明治三十三年八月八日の午前一時、広前の門口を立ち出た。信者たちはお見送りを申し出たが、教祖は神様の御命令を畏んでそれを許されなかった。
途中、福林安之助が山道で随行を申し出た。教祖は固辞されたが、福林は嘆願し容易に初心を変えようとしなかった。海潮はその心を汲んで、荷物持ちとして連れて行くよう教祖に頼んだ。
教祖もその誠意に感じられ、ようやく随行が許された。途中、木崎にて信者の宅に一泊した。そこでは教祖派と四方春蔵派の信者たちが、教祖の目の前で言い争い、争論を繰り広げていた。
教祖は庭前に四頭の犬が遊んでいるところに、一片の食物を投げ与えた。すると犬たちはたちまち争奪をはじめた。教祖は微笑みながら、人心の奥底はたいていかくの如しと言ってこの家を立ち出でようとされた。
家の主人・上村氏はこの教訓に恐縮したが、上村氏に反対の一派の者たちはますます暴言をたくましくし、教祖の前で黒白をつけようと強請やまなかった。これには海潮もほとほと持て余した。
反対派は席を蹴立てて帰り、四方春蔵と福林氏も彼らに付いて出て行った。福林氏は反対派の中田氏宅に着くと、疲れた風を装って四方春蔵らと彼らの密議を残らず聞いてしまった。
戻ってきた四方春蔵は、今日は反対派の中田氏宅にもう一泊しましょうと申し出てきた。教祖は少しく怒って、たとえ野宿をしても彼らの家には泊まりたくないとご機嫌が悪かった。
一行は夜道を歩いてようやく、夜更けに八木の会合所である福島氏方に着いた。