文献名1霊界物語 第25巻 海洋万里 子の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3総説よみ(新仮名遣い)そうせつ
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
あらすじ成因成果ことごとく皆、教えとならないことはない。山野の樹草が風に吹かれて自然の舞踏を演じる。河水は音楽を奏し、鳥歌い蝶舞い花笑う天地は、一つとして神の御声・御姿でないものはないのである。
空に輝く日月星辰も、みなこれ神の表現であり、天地は我々の大師であり教典である。善悪美醜、一つとして神の御姿なのである。
この三界の物語に述べるところも、一切の神業のみなのである。瑞月が走らせる口車も、また神の一端の御用であることを疑いません。
主な人物
舞台
口述日1922(大正11)年07月12日(旧閏05月18日)
口述場所竜宮館
筆録者
校正日
校正場所
初版発行日1923(大正12)年5月25日
愛善世界社版3頁
八幡書店版第5輯 30頁
修補版
校定版3頁
普及版1頁
初版
ページ備考
OBC rm250002
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本文
梧桐一葉落ちて天下の秋を伝ふ。春風一陣水を過りて万波揺ぐ。成因成果悉く皆物の教とならぬはない。山野の樹草は風に吹かれて自然の舞踏を演じ、河水は独り音楽を奏し、鳥歌ひ蝶舞ひ花笑ふ至美至楽の天地、一として神の御声ならざるは無く、神の御姿ならざるはない。空に輝く日月も、星晨も、皆是神の表現、天地は吾々の大師であり経典である。善悪美醜一として神の御姿ならざるはない。あゝ三界の物語、述ぶる処は一切の神業のみである。瑞月が走らす口車も又神の一端の御用たる事を疑ひませぬ。
大正十一年七月十二日(旧閏五月十八日)
於竜宮館