今日はなんという吉日であろうか。万代祝う亀岡の瑞祥閣の立てられた万寿苑の空は蒼々と澄み切り渡り、初秋の空をかすめてゆるゆると翔ってきた二羽の田鶴。
折から出口瑞月が、富士の高峰に鎮まりいます木の花咲哉姫の御経綸によって述べる物語も、三十三巻を述べ終わった。東の方を見れば、吉祥の瑞をあらわす常盤の松に羽を休め、綾部の方を眺めている鶴の姿も勇ましい。尊い神の開いた教えの花の千載に輝くとき、いや光る功は手に取るごとく思われる。
天の岩戸の奥深くに隠れいませる大神の稜威も出づる神の道を、闇夜を照らす瑞月が歓び勇んで大本の瑞兆をまつぶさに示し給うたものであると、小松の茂る神の園の鈴虫や機織虫、キリギリス、コホロギらの声が清く照り渡るように聞こえてきた。
めでたい田鶴が舞うように、高ねの空に皇神の畏き教えを敷島の大和心の隅もなく照らさせ給え。天地の神の前に謹んで、大正十一年九月二十日の瑞祥を後日のために記しておく。