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文献名1霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻
文献名2第3篇 冒険神験
文献名3第15章 怒濤〔1052〕
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ出口教祖は清国の騒乱に東洋の前途を気遣い、神命のまにまに二度までも無人島にわたって渡海を成功させた。それに反対の役員たちは、上田会長を道案内として沓島参拝を成し遂げようと、強制的に自分を同行させようとした。
これまでも彼らの奸計によって九死一生の目にたびたびあってきたが、ここで逃げては神の道を宣伝する者の本意ではないと決心し、彼らとともに出修参拝することになった。
万一をおもんばかり、熱心な信者たちを同行させた。敵味方合わせて二十一名は明治三十三年七月二十日に出発を決行した。
冠島の手前になって、東の空がおかしな色になってきた。船頭たちは大しけになると慌てふためいている。
山岳のような波が舟を翻弄し、大の男たちがすっかり弱ってしまっている。会長は一生懸命に天津祝詞を奏上した。少し風が和らいだ間に、四隻の舟を二隻ずつ組みよせた。すると今度は一層激烈な大しけが襲来した。
教祖は、今回は罪が深い者ばかりの参拝だから、よほど神様に頼んで気を付けないと大変だからと、危急の際に開いて見るように会長に筆先を授けていた。
会長は筆先を披見するのはこのときばかりと開いて見ると、平仮名の筆先にて、神様の教えはこの舟の櫓櫂を操る舟人のようなものであるから、今の困難を腹に染みわたらせて恵みを悟り、信心を怠るなとの戒めであった。
また筆先には、上田が本田親徳先生から長沢豊子刀自を経由して授けられた巻物を今こそ開くように、と書かれていた。
そこには救世の神法、霊学の大本、神業が書かれていた。会長はこの神法を実行するのは正に今と言霊を上げると、不思議にも雨風波はやみ、静まった。舟人たちは驚いて、舌を巻いて感嘆している。
舟はようやくにして冠島に避難することを得た。老人島神社に供物を献上して救命の神恩に感謝する祝詞を奏上し、罪重い者の沓島参拝は神慮に叶わないことを一同感じ、舞鶴に帰着することになった。
舞鶴の旅館・大丹生屋の一間で休んでいたところ、会長のところへ杉浦という男がやってきて、涙を流しながら懺悔した。実は数名は謀議し、上田先生の巻物を奪って何々し、四方春蔵を後釜にしようとしていたという。
教祖の命によって、四方平蔵氏と四方春蔵が迎えにやってきた。杉浦の改心を聞いて、四方春蔵も陰謀を逐一自白し、真心から涙を流して謝罪するさまは、かえって可哀そうに思えた。
雨降って地固まるとやら、今度の遭難にて誰も彼も悔い改め、教団内も道の曙光を認めるようになってきた。これもまったく神の深遠なる思し召しによることと、会長はますますその信念を強固ならしめた。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年10月17日(旧08月27日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所
OBC rm3815
本文の文字数6188
本文のヒット件数全 14 件/教祖=14
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本文  教祖や会長に反対の連中がヒソビソと首を集めて、冠島丈けは幸ひに教祖の一行五人が無事に参つて来よつたが、到底沓島へは教祖のやうな婆アさまが行けるものでない、キツと神の怒にふれて、舟が転覆し、海の藻屑になつて了ふか、但は不成功に了つて中途から引返して帰るに相違ないとタカをくくつて嘲笑を逞しうしてゐた所が、見事今回又もや沓島開きが出来たといふ成功談を聞き、負ぬ気になり、『ナニ教祖のやうな婆アさまや娘が行く所へ行けないといふ事があるものか』と、二十人の頑固連中が沓島参拝を企て、大暴風雨に遭ふて命カラガラ、冠島に辛うじて避難し、一命を拾うた物語を述べておく。
 対岸の清国では団匪の騒乱で、各国の政府が居留民保護の為に聯合軍を組織して北京城へ進軍中であつた。茲に出口の教祖は東洋の前途を気づかひ、神命のまにまに、二度までも無人島へ渡り、冒険的の企図をこらして、艱難辛苦を嘗め玉ふにも拘はらず、足立其他の役員に誑惑された信徒等は、利己一片に傾き、おのれが卑劣心より口々に、今回の教祖一行の冒険的渡海を非難し、好奇心にかられたり、一方には信者集めの手段を講じたものだなどと、盛に熱罵を逞しうしてゐる者のみである。判事ハリバートンの言に曰く『権威のある所には自然に不従順の傾向あり』と。宜なる哉、近来教祖及上田の名声の漸く大ならむとするを嫉妬し、いろいろと排斥防害運動に余念なき連中が二度までも孤島に参拝の成功に益々嫉視反抗の気勢を高め、今度は是非共会長を案内者として沓島へつれ行き、鐘岩の断岩へ登り、いろいろとよからぬ望みを遂げむと、某々等数名は鳩首謀議の結果、今一度勝手を知つた会長に同行参拝せむ事を強請して止まなかつた。万一にも否まうものなら、卑怯者と誹るであらう、今まで、屡彼等が奸計に乗せられ、九死一生の難に遭遇したる記憶の新なる一身上に取つては、恰も狼虎の道づれも同様である。何時間隙があつたら、咬殺されるやら計り知られぬ危険極まる島詣でであつた。然し乍ら敵を恐れて旗を捲くのも、神の道を宣伝する者の本意でないと、確く決心し、日夜沐浴斎戒心身を清め、神の加護と教祖の御神徳に倚信して、彼等と共に出舟参拝する事を承諾した。
 万一を慮つて平素熱心なる信者、竹原房太郎、木下慶太郎、森津由松、福林安之助、時田、四方安蔵、甚之丞等の面々を引つれ、心の合はない敵味方合せて廿一名は明治三十三年七月二十日を卜し、いよいよ決行することとなつた。
 二十一日の未明、四隻の漁舟は罪重き一行を乗せて、舞鶴港を漕ぎ出し、海上七里許り、冠島は手に取るやうに近く見えて来た。モウ一息といふ所で俄に東の空が変な色になつて来た。四人の船人はあわてふためき、口を揃へて、
『サア皆サン、覚悟をなされ大変なことになつて来た。あの雲の様子では大颶風だ』
と叫んでゐる。見る間に東北の空に真黒の妖雲がムラムラと湧きだした。追々風が荒くなつたと思ふ間もなく、颶風襲来、潮を蹴り飛ばし、波濤怒り狂ひ、勃乎たる海風の声は轟々と、南に北に東に西に猛び廻る。騒然たる声裡、山岳のやうな波、堅乎たる巌のやうな波浪が来る、其物凄きこと筆舌の尽す限りではなかつた。小舟を木の葉の如くに中天にまき上げるかと見れば、直に千仭の波の谷間につき落し、無遠慮に舟玉の神の目も恐れず、勝手気儘に奔弄し出した。波と波との間にかくれた一行の舟は、どうなつて了つたか、其影さへも見ることが出来ぬので、互に胸を轟かしつつあつた。恰も地獄の旅行をしてゐるやうで、何れも青息吐息の為体、蛭に塩、猫に出合ふた鼠の如く、舟底にかぢりついて縮かんでゐる。誰もかれもウンともスンとも得言はぬ弱り方、中にも松井元利といふ京都の信者は、因果を定めたか、生死の外に超然として動ぜざること岩石の如く、頭から潮を浴び乍ら、泰然自若として只天の一方のみを眺めて居る。時田金太郎が小便のタンクが破裂し相なと云つて、激浪目がけてコワゴワ乍ら放尿する。舟人が……そんな大男が立つては危険だ……と喧しく叱りつけるやうに叫ぶ。それに引替へ、臆病風に襲はれた中村は震ひ戦き、始めて口を開き、
中村『会長さん、一体どうなりますぢやいなア、今あんたの頭の上の所に大きな海坊主がいやらしい顔で、長い舌を出して、私をつかんで海へ投込むやうな手つきをし乍ら……それ今其処に睨んで居りますわいな、どうぞ坊主をいなして下され、あゝ小便がしたくて堪らぬ、どうしたらよからうか』
と周章狼狽のさま実に見るも気の毒であつた。小便がこらへきれなくなつたので、とうとう自分の飯碗の中へ放尿して、それを海へコワゴワ投げ込んでゐる。中村は驚愕の余り弱腰が抜けたと見えて、チツとも身動きが出来なくなつてゐたのである。
 烈然たる颶風はよく千里の境域に達し、猛然たる旋風は万里の高きに依つて廻るかと怪しまれ、竜ならずして竜吟じ、虎ならずして虎嘯く如き光景である。一波忽ち来りて漁舟に咬つく、其度毎に潮水を沢山において行く、又次の一波のお見舞迄にと、一同が力限り命が惜さに、平常にはこけた箒もロクに起さぬやうな不精男が桶や茶碗や杓などで、一生懸命に潮水をかへ出してゐる、又一波来つて、潮水を頭といはず、背中といはず、無遠慮に浴びせて通る、忙しさ恐ろしさ、到底口で言ふやうな事ではない。
 会長は一生懸命に天津祝詞を奏上し始めた。天の助けか地の救ひか、少し許り風がやわらいで来た。従つて波も稍低くなつた。此一刹那に、舟人は手早く四隻の舟を二ケ所へ漕ぎ寄せて、二隻づつからくんでみた、かうすれば舟の覆没を免れるからである。……サア是で一安心だと思ふ間もなく、今度は一層激烈な大颶風の襲来となつた。
 雨は沛然として盆を覆すが如く、車軸を流すが如く、手きびしく頭の上から叩きつけるやうに降つて来る。漂渺として際限なき海原も今は咫尺弁ぜざる迄に暗黒に包まれた。怒れる浪は揉つもまれつ、荒磯の岩をも粉砕せずんばやまぬ猛勢である。白き鬣を振ふて立てる浪は真一文字に舟に組みつく、其度毎に小舟がグラつき転覆せむとする危さ、かくある以上は、平素から教祖を非難してゐた連中も、会長を嫉視してゐた小人もチウの声一つ得上げず、震ひ戦き、今は只神に依り、教祖に従ひ、会長に依頼して、命の安全を計るより外途なきに至つたのである。
 人間といふものは斯うなつては実に弱い者である。神のおいましめを蒙つたと各自が思ふたのか、腹の中に企んでゐたごもくたを悉皆吐き出して前非を悔悟する、誰も彼も叶はぬ時の神頼みといふ調子で、一心頂礼口々に神文を唱へ、神にお詫を申してゐる。村上清次郎といふ男は天から四十三本の御幣が吾舟にお下りになつて、吾等を保護して下さるのが拝めますから、私は有難い事だと思ふて安心してゐます……と嬉し相に感謝してゐる。これは信仰の力に依つて、目ざめ、神のお守りあることを天眼通で見せて貰ふたものである。森津歌吉は何ともかとも得言はず、目をむき口を閉ぢて、波許り恐ろし相にながめ、時々扇子を以て波を片方へ押のけるやうな気取で、妙な手附をして拝んでゐる。舟に酔ひ、泡をば福林安之助が八百屋店をたぐり上げ苦しんでゐる。会長は聖地を出立の際、教祖より、
教祖『今度は余程神さまを頼んで気をつけて参らぬと、先日の参拝のやうに楽には行きませぬぞや、罪の塊計りだから、万々一危急の場合、命に関するやうなことのあつた時には、之を開いて見るがよい……』
と密封した筆先をお授けになつたのを、大切に肌の守りとしてつけてゐたが、披見するは今此時だと、懐中より取出し、押しいただいて披いて見れば、中には平仮名計りで、何事かが記されてある。其筆先の大要は、
『艮の金神が出口の手をかつて気をつけるぞよ、慢心は大怪我の元ぢやぞよと毎度筆先で知らしてあるが、今の人民は知恵と学計りにこり固まり、途中の鼻高になりて、神の教を聞く精神の者がなきやうになりて、天地の御恩といふことを知らぬ故、世の中に悪魔がはびこり、世が紊れる計りで、此地の上がむさ苦くて、神の住居いたす所がないやうになりたので、誠の元の活神は此沓島冠島に集まりて御座るぞよ、それ故に余程身魂の研けた者でないと、此島へは寄せつけぬぞよ、此曇りた世を水晶にすまして、元の神国に立直さねばならぬ大望がある故に明治廿五年から、神は出口の手をかり、口をかりて、いろいろと苦労をさして、世間へ知らせてゐるなれど、余り世におちぶれて居る出口直に御用をさす事であるから、今の人民は誠に致す者がないぞよ、人民は此結構なお土の上に家倉を建て青畳の上で、安心に月日を送らして貰ひ乍ら、天地の御恩を知らぬ計りか、神は此世になきものぢやと思ふて居るものがちであるから、神の守護がうすかりたなれど、人間は神がかまはねば、一息の間も生て居る事は出けぬぞよ、人間の此世を渡るのは、丁度今此小舟に乗り、荒い海を、風と波にもまれて渡るよなものである、誠に人の身の上ほど危いはかないものはない、もし此舟に一人の舟人と艪櫂がなかりたならば、直に行きも戻りもならぬよになり、舟を砕くか、ひつくり返るか、人も舟も海の藻屑とならねばなるまい、人民も神の御守護なき時は少時も此世に居ることは出来ぬ、此世の中は、人を渡す舟のようなもので、神の教は艪櫂である、出口直は此舟を操る舟人のよな者である。今の困難を腹わたにしみ込ませて、いつ迄も忘るる事なく、神さまの恵を悟つて信心を怠るなよ、何事も皆信心の力によつて、成就するのであるから、神の御子と生れ出でたる人民は、チツとの間も神を離れるな、道をかへるな、欲に惑うな、誠一つで神の教に従へ、災多き暗がりの世は誠の活神より外にたよりとなり力となる者はないぞよ云々』
といふ懇切なる神示であつた。あゝ神は吾等一行の我慢を戒め、邪念を払ひて、誠の道に導き至幸至福ならしめむが為に、此荒き海原へ連れ出し、かくも懇切なる教訓を垂れさせ玉ひしかと、悪鬼邪神の如き連中も、ここに始めて神の厚恩を悟り、教祖の非凡なる神人たるに舌をまくのみであつた。
 又其筆先の終りの所に一段と細い字を以て、
『上田の持ちて居る巻物は、此際披き見よ』
と示されてあつた。此巻物は本田親徳先生より、長沢豊子の手を通じて授けられたる無二の宝典である。片時も肌を離さず、危急存亡の場合、神のお許しあるまで、決して開くなとの教を確守し、今迄大切に肌の守りにしてゐたのであるが、今や一行の精霊を救はねばならぬ場合に当り、始めて開く玉手箱、何が記してあるかと、恐る恐る押頂き伏し拝み、披き見れば……
 尊きかも、畏きかも、救世の神法、霊学の大本と数十百に亘る神業、其大要は喜楽が高熊山の霊山にて見聞したる事実と符合し、神秘に属し、他言を許されぬもののみであつた。会長は此一巻に納めたる、神法を実行する時機正に到来したりと、天にも昇るが如く勇み立ち、心鏡正に玲瓏たり、百折撓まず屈せず、暴風強雨何者ぞ、水火何者ぞ、満腔の精神は益々颶風と戦ひ、言霊の神力を以て、どこまでも之に打克たむとの勢頓に加はり来る、欲を離れ、利をはなれ、家を離れ、自己を離れ、社会を離れて只神あるのみ、全く神の御懐に抱かれゐる身は、如何なる事も恐るるに及ばず、大丈夫大安心なり、怒れよ狂瀾、躍れよ波濤、吹けよ強風、荒べよ暴風、汝の怒りは雄大なり、壮烈なり、我は今汝の怒りに依つて生ける誠の神の教を受けたり、今の会長は以前の会長に非ず、今は全く神の生宮となれり。暴風強雨来れと、十曜の紋の記されし、神官扇を差上げて、天の御柱の神、国の御柱の神、天の水分神、国の水分神、大和田津見神静まり玉へ……と宣る言霊に、不思議や風やみ雨やみ波従つて静まりぬ。舟人はおどろいて、
『先生は神さまで御座いませう』
と舌をまいて感嘆してゐる。抑も我国は神の御国なれば、惟神の道と称し、幽玄微妙の神教あり、神力無限の言霊あり、実に尊き天国浄土である。舟は漸くにして冠島へ避難する事を得た。第一着に老人島神社に供物を献じ救命謝恩の祝詞を奏上し、次いで綾部本宮を遥拝し、一行の罪重き者の沓島参拝は到底神慮に叶はざるべしと再び帰路の安全を祈りつつ厚き神の守りの下に漸く舞鶴に帰着し一同茲に一泊することとなつた。
 大丹生屋の二階の一間に横臥して所労を休めてゐる、会長の枕許へ杉浦万吉といふ男出で来り、手をつかへ、面に改悛の色を現はし、涙をハラハラと流し乍ら、
杉浦『先生にお詫を致さねばならぬ事があります。申上ぐるのも畏きことなれど、実の所は吾々数名は相談の上、先生の懐にある巻物を預り、其上○○せむと○○をなし、本会の為に雲霧を払ひ清め、其後釜には四方春三サンを据ゑて、吾々が思惑を貫徹せむと欲し、其手段として先生に対し、沓島参拝を無理に御願したので御座います、乍併神様の厳しきおさばきにより、命辛々の目に会ふたのは、全く神さまより吾々に改心せよとの御戒めで御座いませう、何うぞ自分等の罪を赦して下さいませ』
と平身低頭して聞くも恐ろしい物語をするのであつた。会長は前日より略探知してゐたので、今更余り驚きもなさず、笑うてこれを許した。暫くあつて綾部の本部より教祖の命令によつて四方平蔵が四方春三を伴ひ、沓島行きの一行を迎ひに来り、一同の無事を祝し、冥土の旅から帰つたやうに小をどりして喜んだ。四方春三も杉浦の改悟を聞いて包むに包みきれず、陰謀を逐一自白し、
四方『あゝ私の心には悪神が潜んでゐたのでせう、これからキツと改心致します』
と真心から涙を流して有体に謝罪するのを見ると、却つて可哀相になつて来た。雨降つて地固まるとやら、今度の遭難にて誰も彼れも一時に悔ゐ改め、道の曙光を認めるやうになつたのも、全く神の深遠なる思召によることと、会長は益々其信念を鞏固ならしめた。
 二十二日の夕方無事に館に帰り、神前に一同拝礼し各々家に帰つた。
(大正一一・一〇・一七 旧八・二七 松村真澄録)
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