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文献名1霊界物語 第24巻 如意宝珠 亥の巻
文献名2後付よみ(新仮名遣い)
文献名3霊の礎(一〇)よみ(新仮名遣い)たまのいしずえ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ
高天原の天界には、地上と同じく住所や家屋がある。天人が生活することは、地上の人間が生活するのと似ている。天人とは人間だからである。

現実界すなわち自然界とは、霊界の移写なのである。それゆえ、霊界の事物は自然界と同様なのである。

天人も現界人と同じく名誉富寿を願い、また進歩や向上がある。向上が進むにしたがって立派な地所や家屋に住み、光輝ある衣服を着るのである。その徳に応じて主神から与えられる。疑いを捨てて天国の生活を信じるときには、自然に崇高偉大な事物を見るべく、大歓喜を摂受することができるのである。

天国にも士農工商があるが、ただ各自能力を発揮して公共的に尽くすのみである。天国における士とは軍人ではなく宣伝使である。人間は意志感情や事業を死後の世界まで継承するのである。

天国霊国にも貧富がある。生前にその財産を善用し神を信じて神を愛するために活用した者は、天国において富者となる。公共のために財産を善用した人は、中位の富者となる。私利私欲のためだけに使った者は、貧者となる。

死後の世界において歓喜の生涯を送るためには、現世においても神を理解し信じ愛し、現世においても歓喜の生涯を生前から営んでいなければならない。現世的事業を捨てて山林に隠遁した者は、やはり死後においても生前と同様、孤独の生涯を送る。

天国に安全な生活を営もうと望むなら、生前に各自の業を励み、最善の努力を尽くさなければならない。

また宣伝使は宣伝使としての本分を尽くすべきである。世間心を起こして宣伝使の業を行ってはならない。神の道を舎身的に宣伝し、天国と霊国の状態を知らしめ、世人に光明の歓喜を伝えることに心を砕かなければならない。

主の神は、仁愛の天使を世に降し、地上の民を教化するために月の光を地上に投じたもうたのである。宣伝使はこの月光を力として自己の霊魂と心性を磨き、神を信じ愛し理解し、これを万民に伝えなければならないのである。

天界地上界の区別なく、神の道に仕える身魂ほど歓喜を味わう幸福者はないのである。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年12月 口述場所 筆録者王仁 校正日 校正場所 初版発行日1923(大正12)年5月10日 愛善世界社版284頁 八幡書店版第4輯 719頁 修補版 校定版293頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm249901
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本文 一、高天原の天界には、地上の世界と同様に住所や家屋があつて、天人が生活して居ることは地上の世界に於ける人間の生活と相似て居るのである。斯くいふ時は現界人は一つの空想として一笑に付し顧みないであらう。それも強ち無理ではないと思ふ。一度も見たことも無く、又天人なるものは人間だと云ふことを知らぬ故である。又天人の住所なるものは、地球現界人の見る天空だと思ふから信じないのである。打見る所天空なるものは冲虚なるが上に、其天人といふものも亦一種の気体的形体に過ぎないものと思ふからである。故に地の世界の人間は、霊界の事物にも亦自然界同様であるといふ事を会得することが出来ぬからである。現実界即ち自然界の人間は、霊的の何者たるかを知らないから疑ふのである。地上の現界を霊界の移写だといふことを自覚せないから、天人と云へば天の羽衣を着て、空中を自由自在に飛翔するものと思つてゐるのは人間の不覚である。天人は之等の人間を癲狂者と云つて笑ふのである。
一、天人の生活状態にも各不同があつて、威厳の高きものの住所は崇高なものである。又それに次ぐものはそれ相応の住所がある。故に天人にも現界人の如く名位寿福の願ひを持つて居て進歩もあり向上もあるので、決して一定不変の境遇に居るものでは無い。愛と信との善徳の進むに従つて倍々荘厳の天国に到り、又は立派なる地所や家屋に住み、立派なる光輝ある衣服を着し得るものである。何れも霊的生活であるから、その徳に応じて主神より与えへらるるものである。凡ての疑惑を捨てて天国の生活を信じ死後の状態を会得する時は自然に崇高偉大なる事物を見るべく、大歓喜を摂受し得るものである。
一、天人の住宅は地上の世界の家屋と何等の変りも無い。只その美しさが遥に優つてゐるのみである。その家屋には地上の家屋の如く奥の間もあり、寝室もあり、部屋もあり、門もあり、中庭もあり、築山もあり、花園もあり、樹木もあり、山林田畑もあり、泉水もあり、井戸もあつて、住家櫛比し都会の如くに列んで居る。亦坦々たる大道もあり、細道もあり、四辻もあること地上の市街と同一である。
一、天界にも又士農工商の区別あり。されど現界人の如く私利私欲に溺れず、只その天職を歓喜して天国の為に各自の能力を発揮して公共的に尽すのみである。天国に於ける士は決して軍人にあらず、誠の道即ち善と愛と信とを天人に対して教ふる宣伝使のことである。地上に於て立派なる宣伝使となり其本分を尽し得たる善徳者は、天国に住みても依然として宣伝使の職にあるものである。人間は何処までも意志や感情や又は所主の事業を死後の世界迄継承するものである。又天国霊国にも、貧富高下の区別がある。天国にて富めるものは地上の世界に於てその富を善用し、神を信じ神を愛するために金銀財宝を活用したるものは天国に於ては最も勝れたる富者であり、公共のため世人を救ふために財を善用したるものは中位の富者となつて居る。又現界に於てその富を悪用し、私心私欲の為に費し又は蓄積して飽くことを知らなかつた者は、其の富忽ち変じて臭穢となり、窮乏となり、暗雲となりて霊界の極貧者と成り下り、大抵は地獄に堕するものである。又死後の世界に於て歓喜の生涯を営まむと思ふ者は、現世に於て神を理解し、神を愛し神を信じ、歓喜の生涯を生前より営みてゐなければ成らぬのである。死後天国に上り地獄の苦を免がれむとして、現世的事業を捨てて山林に隠遁して世事を避け、霊的生活を続けむとしたる者の天国に在るものは、矢張生前と同様に孤独不遇の生涯を送るものである。故に人は天国に安全なる生活を営まんと望まば、生前に於て各自の業を励み、最善の努力を尽さねば死後の安逸な生活は到底為し得ることは出来ないのである。士は士としての業務を正しく竭し、農工商共に正しき最善を尽して、神を理解し知悉し之を愛し之を信じ善徳を積みておかねばならぬ。又宣伝使は宣伝使としての本分を尽せばそれで良いのである。世間心を起して、農工商に従事する如きは宣伝使の聖職を冒涜し、一も取らず、二も取らず、死後中有界に彷徨する如き失態を招くものである。故に神の宣伝使たるものは何処までも神の道を舎身的に宣伝し、天下の万民を愛と信とに導き、天国、霊国の状態を知悉せしめ、理解せしめ、世人に歓喜の光明を与ふることに努力せなくては成らぬのである。天界に坐ます主の神は仁愛の天使を世に降し、地上の民を教化せしむべく月の光を地上に投じ給うた。宣伝使たるものは、この月光を力として自己の霊魂と心性を研き、神を理解し知悉し、愛と信とを感受し、是を万民に伝ふべきものである。主一無適の信仰は、宣伝使たるものの第一要素であることを忘れてはならぬ。天界地上の区別なく神の道に仕ふる身魂ほど歓喜を味はふ幸福者は無いのである。
 アヽ惟神霊幸倍坐世。
   大正十一年十二月   王仁
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