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文献名1霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻
文献名2第4篇 霊火山妖よみ(新仮名遣い)れいかさんよう
文献名3第20章 元伊勢〔1057〕よみ(新仮名遣い)もといせ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2022-11-08 17:26:14
あらすじ
明治三十四年旧三月八日、元伊勢の御水の御用があった。世界広しといえども、生粋の水晶の御水は元伊勢の天の岩戸の産盥産釜の御水よりほかにはない。

その御水を汲んでこなければならぬという御筆先が旧三月一日に出たのである。この御水は昔から汲み取り禁制で、神官が見張りをしている。事前に木下慶太郎が下見をした上で、一行四十二名が出立した。

見張りの神官が日暮れに引き上げるのを見計らい、木下慶太郎が大急ぎで岩戸へ駆けつけた。小さな流れにかかった大きな朽木を渡り、竹筒にいっぱい産盥・産釜の水を汲んで引き上げてきた。

教祖は御用が無事に勤められたことを聞いて非常に喜ばれた。翌日は御礼参りに行って、夕方五時に出立し、夜通し歩いて綾部に戻ったが、何の御用をしてきたのか知らぬ者も多かった。

汲んできた御水は神様にお供えしてそのおさがりを皆で少しずついただき、大本の井戸と、元屋敷の角蔵氏方の井戸と、四方源之助氏宅の井戸へと五勺ほどを注いだ。

残りは沓島・冠島の真ん中、すなわち竜宮海へ注ぐようにとの教祖の言いつけであった。

大本の井戸に御水を注いだとき、教祖は、今に京都大阪からこのお水をいただきに来るようになる、と言われたが、今日ではそれは実現している。元屋敷の井戸、四方源之助氏の井戸も、両方とも今では大本の所有となっている。

御水の御用ができたころ、大本で三つの火の不思議があった。お広前のランプが落ちて大事になるところをようやく消し止めた。それから二三分のうちに風呂場から出火し、海潮が見つけて大騒ぎとなり、消し止めた。

するとまた、役員の背中にランプが落ちて危ういところを無事に消し止めた。わずか二三分の間に三つも火事があったのである。この時海潮は神がかりとなって深い神慮を洩らされた。

また御水は後に、教祖様が役員信者を連れて竜宮海に注しに行かれた。この水が三年たてば世界中へ廻り、世界が動き出すということであったが、果たして三年後には日露戦争が始まったのである。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年10月18日(旧08月28日) 口述場所 筆録者北村隆光 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年4月3日 愛善世界社版210頁 八幡書店版第7輯 237頁 修補版 校定版214頁 普及版113頁 初版 ページ備考
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本文
 明治三十四年旧三月八日、元伊勢の御水の御用があつた。世界広しと云へども、生粋の水晶の御水と云ふのは、実に元伊勢の天の岩戸の産盥産釜の御水より外には無いので、其水晶の御水を汲んで来ねばならぬと云ふ御筆先が旧三月一日に出たのである。
『艮の金神の指図でないと此水は滅多に汲みには行けぬのであるぞよ。此神が許しを出したら何処からも指一本さへるものもないぞよ』
と云ふ意味の御筆先である。極めて大切な御用であるから、六日前に木下慶太郎が調べに行つて来た。此水は昔から汲取禁制の御水で万一禁を犯した場合は必ず大風大洪水が起ると伝へられ、何人も触れる事の出来ぬ様に特に神官が見張をして居るのみならず、上の方から見下した処では小さい流れがあつて、二間ばかりの板を渡さねば行かれないと云ふ事まで確めて帰つて来たのである。愈当日になつて、教祖の外海潮、澄子を初め一行四十二名、菅笠、茣蓙蓑の扮装、御水を汲み取る為に後野市太郎が拵へし青竹の一節の筒二本を携帯して出発した。丹後の内宮の松代屋に着いて一行は打ち寛ろぎ、前に木下が調べし通り神官が見張つて居つては汲む事が出来ないから、先づ森津由松に命じて様子を見届けにやつた。日が暮れかけたので、見張の神官が内へ引上げるのを見届けて森津は早速報告に引返した。草鞋もとかずに森津の報告を待ち兼て居た、木下慶太郎は例の用意して置いた青竹の筒二本を携へて大急ぎで岩戸へ駆けつけた。六日前に調べた時に見て置いた小さな流には大きな朽木が流れ寄つて横はつて居つたので、これ幸ひと渡つて行つた。そして産盥と産釜の水を青竹の筒の中へ杓子で汲取るのであるが筒の穴が小い為、仲々手早く済まず、愚図々々して邪魔が這入つては今度の大切の御用が勤まらぬと心得た木下は、二本の筒を両手に持つて矢庭にヅブヅブと突込んで、漸く水が一杯になつたので、安心して松代屋へ引揚げた。一行は風呂から上つて夕食の最中であつたが首尾よく御用を勤めた事を申し上げると、教祖は非常に喜ばれた。そして木下は大きな朽木の橋の事を申上げると教祖はそれは正しく竜神様であると云はれた。翌日は御礼参りに行つて夕方五時出立、夜徹し歩いて帰つたが、綾部へ帰るまで何の御用をして来たか知らぬ者さへ多かつた。
 汲んで来た生粋の水晶の御水は神様に御供へして其御下りを皆で少しづつ戴き、大本の井戸と元屋敷の角蔵氏方の井戸と四方源之助氏宅の井戸とへ五勺ほどを残りは丹後の沓島冠島の真中即ち竜宮海へさせとの教祖の吩咐であつた。第一着に大本の井戸に入れたが、教祖は、
教祖『今に京都大阪あたりから此お水を頂きに来る様になる』
と云はれたが今日では已に実現して居るのである。
 元屋敷の井戸と云ふのは、西の石の宮の処の井戸で出口の元屋敷であるが、角蔵に売つたのであるから勝手にさす訳には行かぬので木下慶太郎の計らひで釣瓶縄が切れたから水を貰ひに来たのだと云つてさし込んで来たのである。元屋敷は後に角蔵から買ひ戻して大本の所有になり、今日では石のお宮が立ててある。四方源之助の内の井戸にも木下が同一筆法でさし込んで来た。これは今統務閣の側の井戸で現今では三つとも大本の有となつて居る。
 此御水の御用が出来た頃、大本で三つの火の不思議があつた。お広前のランプが落ちて大事になる所を漸く消し止めたが、それからまだ二三分間も経たぬ内に風呂場から火が出て、これ亦大事になる所を海潮が見付けて大騒ぎとなり漸く消し止めた。すると又役員の背中へランプが落ちて危い所を無事に消しとめた。僅二三分の間に三つも火事沙汰が起つたので何か神慮のある事だらうと思つて居ると海潮は神懸りとなつて深い神慮を洩らされたのである。御水は後になつて教祖様が役員信者の大勢と共に竜宮海へさしに行かれた。此水が三年経てば世界中へ廻るから、そしたら世界が動き出すと云ふ事であつたが果して三年後には日露戦争が始まつたのである。
(大正一一・一〇・一八 旧八・二八 北村隆光録)
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