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文献名1霊界物語 第30巻 海洋万里 巳の巻
文献名2第4篇 修理固成よみ(新仮名遣い)しゅうりこせい
文献名3第14章 霊とパン〔856〕よみ(新仮名遣い)れいとぱん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2022-06-10 17:28:26
あらすじ言依別命と国依別は、テルの港から北へ進んで、御倉山という高山に到着した。竜世姫命を奉斎した立派な社が建っている。二人はここに参拝した。谷川には御倉魚という美しい魚が棲んでいたが、国人たちはこれを神の使いと信じ、食べるとたちまち口がきけなくなり斑紋が体に現れると恐れて、口にするものはなかった。この地方はこのごろ、飢饉に襲われて、人々が祈願をしに社に集まってきていた。言依別命は国依別とともにこの有様を見て、人々を救おうと思案にくれていた。谷底には白衣を着たウラル教の宣伝使が人々に向かって説教をしている。なぜこのような苦しみを受けなければならないのか、と問う人々に対して、ウラル教の宣伝使は苦しみの世界である現世を離れよ、と説いていた。飢饉の苦しみを訴える人々に対して、ただ殺生を禁じ、神を称えることのみを説いていた。言依別命は宣伝歌を歌いながら谷底に下りてきた。その歌には、御倉魚を人々に与えて飢饉を救ってやろうと歌われていた。ウラル教の宣伝使ブールは二人のところにやってきて、神の御使いの魚を取って喰わせようという言依別命に抗議した。言依別命は人の命と魚の命とどちらが大切か、と問いかける。ウラル教の宣伝使はあくまで人は罪の子であり、贖罪のために苦しみを受けるべきだと主張する。国依別は売り言葉に買い言葉で、皆の目の前で御倉魚を実地に食べて、神の祟りがあるかどうか確かめることになった。国依別が谷川に下りて、たくさん泳いでいる御倉魚を掴み取ってむしゃむしゃ食べるのを目にして、人々は安心して国依別に続いた。ウラル教の宣伝使たちはこそこそと姿を消してしまった。これより、この国のひとたちはウラル教に愛想をつかし、三五教を奉じることになった。言依別命はテルの国を越えてウヅの国に行くこととなった。国依別は言依別命の命を奉じてしばらくここに留まり、ヒルの都からハルの国を廻ってからウヅの国に合流することになった。国依別の布教によって、三五教は非常な勢いを得ることになった。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年08月15日(旧06月23日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1923(大正12)年9月15日 愛善世界社版165頁 八幡書店版第5輯 630頁 修補版 校定版177頁 普及版64頁 初版 ページ備考
OBC rm3014
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本文  テルの港に安着した高島丸を乗すてて、言依別神、国依別は北へ北へと進み行く。此処には御倉山と云ふ高山があり、国人の信仰に依りて、竜世姫命を奉斎したる可なり立派な社が建つてゐる。之を御倉の社と云ふ。テルとヒルとの国境に秀立せる大山脈の最もすぐれて高き峰である。祠は御倉山の麓にあつた。さうして清き広き谷川が飛沫を飛ばして唸りを立てて居る。言依別命は国依別と共に、先づ第一に此処に参詣した。
 此谷川に限つて、御倉魚と称する、長さ五六尺のいろいろ雑多の斑紋ある美しき魚が沢山に棲んで居る。されど国人はこれ全く御倉の社の御使と信じて、之を捕獲せむとする者は一人もなかつた。もしも此魚を取り食ふ者ある時は、忽ち口歪み、唖となり、顔面全部に青赤白黄紫萌黄などの斑紋が現はれるので、誰も之を捕獲する者なきのみならず、此魚を見れば神の如くに尊敬し、手を合せて吾願望を祈願するを常としてゐた。
 此頃ヒルとテルとの国境に於ける殆んど五十里四方の地域は連日雨降らず、草木は殆んど枯葉の如く、果物は実入らず、五穀も亦一粒も取れなかつた。夫れが為路傍に餓孚充ち、其惨状目も当てられない計りであつた。数多の国人は御倉山の山麓に集まり、此御倉魚に向つて、饑饉を免れむことを祈願する者引きも切らず、此谷間は殆ど人を以て埋もれてゐた。
 言依別命は国依別と共に此有様を眺め憐愍の情に堪へかね、如何にもして彼等が飢を救ひ、大切なる生命を保たしめむと、首を傾けて思案に暮て居る。谷底深く見渡せば、白衣を着たるウラル教の宣伝使四五人現はれて、切りに天国の福音を説き諭して居る。人々は宣伝使の前に蝟集し、空腹を抱へて、いろいろと質問を試みてゐた。
 甲、細き声にて、
甲『宣伝使様、どうして此様な饑饉が参つたので御座いませう? 吾々等は最早生命は旦夕に迫り、死を待つより途なき者、両親は四五日前に餓死し妻は乳児を抱いたまま、之れ亦餓死し、後に私一人取残されましたが、最早三日の寿命もむづかしくなつて来ました。此世を救ひ給ふ神様、真におはしますならば、なぜ斯様な罪のない子供までが、饑餓の苦みを受けて居るのに、どうもして下さらないのでせうか? 私等は今日に至つて、神様の存在を疑はねばならなくなりました。私の村は最早七八分まで、ウラル教を信じて居乍ら、餓死して了ひました。斯うやつて此処に参つて居る人々は、御存じの通り痩せ衰へ、何程達者な者でも、ここ十日の間には一人も残らず餓死をせなくてはならぬ運命におかれてる者計りです。どうか此苦みをお助け下さる訳には参らぬものでせうか?』
宣伝使『迷へる者よ! 汝等ウラル教の神の福音を聞け! 人の斯世に生れ来るや、幽窮無限の天地に比ぶれば、旦の露の短き命のみ。現世は仮の浮世なるぞ、苦みの家なるぞ、火宅なるぞ。何を苦んで現世にあこがれ、苦みを求めむとするか。時は近づきたり、審判の時は……汝等、わが前に悔い改め、盤古大神の前に今迄の重き罪を謝せよ。然らば汝が生命は仮令飢ゑ死にする共、其霊魂は永遠の花咲きみのる天国に救はれ、無限の栄楽を受け、常世の春を楽む事を得む。悔い改むるは今なるぞ。あゝ愚なる者よ、汝等は神の国の尊きことを知らず、物質上の欲に囚はれて、焦熱地獄の消えぬ火に焼かれて、身を苦まむとするか。天国は近づけり、悔い改めて、救世の福音をきけ! 神は汝と倶にあり、汝は清き神の僕として、日夜に神をほめ称へよ!』
と諄々として説いてゐる。
乙『宣伝使様、あなたの御話は誠に結構で御座いますが、吾々五人は今や瀕死の境に陥り現に地獄の苦みを受けてをります。現在目の前に恋しき父は飢に倒れ、妻亦倒れ、兄弟姉妹幼児に至る迄、飢饉の為に斃れ亡び行く此有様、天国に救ひ給ふは有難しとは思へ共、パンを与へ給はずば、吾等は生くるを得ず、如何なれば此惨状を神は救ひ給はざるか!』
宣伝使『吾れは天国の福音を汝等に伝ふる聖職なり。汚れ、濁り切つたる此現世に執着せず、神の御召しの手に曳かれて、現世を後に天国に至るこそ、最上至極の楽みならむ。汝等神の国の真相を悟らば、現世を厭ひて、直に死を見ること、眠るが如く且つ甘露を嘗むるが如き法悦の喜びに充たされむ。信仰浅き者よ! 汝等神に来りて神を称へよ、神は汝と倶にましますぞ、神の御手にひかれて天国浄土に至るはこれ人生の最大目的の遂行であるぞよ』
乙『何卒一塊の食物を与へて下さることは出来ますまいか? あなたは神の福音を伝へ給ふ宣伝使ならば、現在の吾等を救ひ、吾等をして生き乍ら天国の福音を悟り、神業に参加せしめ給はずや。今吾々は如何に有難き福音なればとて、飢に迫りし苦しき身の上、現世に於て救はれず斯の如き悲惨の境遇にある者、いかでか天国の春を楽むことを得む、……宣伝使様! 斯の如く此谷間には御倉魚が沢山に居りますが、之を頂いて食物となし、飢を凌ぐことは許されぬでせうか?』
宣伝使『生ある者を殺す勿れ、汝も亦殺されむ!』
丙『あーあ、サツパリモウ駄目だ、何程有難い事を聞かして貰うても、吾々を救ふ者は、食物より外にはないと思ふ。此通り沢山の魚が泳ぎ居るを見乍ら、捉へて食ふことを許されず、もし食はば忽ち神罰にふれ、眼は眩み、口は曲り、顔には斑紋を生じ、忽ち吾身が吾姿に恐るる如き形相になつて了ふ……あゝ、如何したらよからうかなア』
と数多の飢人は吐息をもらし、溌溂たる谷川の魚を眺めつつあつた。
 言依別命は国依別と共に、宣伝歌を歌ひ乍ら、国魂の神を祭りたる御倉の社に参拝し、声も涼しく天津祝詞を奏上し天の数歌を唄ひ了り、ウラル教の宣伝使が数多の信徒に向ひ、天国の福音を宣べ伝へ居たる前に宣伝歌を歌ひ乍ら進み行く。
言依別『神が表に現はれて  善と悪とを立わける
 此世を造りし神直日  心も広き大直日
 只何事も人の世は  直日に見直せ聞直せ
 過ちあれば宣り直す  仁慈無限の三五の
 教を守らす百の神  此国人の惨状を
 完美に委曲に見そなはし  飢に悩める民草の
 生命を助け給へかし  其生魂は天国の
 恵を如何に受くる共  今目のあたり身体の
 悩みを救ひ与へずば  心は拗け魂くもり
 神の御国に昇るべき  珍の身魂も忽ちに
 根底の国に陥らむ  此谷川を見わたせば
 所狭き迄泳ぎ居る  げに美はしき御倉魚
 彼等に与へ給へかし  神は霊界のみならず
 此世に住める人々を  一人も残さず御恵の
 露にうるはせ永久の  命を守らせ給ふなり
 三五教の神司  言依別や国依別の
 教司は今ここに  国魂神に詣で来て
 これの谷間に寄り来る  飢になやめる人々を
 視るに忍びず天地の  神の御前に請ひまつる
 神の使の魚ならば  世人の命を保つ為
 神よ! 吾等に賜へかし  吾れはこれより諸人に
 谷間の魚を生捕らせ  命を助け与へなむ
 あゝ惟神々々  御霊幸はひましませよ』
と歌ひ乍ら進み来る。此宣伝歌を聞いて、ウラル教の宣伝使は眼を釣りあげ、言依別の前にツカツカと進み寄り、
宣伝使『私はウラル教の宣伝使ブールと申す者、只今あなたの宣伝歌を承はらば、実に怪しからぬことを仰せらるる様で御座る。神は一切の生物を殺す勿れと諭させ給ふ。然るに神の使はせ給ふ谷間の魚を生捕り、数多の人々に食はしめ、命を助けやらむとの御言葉……天則違反も実に甚しと申さねばなりますまい。それだから三五教の教はいつ迄も世を暗黒に導くもので御座る。速に神に向つて宣り直しをなさるが良からう。吾々は其言葉を聞いては聞捨なりませぬ。サア返答を承りませう』
言依別『成程神は至仁至愛にましませば、其御心より生物の命を取ることを嫌はせ給ふは、当然の理で御座る。さり乍ら人の生命が大切か、魚の命が大切で御座るか? 能く御考へになれば分るでせう』
ブール『人間は罪の塊なれば、生き乍ら、地獄の苦みを受くるは当然で御座る。夫れ故に無限絶対力のおはします世界の造り主盤古神王の御徳を賛美し、苦しみ、悩み災多き現し世を捨てて、一時も早く天国に上るを以て、人生の本領と致すでは御座らぬか? 罪もなき神の御使の御倉魚を取り食ひ、汚れたる人間の腹に葬らむか、神罰立所に至り、永遠に地獄の苦みを受くるは、神教のきめさせ給ふ所で御座る。あなたは天が下の人民を真に愛し給ふにあらず、神の心に背かせ、永遠に地獄の苦しみを受けさせむとし給ふ無慈悲の御仕打、吾々は天下万民の為、飽く迄もあなたと主義の為に戦はねばなりませぬ。論より証拠、此谷川の魚を取食ふ者たまたまある時は、神の怒りにふれて、天罰立所に至るは国人の既に既に知悉する所、あなたは此国の風習をも知らず、又神の掟をも弁へず、左様な乱暴な事を仰せらるるは、甚以て悪虐無道の御精神と申さねばなりますまい』
言依別『今日は人民将に餓死せむとする危急存亡の場合なれば、如何に神の御使なればとて、仁慈無限の神の之を許させ給はざる道理がありませうか? モシ左様な神ありとせば、取りも直さず八岐大蛇の醜神か、或は金毛九尾の悪狐か、又は曲鬼の所為で厶らう。吾々はあなたの御言葉こそ、神の御子たる人間を魔道に導き苦むる、悪虐無道の行方と思はねばならなくなりました。決して決して此魚を取り食へばとて、神罰の当るべき理由は毛頭ありませぬ。私は断言致しますよ』
ブール『三五教の教は実に無道極まる無慈悲の教では御座らぬか。然らばあなた試みに、斯の如く沢山な魚の中、仮令小魚の一匹でも吾目の前にて捉へ食つて御覧なさい。忽ち神罰至ることは火を睹るよりも明らかな事実で御座る。何程理窟は立派に立つても、事実其物には勝つことは出来ますまい……サアこれでもお食りになる勇気がありますか?』
国依別『ウラル教のブールさまとやら、何とあなたは、訳のわからぬことを云ひますなア。ウラル教はそんな狭義な教で御座いますか? それでは誠の神様とは申されますまい。論より証拠、私が今、目の前にて、神の使と称する御倉魚を捉へ、茲にて作り身と致し、食つてお目にかけませう。其代り万々一、私の身の上に対し、此場に於て神罰至ることあらば三五教全部を挙げてウラル教の軍門に兜を脱ぎませう。之れに反して、私が此魚を取り食ひ何の反応もなしとせば、あなたは如何して下さる考へですか? 先づこれから第一にお約束をして置かねばなりますまい。御返答は如何で御座いますか?』
ブール『それは面白う御座らう。サア美事、神の使の御倉魚、私の目の前で捕獲して取り食つて御覧なさい。何の反応もなければ、吾々はウラル教全部を引率して、貴教の軍門に兜を脱ぎませう』
国依別『確かですか? キツト間違はありますまいなア』
ブール『苟くも宣伝使の言葉に二言があつて堪らうか。サア早く御決行なされよ』
国依別『ヤア有難い! 同じ事なら一つ、一番大きさうな奴から取つて、舌鼓を打たうかなア。ズイ分甘さうな魚だ。何を食つてゐるのか知らぬが能くマア肥太つてゐよるワイ。……モシモシ教主様、面白い事になつて来ました。あなた能くブール宣伝使の言葉を腹へ入れておいて下さいませや。あゝ面白い面白い!』
と云ひ乍ら国依別は、谷川に下り立ち、水と魚と殆ど等分になつて居る数多の魚の群に飛んで入り、三尺計りの溌溂たる斑紋の美はしき御倉魚を一尾抱えて、ブールの前に現はれ来り、
国依別『どうも此奴は最も尤物と見えます。同じ神のお使でも、一寸師団長格と云ふ代物ですから、同じ殺して食つて神罰が当るのなら、大きな甘さうな奴を平げる方が利益ですからなア。何程霊主体従だと云つても、肉体のある限り、胃の腑の虫が食物を請求する。ジツとして怺へ切れるものではない。……サア、ブールさま始めそこに居並ぶ数多の人々、今三五教の宣伝使国依別が、神さまの禁じ給うたと云ふ此魚を叩き殺して作りとなし、皆さまの目前に於て、ムシヤ ムシヤ ムシヤとやつて見ませう。私が食つて神罰が当らなければ、皆さまにもキツと神罰の当るものでない。人はパンのみにて活くる者に非ずとか言つて威張つて居るどこやらの宣伝使の様に、私はそんな気楽なことは出来ませぬよ。人は霊のみにて活くる者に非ずと、反対に云ひたくなつて来るのです。……パンなくて何のおのれが人間かな……だ』
と云ひ乍ら、短刀を取出し、溌溂たる此大魚を、喉のあたりをグサと刺し、一思ひに殺し、手早く肉片を取つては頬張り頬張り、
国依別『アハヽヽヽ、何とも云へぬ甘い味が致すワイ。これ丈魚が無尽蔵に居る以上は、五十万や百万の人間を養ふのは易いことだ。あゝ早く口が歪まぬかいなア、物が云へぬようにならぬかいなア、眼がつぶれさうなものだ、顔一面に斑紋がなぜ出来てくれぬのだ。出来ぬ筈だよ、神様が人間に与へて生命をつながさうと思召し、此国に限つて此魚をお造り遊ばしたのだ。斯う云ふ饑饉が来た時の用意に、神様が食つてはならないと云つて、平素はワザとお差止めになり、蓄へておいて下さつたのだ。……モシ、ブールさま、どうで御座います。気の毒乍ら、ウラル教は三五教の軍門に降服をなさらにやなりますまい……ヤアヤア皆の方々、決して決して驚くには及びませぬ。此通り私がお手本を示しました。神様の与へて下さつた、此餌さを頂きもせずに、餓ゑて死ぬとは何の事でせう。サア早くお食りなさい』
 此声に数多の人々はヤツと安心したものの如く、矢庭に川に飛び込み、手頃の魚を抱き上げ、其場で嬉しさうに舌鼓をうつて食つてゐる。ウラル教のブール始め四五の宣伝使は何時の間にか、コソコソと此場より姿を隠して了つた。
 これより、此国人はウラル教に愛想を尽かし、国魂の神の社を日夜に崇敬し、且つ三五教の固き信者となつて了つた。
 言依別命は国依別に向ひ、
『私は是からテルの国を越え、直ちにウヅの都に直行致しますから、あなたは此処に暫く止つて、国人に教を宣べ伝へ、それよりヒルの都に渡りハルの国を一巡りしてウヅへ廻つて下さい。其上でゆつくり、改めて御相談を致しませう』
国依別『委細承知仕りました。左様ならば、是非に及びませぬ。ここでお別れ致します。どうぞ御健勝にて御神務に御奉仕遊ばします様祈ります』
言依別『ハイ有難う』
と宣伝歌を谷の谺に響かせつつ、ウヅの国を目当てに進み行く。
 国依別は御倉の社に暫く足を止め、詣り来る国人に教を伝へ洗礼を施した。是より三五教の教は旭日昇天の勢ひとなりける。
(大正一一・八・一五 旧六・二三 松村真澄録)
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