霊界の広大無辺なることは、とても現代の法王や教主らの支配のおよぶ限りではない。ただ人間は惟神に一身を任せて日々の業務を楽しみ、歓喜の生涯を送ることに努めなければならない。
この物語も、読者をして天国浄土の片影をうかがわせようとして滑稽的な言語を連ねられている。これも大神様の深遠なる仁慈のこもるところであることを口述者は感謝するのである。
『温かい笑ひの波は一座を漂はす』ということがある。法悦の歓びはついに笑いとなる。笑いは天国を開く声であり福音である。
笑いは厳粛を破るもののようだが、その笑いが徹底するとまた涙が出るものだ。しかし法悦の涙と落胆悲痛の涙は天地の差があるのはもちろんである。読者は本書を読んで充分に笑いかつ泣き、法悦の天界に遊ばれることを希望いたします。
人間の笑うときと泣くときと顔面の筋肉が同じように作業することを思うと、善悪、歓苦、笑哭不二の真理が怪しく光ってくるようです。
本巻は十二月十五日に八百ページあまりを口述筆記し、翌十六日に四百四十ページを口述筆記し、前後二日間にて脱稿しました。翌十七日より大阪へある事件のために出張することになったので、筆記者も腕によりをかけられたと見えます。