人草は天地の神の御水火より現れ出たものであり、生粋の神の御子である。どうして曲であるはずがあろうか。
名位寿富は正しい欲ではあるが、そこに心を砕くことによって執着心という魔が懸り、種々雑多に焦慮し、体主霊従に落ちるのである。
しかし機会を得て神の光に遭い省みれば、元津神に代わって天地の大経綸の奉仕する万物の霊長なのである。
三五教の黒姫も、一度は夫への執着によって魂を抜かれ、海山越えてはるばると迷いに迷っていたが、心に悔悟の花が開き、本来の御霊に還ってより、神の恵みが幸いし、恋しき吾が子に再開することができた。
実子・玉治別とともに喜び勇んで自転倒島へ帰り、夫に巡り合い、麻邇の宝珠の神業に仕えて名を万世に輝かしたというのが、聞くもめでたいこの物語である。