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文献名1霊界物語 第37巻 舎身活躍 子の巻
文献名2第3篇 阪丹珍聞よみ(新仮名遣い)はんたんちんぶん
文献名3第15章 盲目鳥〔1027〕よみ(新仮名遣い)めくらどり
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2022-10-23 11:33:56
あらすじ田植えの時期で参詣人もまばらな折から、身なりいやしい一人の婦人が、両眼のあたりを包帯して杖をついてやってきた。来意を聞けば、眼病を直してほしいとのことであった。夫に死に別れて墓参りをしていたところ、墓から立ち出た怪しい影に驚いて眼病を患い、赤子も乳がとぼしいばかりに十日ほど前に死に別れたのだと語った。喜楽は、大阪からの帰りに六地蔵で遭遇した怪しい女はこの夫人であったことを悟り、また自分の影に驚いて眼病になったと思うと神様に対して申し訳ない気持ちになった。直ちに井戸端で禊をなし、祈願をこらしたところ、石田小末というその女の眼病はたちまち治ってしまった。石田小末はこれより幽斎を修行し大いに神術の発達を得た。高等眷属の神霊が懸って幽界の有様を表示したが、百日ほどして、大阪の姉の家に行くといって喜楽に別れを告げたままになってしまった。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年10月10日(旧08月20日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年3月3日 愛善世界社版187頁 八幡書店版第7輯 101頁 修補版 校定版195頁 普及版92頁 初版 ページ備考
OBC rm3715
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本文  五月雨の空低うして、四辺の山は雲に包まれ、杜鵑の鳴く声遠近に聞える、穴太宮内垣の賤が伏家も、今は犬の手も人の手と称する田植の最中、片時を争ふ農家の激戦場裡で、遠近の人々は植付、麦刈などに忙殺されて、教の門を潜る人々の足も杜絶えた折柄、身なり賤しい一人の婦人、両眼のあたりを白き布にて繃帯し乍ら、杖を力に、
『先生はお在宅ですか?』
と尋ねて来た。婆アサンが案内とみえて、一人付いて居る。此頃は参拝者がないので、神殿に於て心ゆく迄、幽斎の修行にひたつて居た喜楽は、此声を聞いて、
『マアマア』
と狭い座敷へ通し、来意を問へば、眼病を治して欲しいので、はるばる参拝したとの事であつた。どことなく何時かは見たことのある様な女と、訝かり乍ら住所姓名や、来歴を問うて見た。女は恥かしげに顔を赤らめ、稍俯むき気味になつて語る。
『私は西別院村の小末と申す者で御座います。見るかげもなき貧乏人で、屋根はもり、壁はおち、明日の糧を貯ふるの余裕もなき貧しい暮しの中に、私の夫は長の病になやまされ、私は産婦の重き身の上、働きすることさへも叶はねば、朝夕の糊口に差支へ、銭となるべき物は売り払ひ、質におき尽くして、今は最早何もなき極貧の身の上、医薬の手だてさへなく、夫は無残にも死を待つより仕方のない身の上となりました。草根木皮を食ひ、一時の命をつないで居りましたが、何の因果か、夫婦の体は水腫れを起し、夫は遂に幽界の人となつて了ひました。取りのこされた私は、まだ出産後僅に一週日、血の若い身で、赤児をかかへて、形許りの弔ひをすませ、さむしい日をおくる内にも、村の人達の無情さ、米屋は米代を払へとせめてくる、醤油屋は醤油代を渡せときびしい催促に、如何することも出来ませず、一層の事私も夫の後を逐ふて此世の暇乞ひをせうかと思案に沈み乍ら、五つになつた先妻の子や、一人の赤子の愛にひかれて、死ぬことも出来ず、心弱いは女の常とて、何の考へもなきまま、大阪に嫁入つて居る姉を便つて一時の急場をのがれやうと、去る日の夜中頃、赤子を背に五つの子の手を曳いて、吾家を後に山路を辿り、出て行きました、其途中、亡夫を葬つた墓が御座いますので、暇乞の為に立寄り水を供へ、幸ひ傍に人影もなければ、心の行く丈愚痴の繰言をくり返し、心を残して墓場を立去る、時しも夫の墓の畔から現はれ出でたる怪しき物かげに、思はず知らず母子は声を揃へて泣き叫びました。不思議にも其怪しの人影は、夫の亡霊であつたか、何だか分らぬことを大声に叫び乍ら、吾家の方へ走せ行きました。そこで私の思ひますには、墳土まだ乾かず、五十日もすまぬのに夫の墓の土地を離れむとしたのは誠にすまぬことであつた。夫の霊は私等の大阪へ行くのを嫌うて居るのであらうと心を取直し、力なげに再吾家へ帰つて来ました。其時の驚きが災禍となり、遂に斯の如く両眼を失ひ、其上昼夜疼痛に苦しむこと限りなく、一人の赤子も亦十日以前に、乳のとぼしい勢か身体が痩衰へて、亡き人の数に入りました。先妻の子は私が盲になつたので親類が預つてくれました。私は最早夫や子に別れ、此世に生きて何の望みもありませぬから、せめては夫や吾子の霊を弔うて、善根を尽くすより途は御座りませぬが、何をいうても盲目の不自由な身の上、どうぞお助け下さいませ』
と涙を流して泣き叫ぶ。此物語の始終を聞いた喜楽の心は、一節一節胸に釘鎹を打たるる如くであつた。あゝ心に当るは過ぎにし春の月の夜半の出来事、大阪より帰りの途次、眠けにたへずして、とある墓場に石枕、計らず会せし妖怪変化と疑うた影は、正しく此婦人であつたか、逐一事情をきくにつけ、気の毒にも此女が眼病にかかつた原因は、自分が突然墓から逃出した其姿を見て、亡き夫の幽霊と誤解し、驚愕の余り、若血の身の上とて逆上して目にあがつて、こんな不具者となつたのであるか、吁気の毒だ。何とかして生命に代へても此眼病を直してやらなくては、神さまに対して済まない。又自分の責任がすまぬと、直に荒菰を大地に布き、井戸端に端坐して、頭からザブザブと水ごりを取り、拍手再拝祈願の祝詞を奏上し、一心不乱に勤行した。其至誠に畏くも神明感じさせ玉ひけむ、今まで苦痛に悩みし両眼の痛みは忘れた様に鎮静し、あたりをじつと見まはし乍ら、思ひがけなき此世の光明に飛び立つ許り打喜び、
『先生お蔭で目があきました。アヽ勿体ない辱ない!』
と伏し拝む。此場の奇瑞に祈願者の喜楽も打驚き、即時の霊験と、又不思議の邂逅に、神界の深甚微妙なる御経綸に敬服したのである。
 此女は石田小末といふ。これより幽斎を日夜に修業し、神術大いに発達し、遂に小松林、松岡などの高等眷族の神霊懸らせ玉ひて、いろいろ幽界の有様を表示し、其後百余日の後再び大阪の姉の家に行かむと、喜楽に別れを告げて出て行つた儘である。

 大本の神の教を伝へむと
  山路遥に越ゆる津の国

 浪速江のよしも悪きも神術と
  知らずに下る淀の流れを。

 千早ぶる神の教を畏みて
  駒立て直し元の丹波へ。

 足曳の山路を夜半に辿る身は
  御空の月ぞ力なりけり。

 ゆくりなく巡り会ひたる嬉しさに
  誠の神の恵悟りぬ。

 惟神神の御霊の幸はひて
  此物語世にてらしませ。

(大正一一・一〇・一〇 旧八・二〇 松村真澄録)
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