文献名1霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻
文献名2第2篇 光風霽月よみ(新仮名遣い)こうふうせいげつ
文献名3第12章 思ひ出(三)〔1049〕よみ(新仮名遣い)おもいで
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日2022-11-07 04:44:59
あらすじその後も自分が鎮魂を教えてやった男が慢心して信者の女房を取り、それが京都でにわか芝居のネタにされ、泣きつかれて喜楽が侠客に金を払って芝居の興行をやめさせた、というようなこともあった。明治三十五年正月に直日が誕生した。教祖様のお筆先で、この子は水晶の種だから種痘を行ってはならないとおっしゃった。一方で役場は決まりだと言って種痘を迫る。仕方がないので澄子と種痘をしない罰金を工面して、役所に支払った。しかしこれを聞いた幹部連が、種痘をしないために罰金を支払ったのは日本が外国に負けた形になる、と言いだして、警察・役所・検事局と押しかけて、罰金を返せと騒いだ。しかしお上は相手にしなかったので、そのうち泣き寝入りとなった。それからも喜楽が毎年金を工面して罰金を払っていたが、幹部連はそのことは知らなかったので、お上が罰金を言ってこなくなったのはとうとう神様が勝ったのだ、と得意になっていた。あまり得意がっているので、とうとう自分が罰金を毎年払っていたのだ、と言ってしまった。するとまた小松林の悪神が、とやりだした。ある日園部から支部の発会式をやるから出席してくれと言われて出向いてみたが、それは真っ赤な嘘で、連れ出した幹部連でよってたかって喜楽を池に突き落したり、旅館で寝ているときにお灸をすえたりして、小松林を追い出すのだとさんざんな目にあったが、調べてみると陰から中村が指図していたのであった。こんな風であるから、他所へ行こうと思っても熱心な信者が切腹するのと引き留めて、どうにもしようがない。明治三十七年に八木の氏神祭と福島氏の内祭があったので、西田と示し合わせてこれを機に夜逃げすることにした。四方平蔵、中村竹蔵、義姉のお竜さんと同道していた。四方氏や中村氏は自分を見張っていて隙がないので、夜、肩を揉めと無茶を言って夜更けまでもませた。すると四方氏と中村氏は眠ってしまった。お竜さんは今のうちに早く行けと手真似で知らせる。自分が夜逃げしたというので、大騒ぎになって皆で園部を捜索したという。しばらくあちこちに逗留して亀岡から汽車で王子に行こうとしたときに、四方平蔵氏につかまった。綾部に帰ってきてからは半年ほど六畳間におしこめられた。古事記や日本書紀を読もうとしても、角文字が書いてあると言って取り上げられてしまう。元神官の福林氏に書物を借りて、布団の中でこっそりと読み、足音がするとしまう、という始末であった。その後事情があって、明治四十一年まで官幣社の神官をつとめたりした。幹部連は日露戦争が世の中の立て直しだと誤解していたが、何事も起らぬので次第に数を減らし、死去する者もあった。明治四十二年ごろにはもう大丈夫だと思って戻ってきて熱心に布教に従事した。それから今日の大本の基礎ができてきたのである。
主な人物
舞台
口述日1922(大正11)年10月16日(旧08月26日)
口述場所
筆録者松村真澄
校正日
校正場所
初版発行日1924(大正13)年4月3日
愛善世界社版122頁
八幡書店版第7輯 203頁
修補版
校定版123頁
普及版62頁
初版
ページ備考
OBC rm3812
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