(一)
ひの神国の中心地に夫婦の神が現れて、みろくの御代を開こうと四つ尾山の裾に斎の神の口を借りて、神代の有様を説き明かし、大和魂の養成に身も心も尽くして言の葉を百の神たちや諸人たちに宣旨したまう。
神が表に現れて昔の神代に建て直し、奈落の底に落ちた餓鬼畜生の身魂まで助けようと三五の誠心を振り起して、血潮を吐きつつ雲霧を払う有り難さ。
隔てなき世である神の国を待ち、五六七のうまし世を世界に照らすことこそ、実に尊さの極みである。
(二)
神が表に現れて、唐の身魂も諸共に治めて救う。百八十国の果てまでも照らす霊界物語。東西南北は天津日嗣の御陵厳に楽土と変わる。四方の国を晴らして助ける皇神は、蓮華台上に鎮まって天地と世を清め、梅の花が開くようにたちまち現れ出る。
国常立大御神は、永遠に五六七の世を治め給う。
高天原に隈なく照り輝く御光に我が身の雲を晴らしつつ、心の鏡を瑠璃光如来に磨かれて、いよいよ神の道をのどかに進むこととなる。
世の中は紫陽花の花の色のように変化する。鬼も悪魔もたちまち、月の光に照らされて、国常立・豊雲野両神の神魂に見習って至仁至愛の身魂となるのである。これが神の教えにかない、睦び親しむ五六七の世である。日の大神は天の岩戸が開けて出でます。世界は光り輝く神の国となった。
秀妻の国も仏教の教えを誤解したがために汚れてしまったのだが、経緯の二柱が波に漂うように迷っていた民草を救い上げた。
富んだ人も貧しい人ものどかな園に睦びあい、良い・悪いという固い垣根を取り払って暮らすのが神の御代である。命を長く保ち、神人の光は高く天地にさえ渡るのである。
錦の機の御仕組みで瑞御魂と厳御魂が並んで現世の亡びを助けようと大御声をせきこみ給う。しかしそれを聞く人もなく、木々がもまれる有様は並々ならない風情である。
世界にとどろく葦原の瑞穂の国の民草よ、野にも山にも神の徳があり、秋の稲の稔りは著しい。それほどに神が守り給える尊さを思え。そして血潮に染まる紅葉や、清く咲く蓮華の花、隆々と登る旭光に倣って、神の道・秀妻の国の精神を世界の果てまで輝かせ、五六七の御代を楽しもう。