駒彦と秋彦の二人は、常楠夫婦を連れて、栗栖川のほとりの栗栖の森に着いた。老人の常楠は疲れを覚えて、にわかに胸腹部の激痛を感じて発熱してしまった。一行は栗栖の宮に立ち寄って、介抱に尽くすことになった。
二人の宣伝使は栗栖川の上流に良薬があると聞いて、薬草を求めて山深く入って行った。お久は一人宮に残って、常楠の看病をしている。
すると夜更けに宮の縁側に覆面をした男が二人現れ、ひそびそ話を始めた。それは数日前に常楠のところに押し入ったバラモン教の虻公と蜂公だった。
お久はてっきり、駒彦と秋彦が戻ったのかと思って二人を中へ入れようとしたが、虻公と蜂公の顔を見て悟り、懐剣を抜くと逆手に構え、娘の敵を討つと凄んだ。
しかし長刀を抜き放った二人に詰め寄られてしまう。そこへ駒彦と秋彦が戻って来て、虻公と蜂公に霊縛をかけた。二人が持ち帰った薬草で、常楠はみるみるうちに恢復した。
常楠は霊縛された二人を見て、娘の敵とは言いながら憐れを催し、改心を促した。駒彦と秋彦も改心を促して、霊縛を説いた。虻公と蜂公は床に頭をつけてすすり泣いて懺悔をなす。
常楠は、自分が娘の敵といって二人を成敗したら、二人の両親が嘆くだろうと言って、親に免じて改心をするようにと諭した。そして、二人の生まれ育ちを聞きただす。
虻公は印南の里の森に捨てられていて、情け深い里人に拾われて育てられたが、大恩ある育ての親も六歳の頃に病気で亡くなってしまい、それからは放浪して悪事に染まってしまったと身の上を明かした。
虻公は捨てられていた自分に添えられていた守り刀に、常という字が印してあったのが唯一の手がかりだ、と明かした。
常楠はその守り刀を見せてもらうと、紛れも無く自分の家紋が記してあった。常楠は、若い頃に下女に産ませた子を、守り刀と共に捨てたことを懺悔した。虻公は、駒彦の母違いの兄弟であることが明らかになった。
常楠はお久に詫びをするが、お久も懺悔して、嫁ぐ前に親の許さぬ仲の男との間に子をもうけ、熊野の森へ捨て子したことを明かした。
それを聞いた蜂公は、自分は熊野の森に捨て子されていたのを、山賊の親分に拾われて育ち、今に至るのだと身の上を語った。そして、今は取り落としてしまったが捨て子の自分と一緒に添えられていた守り刀に、蜂という印があり、それで蜂公と呼ばれるようになったのだ、と明かした。
お久はそれを聞いて、蜂公が自分が捨てた子であるとわかった。一同は秋彦の導師で感謝祈願を奏上した。