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文献名1霊界物語 第47巻 舎身活躍 戌の巻
文献名2第3篇 天国巡覧
文献名3第13章 下層天国〔1246〕
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ高天原の東と西の団体は、信愛の善徳に居る。東は分明に愛の善徳を感得し、西はおぼろげに感ずるものが住む。南と北の団体は、愛信の智慧証覚に居るものである。南は明白に、北はおぼろげに光れるものが住む。
高天原の天国にある愛は、神に対する愛である。これより来る真光は、智慧と正覚である。霊国にある愛は隣人に対する愛であり、仁である。仁愛から来る真光は智慧であり信である。
高天原には時間空間、春夏秋冬の区別はない。ただ天人各自の情態の変化があるのみである。現界の人は時間の概念を離れることができない。天人はみな情態の上から思惟する。
春と朝は第一情態における愛の善、証覚の境涯に対する想念である。夏と午時は第二情態における愛善および証覚の境涯に対する想念である。秋と夕べは第三情態の愛善および証覚の境涯、冬と夜は地獄に落ちた精霊の境涯に対する想念である。
言依別命は説明を続けた。いかなる状態にある人間でも、生まれ赤子の純粋無垢の心に帰りさえすれば、直ちに第一天国と相応し、神格の内流によって容易に天国に上り得ると説いた。
天国の太陽とは、厳の御霊の御神格が顕現したものであるという。また霊国では瑞の御霊の大神が月と現れ、天国ではまた太陽と現れ給うという。
神様の愛は現実界の太陽の熱烈なるに比較して一層強く、その神愛は下降するにしたがって熱烈の度を和らげて行き、第三天国のもっとも低いところでは大神の御光を拝することが遠く、現界の太陽を拝するように明瞭にわからないのだという。
第三天国の天人たちの前に、神がそのまま太陽となって現れると天人たちの眼がくらんでしまうので、大神様は一個の天人となって善、真、智慧証覚相応の団体へおくだりあそばし、親しく教えを垂れさせ給うという。
治国別と竜公は、言依別命の案内で二三丁ばかり丘を下って行った。言依別命は火光と化して天空に姿を没した。二人は暗夜に火を取られた心地ながら大地にひざまづき、言依別命に涙ながらに感謝をささげた。
治国別は、言依別命の案内に頼る心を持った自分たちの想念の過ちによって、神様が遠ざかったのだと竜公のみならず自らを諭し、合掌して感涙にむせびながら主神に祈りを凝らした。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年01月09日(旧11月23日) 口述場所 筆録者北村隆光 校正日 校正場所
OBC rm4713
本文の文字数3859
本文のヒット件数全 1 件/第一天国=1
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本文  高天原の天国の  東と西との団体に
 住む天人は信愛の  其善徳に居るものぞ
 東はいとも分明に  愛の善徳感得し
 西には少しおぼろげに  感ずるもののみ住めるなり
 南と北との団体は  愛信の徳より出で来る
 智慧証覚に居れるもの  いや永久に住居せり
 中にも南に住むものは  証覚光明明白に
 北は証覚おぼろげに  光れるもののみ住めるなり
 高天原の霊国に  ある天人と天国に
 ある天人は皆共に  右の順序を守れども
 少し相違の要点は  一つは愛の善徳に
 従ひて進み又一つは  善の徳より出で来る
 信の光に従うて  いや永久に住めるなり
 此天国にある愛は  神に対する愛にして
 之より来る真光は  全く智慧と証覚ぞ
 又霊国にある愛は  隣人に対する愛にして
 之を称して仁と云ふ  此仁愛より出で来る
 真の光は智慧なるぞ  或は之を信と云ふ
    ○
 久方の高天原の神国には
 時間空間春夏秋冬の区別なし
 只天人各自が
 情態の変化あるのみ
 現し世に於けるが如く、天界の
 万事に継続あり進行もあり
 されど天人は
 時間と空間との
 概念なし
 久方の高天原には
 年もなく
 月日もあらず時もなし
 只情態の変移あるのみ
 情態の変移の
 ありし所には
 只情態ばかりあるなり
 現界の
 凡ての人は
 時間てふ
 其概念を離るる能はず
 天人は
 皆情態の
 上より之を思惟すれば
 人の想念の中に於て
 時間より
 来れるものは
 天人の間に入りては
 皆悉く
 情態の想念となるものぞ
 春と朝は
 第一情態に於ける
 天人が居る所の
 愛の善及び
 証覚の境涯に対する
 想念となるものぞ
 夏と午時は
 第二情態にある天人が
 居る所の愛善及び
 証覚の境涯に対する
 想念となるものぞ
 秋と夕べとは
 第三情態に於ける
 天人が居る所の愛善及び
 証覚の境涯に対する
 想念となるものぞ
 冬と夜とは
 地獄におちし精霊が
 之等の境涯に対する
 想念となるものぞ
 言依別命は治国別に向つて尚も天国団体の説明を続けて居る。
治国『実に天国と云ふ所は、吾々の想像意外に秩序のたつた立派な国土ですな。到底吾々如き罪悪に充ちた人間は将来此国土に上る見込はない様ですな』
『決して決して左様な道理はありませぬ、御安心なさいませ。此処は最下の天国で、まだ此上に中間天国もあり、最高天国もあるのです。猶其外に霊国と云ふのがあつて、それ相応の天人が生活を続けて居ます』
『其最高天国へ上り得る天人は、非常な善徳を積み、智慧証覚の勝れたものでなければ参る事は出来ますまいな』
『厳の御霊の聖言にもある通り、生れ赤子の純粋無垢の心に帰りさへすれば、直ちに第一天国と相応し、神格の内流によつて案外容易に上り得るものです』
『成程、然し吾々は如何しても赤子の心にはなれないので困ります。然し天国にも矢張り自然界の如き太陽がおでましになるのでせうな』
『アレ、あの通り東の天に輝いて居られます。貴方には拝めませぬかな』
『ハイ、遺憾乍ら未だ高天原の太陽を拝する丈けの視力が備はつて居ないと見えます』
『さうでせう。貴方には未だ現実界に対するお役目が残つて居ますから、現界から見る太陽の様に拝む事は出来ますまい。天国の太陽とは厳の御霊の御神格が顕現して、茲に太陽と現はれ給ふのです。故に現界の太陽とは非常に趣が違つて居ります。霊国にては瑞の御霊の大神月と現はれ給ひ、天国にては又太陽と現はれ給ふのであります。さうして霊国の月は現界から見る太陽の光の如く輝き給ひ、又天国の太陽は現界で見る太陽の光に七倍した位な輝き方であります。さうして日は真愛を現はし、月は真信を現はし、星は善と真との知識を現はし給ふのであります。故に瑞の御霊の聖言には、
一、月の光は日の光の如く、日の光は七倍を加へて七つの日の光の如くならむ。
一、我汝を亡ぼす時は空を覆ひ其星を暗くし雲を以て日を蔽はむ。月は其光を放たざるべし。
一、我、空の照る光明を汝等の上に暗くし汝の地を暗となすべし。
一、我は日の出づる時之を暗くすべし。又月は其光を輝かさざるべし。
一、日は毛布の如く暗くなり、月は地の如くなり、天の星は地に落ちむ。
一、之等の艱難の後、直ちに日は暗く月は光を失ひ、星は空より落つべし。
とありませう。此聖言は愛と信との全く滅亡したる有様を、お示しになつたのでせう。今日の現界は自然界の太陽や月は天空に輝き渡つて居りますが、太陽に比すべき愛と、月に比すべき信と星に比すべき善と真との知識を亡ぼして居ますから、天国の移写たる現実界も今日の如く乱れ果てたのです。かかる事を称して聖言は……之等の諸徳、亡ぶる時、之等の諸天体暗くなり其光を失ひて空より落つ……と云はれてあるのです。大神の神愛の如何に大なるか又如何なるものなるかは現界に輝く太陽との比較によつて推知する事が出来るでせう。即ち神の愛なるものは頗る熱烈なる事が窺はれませう。人間にして実に之を信ずる事を得るならば、神様の愛は現実界の太陽の熱烈なるに比較して層一層強いと云ふ事が分りませう。大神様は又現実界の太陽の如く直接に高天原の中空に輝き給はず、その神愛はおひおひ下降するに従つて熱烈の度は和らぎ行くものです。此和らぎの度合は一種の帯をなして天界太陽の辺を輝き亘り、諸々の天人は又此太陽の内流によつて自らの身を障害せざらむが為め、適宜に薄い雲の如き霊衣を以て其身を覆うて居るのです。故に高天原に於ける諸々の天国の位置は其処に住める天人が神の愛を摂受する度合の如何によつて大神の御前を去る事或は遠くなつたり、或は近くなつたりするものです。又高天原の高処即ち最高天国に居る天人は愛の徳に住するが故に、太陽と現はれたる大神の御側近く居るものです。されど最下の天国団体にあるものは信の徳に住するものなるが故に、太陽と現はれ給うた大神を去る事最も遠きものであります。ここは即ち其高天原の最下層第三天国の中でも最も低い所ですから、太陽と現はれました大神の御光を拝する事が余程遠くて現界の太陽を拝する如く明瞭に分らないのです。さうして最も不善なるもの、例へば暗国界の地獄に居るものの如きは、大神様の目の前を去る事極めて遠く且つ太陽の光に背いて居るものである。さうして其暗国界に於ける神と隔離の度合は善の道に背く度合に比するものである。故に極悪の者は到底少しの光も見る事が出来ず無明暗黒の最低地獄におつるものであります』
『やア有難う厶いました。吾々はまだ善と真よりする智慧証覚が足りませぬから、大神の御姿を仰ぐ事が出来ないのでせう』
『第三天国の天人等の前に神其儘太陽となつて現はれ給ふ時は、各眼晦み頭痛を感じ苦みに堪へませぬ。それ故大神様は一個の天人となつて、善相応、真相応、智慧証覚相応の団体へお下り遊ばし、親しく教を垂れさせ給ふのであります』
『いや大に諒解致しました。私も之から現界へ帰りますれば、其心得を以て善の為め真の為めに活動をさして頂きませう。あゝ惟神霊幸倍坐世』
『サア之から天人の団体へ御案内致しませう』
 治国別、竜公は、
『ハイ、有難う』
と感謝しながら言依別の後に従ひ欣々として進み行く。
 二三丁ばかり丘を下り行くと、忽ち巨大なる火光と化し言依別は天空さして其姿を没し給うた。二人は暗夜に灯をとられし如き心地し、大地に跪き感謝に咽びながら、
『あゝ有難し、勿体なし、吾々の愛と善の徳、全からず信真の光明らかならず、従つて智慧と証覚の光弱き為めに、畏れ多くも皇大神は天国の太陽と現はれ給はず、言依別命と身を現じ、此処迄導いて下さつたのだらう。あゝ有難し有難し、仁慈無限の大神の御神徳よ』
と感謝の涙に暮れてゐる。
『もし先生、之から如何致しませうか。斯様な処に捨てられては如何行つてよいか、少しも分らぬぢやありませぬか。あれ程最前明瞭に見えて居つた東西南北の天人の部落も、何時の間にか吾々の視線内を外れて了つたぢやありませぬか』
『獅子は三日にして其子を谷底へ捨てるとやら、これ全く神様の仁慈無限の御摂理だ。これだから三五教の聖言にも「師匠を杖につくな、人を力にするな、只神のまにまに活動せよ」と仰有るのだ。言依別様の御案内下さるに甘え、気を許し、凭れかかつて居つたが吾々の過ちだ。それだから神様は吾々の想念中より遠ざかり給うたのだ。吾々はまだまだ愛と信とが徹底しないのだ。あゝ惟神霊幸倍坐世』
と合掌し感涙に咽びつつ主神に祈りを凝すのであつた。
(大正一二・一・九 旧一一・一一・二三 北村隆光録)
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