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文献名1霊界物語 第40巻 舎身活躍 卯の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3緒言よみ(新仮名遣い)しょげん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ
大八洲彦命は再生して月照彦神となり、終には印度国に降誕して釈迦となった。肉体を備えた釈迦は普通の人間、一人の乞食比丘であった。あるとき、周那というものの供養を受け、毒茸を食わされて中毒を起こし、河畔で倒れ死にをしたのである。

二十九歳で出家し、三十五歳で成道し、行脚遊説八十年にして入滅してしまった。二千有余年以前に普通の人と同じく死去してしまった。

されど如来としての釈迦牟尼仏は今も立派に生存しているのみならず、今後幾憶万年の末に至るまで決して絶滅する時期はないであろう。否、出生の始めもなく無始無終、永遠に生死を超越している。

これが生きた釈迦であり、三宝がその生命である。三宝とは仏法僧である。この三宝は区別するときは三種となるが、その真実は唯一の仏宝に帰納すべきものであり、一体三宝なのである。

今日に現存する大蔵経はすなわち釈迦であり、仏像仏画も釈迦である。僧侶もまた釈迦である。いずれも説法や感化の仏徳を備え、仏道の宣揚、下化衆生の動作をしないものはないのである。

このように仏法僧のある限り、釈迦の経論所説の真理は学者哲人その他、人類の脳裡に伝染し保留されて、人間がこの世界に存続する間は決して死滅するものではない。

出口教祖の教えも、瑞月の説法や著述もまた永遠に生存して、社会の光明となって万霊の世界を照明するものと信じている。ゆえに吾人が現代人にしきりに非難攻撃されてののしられても構わぬ。長年月の間において民衆のために師範たるを得ればよいのである。

仏法僧が釈迦そのものであるように、神と法と弟子の三宝が出口教祖でなければならない。経糸のお役である教祖が神ならば、緯糸の役もまた神であらねばならないと信じる。

瑞月が『霊界物語』を編纂するのも、要するに法・経蔵・経典を作るので、すなわち神を生みつつあるのである。また自己の神を現し、宣伝使という神を生むためである。この物語によって生まれた経典・宣伝使・神言はみな神であって、瑞月そのものの神を生かすためであると確信している。

『霊界物語』そのものはつまり、瑞月の肉身であり霊魂であり表現である。

霊魂学より見れば、釈迦の霊魂すなわち霊体は永遠無窮の生命を保ち給う宇宙主宰神の御分霊、御分体、一部の御表現仏として永遠に行き通しである。

釈迦にしたがい宣伝布教に仕えた諸々の菩薩・比丘・比丘尼・竜王・諸天子・諸天王もみな、行き通しでなければならない。

月照彦神もその他の諸神の霊魂も、やはり過去現在未来にわたって生き活き、天地万物の守り神となってその神力仏徳を永遠無窮に輝かし給う。

この物語も、天地開闢の元始より死生を超越し給える神々の神霊の幸いによって口述編纂したものなので、過現未三界を通じて大生命を保ち、宇宙の宝典となるとともに、この物語の口述者も筆録者も浄写者も印刷者も、みな神の活動を永遠になすものと言ってよいのである。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年11月01日(旧09月13日) 口述場所 筆録者北村隆光 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年5月25日 愛善世界社版前付 11頁 八幡書店版第7輯 414頁 修補版 校定版前付 11頁 普及版前付 7頁 初版 ページ備考
OBC rm400002
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本文  大八洲彦命は再生して月照彦神となり、終には印度国に降誕して釈迦となつた。然るに肉体を具へた釈迦には、別に何らの奇異もなければ特徴もなかつた。言はば普通一般の人間の如く一の比丘である。否一の乞食である。或る時周那と言ふものの供養を受け、毒茸を喰はされて中毒を起し、下痢激しく終に恒河畔で倒れ死をしたのである。是今日の所謂行路病死者である。二十九歳で出家し三十五歳で成道し、爾来行脚遊説八十年にして入滅して了つた。その舎利の幾片かは今日も猶保存されてあるとは謂へ、兎に角二千有余年前既に普通人と同じく死し去つて今日に於ては跡形もない人間である。斯の如く人間としての釈迦は死んで了つた。されど如来様としての釈迦牟尼仏は今も立派に生存して居るのみならず、今後幾億万年の末に至るも決して絶滅する時機はないであらう。否独り絶滅の期がないのみならず、出生の始めもなく無始無終、永遠に生死を超越したものである。是が則ち生きた釈迦であつて、三宝が所謂其生命である。三宝とは仏法僧である。釈迦在世当時の仏は釈迦それ自身であり、法は説法宣伝であり、僧は弟子であつた。入滅後の仏は木仏金仏石仏画像仏であり、法は経蔵であり、僧は遺弟や又は其後進者である。而も此三宝は之を区別する時は三種となるが、その真実は唯一の仏宝に帰納すべきものであり、一体三宝である。今日に現存せる大蔵経は即ち釈迦である。我日本のみに現存する百万余の仏像や仏画は生きた釈迦である。十万余の僧侶も亦生ける釈迦である。釈迦滅後今日まで印度、支那、朝鮮、日本に於ける僧侶の累計は二千万人に上る多数であるが、何れもその時代々々に於ける生きた釈迦で、少くとも其の半数以上は説法や感化の仏徳を備へ、仏道の宣揚、下化衆生の動作を為ないものはない。斯の如く釈迦は仏法のあらむ限り、僧侶の存する限り、否木像も金像も寺院も僧侶も共に滅亡すると雖も、その経論所説の真理は学者哲人その他人類の脳裡に伝染し保留されて、人間のこの世界に存続する間は決して死滅するものではない。
 出口教祖の教も、又瑞月の説法や著述も亦永遠に生存して、社会の光明となつて万霊の世界を照明するものと信じて居るのである。故に吾人が現代人に頻りに批難攻撃されて、邪教だ妖教だと罵られても構はぬ。長年月の間に於て無限なる民衆のために師範たるを得ればよいのである。之を思へば一時の圧迫や批難や攻撃なぞは余り苦にするに足りないと思ふ。
 一体三宝即ち仏法僧が釈迦そのものである如く、神と法と弟子の三宝も亦出口教祖でなければならぬ。経糸の御役たる教祖が神ならば、緯糸の役も亦神であらねばならぬと信ずる。瑞月が『霊界物語』を編纂するのも、要するに法即ち経蔵又は教典を作るので、即ち神を生みつつあるのである。又自己の神を現はし、又宣伝使といふ神を生む為である。故にこの物語によつて生れたる教典も宣伝使も神言も皆神であつて、要するに瑞月そのものの神を生かす為であると確信して居る。『霊界物語』そのものは約り瑞月の肉身であり霊魂であり表現である。
 前述の如く人間として肉体としての釈迦は滅亡した。そして禅学的抽象的に説けば三宝一体の釈迦は今後幾千万年を経るとも死滅せないことも述べた。一歩進んで不老不死の霊魂学の上より観じ見れば、釈迦の霊魂即ち霊体は永遠無窮の生命を保ち給ふ宇宙主宰神の御分霊、御分体、一部の御表現仏として永遠に生き通しである。随つて釈迦に従つて宣伝布教に仕へた諸々の菩薩も比丘も比丘尼も竜王も諸天子も諸天王も皆今に生き通しでなくてはならぬ。月照彦神も其他の諸神の霊魂も、矢張り過去現在未来に亘りて生き活き、天地万物の守り神となつてその神力仏徳を永遠無窮に輝かし給ふは勿論である。故にこの物語も、天地開闢の元始より死生を超越し給へる神々の神霊の幸ひに由つて口述編纂せしものなれば、過現未三界を通じて大生命を保ち、宇宙の宝典となると倶に、この物語の口述者も筆録者も浄写者も印刷者も、皆神の活動を永遠に為すものと謂つてもよいのである。アヽ惟神霊幸倍坐世。
  大正十一年十月廿九日
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