念の世界であつて、無限に広大なる精霊世界である。現実世界は凡て神霊世界の移写であり、又縮図である。霊界の真象をうつしたのが、現界、即ち自然界である。故に現界を称してウツシ世と言ふのである。例之一万三千尺の大富士山を僅か二寸四方位の写真にうつした様なもので、その写真が所謂現界即ちウツシ世である。写真の不二山は極めて小さいものだが、其実物は世人の知る如く、駿、甲、武三国にまたがつた大高山であるが如く、神霊界は到底現界人の夢想だになし得ざる広大なものである。僅か一間四方位の神社の内陣でも、霊界にては殆ど現界人の眼で見る十里四方位はあるのである。凡て現実界の事物は、何れも神霊界の移写であるからである。僅に一尺足らずの小さい祭壇にも、八百万の神々や又は祖先の神霊が余り狭隘を感じ玉はずして鎮まり給ふのは、凡て神霊は情動想念の世界なるが故に、自由自在に想念の延長を為し得るが故である。三尺四方位の祠を建てておいて下津岩根に大宮柱太敷立、高天原に千木高知りて云々と祝詞を奏上するのも、少し許りの供物を献じて、横山の如く八足の机代に置足らはして奉る云々とある祝詞の意義も、決して虚偽ではない。凡て現界はカタ即ち形の世界であるから、その祠も供物も前に述べた不二山の写真に比すべきものであつて、神霊界にあつては極めて立派な祠が建てられ、又八百万の神々が知食しても不足を告げない程の供物となつて居るのである。凡て世界は霊界が主で現界即ち形体界が従である。一切万事が霊主体従的に組織されてあるのが、宇宙の真相で大神の御経綸である。現実界より外に神霊界の儼然として存在する事を知らない人が斯んな説を聞いたならば定めて一笑に付して顧みないでありませう。無限絶対無始無終の霊界の事象は、極限された現界に住む人間の智力では、到底会得する事は出来ないでせう。
この物語は、現、幽、神、三界を一貫し、過去と現在未来を透徹したるが故に、読む人々に由つて種々と批評が出るでせうが、須らく現実界を従とし、神霊界を主として御熟読あらば、幾分か其真相を掴む事が出来るであらうと思ひます。
惟神霊幸倍坐世。
大正十一年五月廿一日
於松雲閣 口述著者識